第六十四話 選ばれた人
休憩室へ移ったあと、母が会計の説明を受けに席を外すと、そこへ別の女性が案内されてきた。
私と同じ年頃に見えた。
椅子へ腰を下ろすなり、渡された手鏡を顔へ近づける。遠ざけたり、傾けたりして、何度も頬を確かめていた。
「本当に、白くなってる……」
さっきの私と同じだ。
つい笑みがこぼれると、鏡越しに目が合った。女性は慌てて鏡を下ろす。
「失礼いたしました」
「私も、先ほどまで同じように見ていたんです」
そう伝えても、彼女は背筋を伸ばしたままだった。
「ベルク男爵家のニーナと申します」
「ヴァレール伯爵家のアデルです。どうぞ、そのままで」
立ち上がろうとする彼女を、急いで止めた。
私も、起きたばかりだ。気分が悪くなったら、せっかく白くなった顔を楽しむどころではなくなる。
「ヴァレール伯爵家の……存じております」
ニーナ様の声が、先ほどより硬くなった。
家の名を聞かれると、こうなることがある。まだ何も話していないのに、私が何を言うのか、待たれてしまう。
「お肌、白く見えましたよね」
「はい」
彼女は小卓の鏡へ目をやり、ようやく笑ってくれた。
「家へ帰ってからも、このままだといいんですが。父にも見せたくて」
「私もです」
今度は、ニーナ様も私を見た。
「今日のために、お金を出してもらったんです。綺麗になったところを見てもらえたら、喜んでくれると思って」
「では、楽しみですね」
「はい。それに、商品にも……」
言いかけて、彼女は口を閉じた。
「お申し込みになったんですか?」
「はい。お返事は、まだなんですけれど」
「私も、お願いしました。このあと、肖像を撮っていただくんです」
ニーナ様が顔を上げた。
「もう、お決まりなんですね」
「先ほど、書面に名前を」
そこまで答えたとき、店員が戻ってきた。
「ニーナ様。お申し込みの件で、お伝えしたいことがございます」
彼女は鞄を脇へ置き直した。
私も、手元の鏡を小卓へ戻した。
これから同じところへ案内される。
そう思っていた。
「今回は、商品の採用を見送らせていただくこととなりました」
店員が差し出した紙を、ニーナ様は受け取った。
「……施術は、うまくいったんですよね?」
「はい。お肌には変化が出ております」
彼女は自分の頬へ触れた。
鏡を見なくても、私には分かる。入ってきたとき、あんなに喜んでいたのだから。
「では、何が足りなかったんでしょう」
「商品にお名前を載せる際は、ご家名も含めて審査しております。現在は、伯爵家以上のご令嬢を対象としておりまして」
伯爵家以上。
鞄の中の、申し込みの控えを思い出した。
家名を書いた。お嬢様でしたらと、すぐに言っていただけた。
肌を見て、選ばれたのではなかった。
「それは、申し込む前から決まっていたんですか?」
ニーナ様が尋ねた。
「はい。商品の価値を保つための基準でございます」
「でしたら、先に……」
声が途切れた。
彼女が私を見たので、何か答えなければと思った。
でも、私に聞いたのではない。
私が聞いているから、続けられなくなったのだ。
「ご希望に添えず、申し訳ございません」
店員が頭を下げ、ニーナ様も、つられるように頭を下げた。
「……分かりました」
「アデル様は、撮影の準備が整い次第、お呼びいたしますね」
ニーナ様へ頭を下げたのと同じ顔で、店員が私へ微笑んだ。
「はい」
返事だけが、すぐに出た。
*
店員がいなくなると、ニーナ様は紙を畳んだ。
受け取ったときの折り目に沿って、丁寧に。
何か話した方がいい。
けれど、さっきまで楽しみにしていた撮影の話は、もうできない。
「お肌は、とても綺麗になっていましたよ」
ニーナ様は顔を上げた。
「ありがとうございます」
笑ってくださった。
そこで、私は困ってしまった。
肌の話ではなかったのだ。
綺麗になっても駄目だと、たった今、言われたところなのに。
「父には、何と話そうかと思って」
彼女は、畳んだ紙を鞄へ収めた。
「商品になったら、一本買ってくれると約束していたんです。私が、そうなるかもしれないと話したものですから」
私も、お父様へ話すつもりだった。
今度は、私が選ばれたのだと。
その言葉が、まだ嬉しかった。
誰でもよいわけではない。
あの棚に名前が並ぶ人は、限られている。
ニーナ様の話を聞きながら、そんなことまで考えていた。
「アデル。お待たせ」
入口で、母が呼んだ。
後ろの店員が、撮影の部屋へ案内してくれるという。
立ち上がると、ニーナ様も鞄を持った。
「どうぞ、お掛けになっていてください」
「いえ。私も、もう帰りますので」
引き留める理由が、なかった。
一緒に撮りましょうとも、言えない。
「お話しくださって、ありがとうございました」
ニーナ様は、丁寧に頭を下げた。
「アデル様のお名前が付いた商品、楽しみにしております」
「……ありがとうございます」
先に言っていただいて、ようやく、答えられた。
*
撮影室では、付き添いのメイドが髪を整えてくれた。
魔道具の向こうで、職員が声を掛ける。
「お名前を載せるのが楽しみだと、お話しください」
私はうなずいた。
「私の名前で、ご紹介いただけることを嬉しく思います」
母が微笑んでいた。
撮影を終えると、選んだ肖像をお父様にも見せましょうと、私のそばへ来てくれた。
廊下へ出ると、休憩室の扉が開いていた。
ニーナ様の座っていた椅子は、空いている。
「男爵家では、駄目なんですって」
隣の母へ、小声で話した。
「提供者には、なれないそうです」
「そうなの?」
母は少し驚き、それから私へ笑いかけた。
「では、本当に選ばれたのね」
母は、嬉しそうだった。
私も、嬉しかった。
だから、ニーナ様に何と言えばよかったかは、母に聞けなかった。




