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第六十七話 父を喜ばせたくて

 箱を抱えて、書斎の扉を叩いた。


「お父様。届きました」


「おお。見せてごらん」


 机には、領地の書類が広がっていた。

 いつもなら、用件だけ伝えて下がる。けれど今日は、お父様が自分から書類を寄せて、場所を空けてくださった。


 蓋を開ける。


 白い布の上で、赤い瓶が光を返した。

 首には、金色の札が結ばれている。


 ヴァレール伯爵家、アデル。


 私の名前だ。


 店で見たクラリス様のものと、同じ形をしていた。

 自分の名前が付いただけで、手を伸ばすのが怖くなる。落としたらどうしよう、と思った。


「立派なものだな」


 お父様は瓶を持ち上げ、灯りに透かした。

 赤が深くて、中は見えない。


「こちらも、入っていました」


 案内を差し出すと、袖が上がった。

 肘の内側に、薄い跡がのぞく。


 慌てて引き下ろした。

 お父様は、案内の方を見ていた。瓶を見ていたときより、ずっと長く。


「よく撮れているじゃないか」


「……そうですか?」


「ああ。この服にしてよかったな」


 朝、母と選んだ服だった。

 撮影があると知って、もっと華やかなものにすればよかったと、あとから悔やんだ。


 お父様は、服の色まで見てはいないだろう。

 それでも、よかったと仰った。


 私は案内の端を、握り直した。

 口元がゆるみそうで、うつむいた。


「神殿からも、商品の案内が届いていたぞ。今度、貴族同士の集まりがあってな。お前が協力していると話したら、ぜひ紹介してほしいと言われたんだ」


「私の品を、ですか?」


「ああ。皆、興味を持っていた」


 お父様が、私の話をしてくださった。

 領地のことでも、お兄様のお勉強のことでもない場所で。


「次は、何本か用意してもらおう。実物があった方が話も早い」


「……はい」


 お父様は案内を読みながら、知っている家の名前を挙げていった。

 奥様が美容に関心を持っていること。以前、新しい香油を探していたこと。


 あの方が、私のものを使う。

 次に会ったとき、よかったと言ってくださる。


 そのとき、ニーナ様の顔が浮かんだ。


 あの日は、何も言えなかった。

 でも、買ってよかったと思っていただけるものなら。選ばれたことを喜んでも、よいはずだ。


「お父様。私も、ご一緒してよろしいですか?」


「お前の品を紹介するんだぞ。来てもらわなければ困る」


 お父様が笑った。

 私も笑った。


 この返事を、母にも早く話したかった。

 袖の下の跡は、廊下へ出るまで、手で押さえていた。


     *


 数日後、店へ伺うと、棚に私の名前があった。


 家で何度も見た札なのに、入口から見つけた途端、足が速くなった。

 ほかの方の商品と並んでいる。家名も、肖像も、間違いなく私のものだった。


「アデル様」


 店員に呼ばれて、振り返った。


「お父様から、ご注文をいただいております。ありがとうございます」


「集まりで、紹介したいそうです」


「ええ。ほかのお客様からも、お問い合わせが増えておりますよ」


 店員は、棚の前へ案内してくれた。


 クラリス様の瓶があった場所は、空いていた。

 ご本人のご希望で下げたのだと、店員が小声で教えてくれた。


 私は、署名をしている。

 だから、私のは違う。


 私の瓶は、二本しか残っていなかった。


「こんなに、売れたんですか?」


「はい。次の入荷をお待ちの方もいらっしゃいます」


 頬が熱くなった。

 私がここへ来るより先に、知らない方が選んでくださった。


 二本の瓶を見ていて、ふと、袖の下が気になった。

 一本ごとに、あの針が要る。


 ……考えるのは、やめた。


 店員が一本を取り、受付へ持っていく。

 その先にいた人を見て、声が出た。


「ニーナ様」


 ニーナ様も驚いた顔をして、それから笑ってくださった。


「アデル様。ちょうど、買いに来たところなんです」


 受付に置かれた瓶には、私の名前があった。


「私のものを?」


「はい。母に贈りたくて」


 ニーナ様は、札を指先で整えた。


「最近、鏡を見るたびに、年を取ったと仰るんです。私がそんなことはないと言っても、信じてくださらなくて」


 困ったように笑う顔を見ながら、あの日のことを思い出した。


 自分の名前では作れないと告げられた場所で、ニーナ様は、私におめでとうと言ってくださった。

 その人が、私の品を買いに来ている。


「ありがとうございます」


 それだけでは足りない気がした。

 何を足しても、また違うことを言ってしまいそうで、口を閉じた。


「お母様に、気に入っていただけると嬉しいです」


「ええ。お渡しするのが楽しみです」


 包みを受け取ったニーナ様は、両手で、胸の前に抱えた。


 ニーナ様のお母様も、鏡の前で、この瓶を開ける。

 お顔を近づけて、頬を確かめて。


 私が綺麗になったときのように。


「また、お話を聞かせてください」


「はい。ぜひ」


 ニーナ様を見送る間に、気づいた。

 施術のあとに横になっていたことを、思い出さなくなっていた。


     *


「次の施術は、いつになさいますか?」


 奥の席で尋ねられ、袖の下の腕を意識した。


 もう、痛くはない。

 けれど、前に血を取ったところには、まだ薄い跡が残っている。


「少し、間を空けてもよろしいですか?」


「もちろんです。ご都合のよい日をお選びください」


 よかった。

 もう少し、身体を休ませられる。


「お父様の注文には、間に合いますか?」


「ご注文分は、現在ある分から用意しております。ただ、そのあとのご用意は、次の施術を受けていただいてからとなります」


 お父様は、ほかの方にも勧めてくださると言った。

 集まりのあと、欲しいと仰る方が増えたら。


 棚には、あと一本しかなかった。

 ニーナ様が買ってくださった分も、なくなれば、もう一度お求めになる。


「急いで決めていただかなくても、結構ですよ」


 店員は、日付の一覧をこちらへ寄せてくれた。


 待っていただける。

 私が決めるまで。


 けれど、待たせた分だけ、お父様の言葉が遠くなる気がした。


 腕の跡は、服を着れば見えない。

 前も、休んでから帰った。その日のうちに、お父様へお話しできた。


「……こちらの日なら、伺えます」


 空いている日を、一つ示した。


 お父様の集まりより、前の日だった。

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