第六十二話 一件のお申し出
返品を受け付け、新たな出荷も止める。
それで済む話のはずだった。
販売担当から届いた報告に、司教は承認の印を押した。
伯爵家からの申し出だ。返金を惜しんで、騒ぎを大きくする必要はない。娘の名を冠した商品を、父親が買い求めた。それが行き違いだったというのなら、買った分を引き取れば足りる。
提供を受けた血が、無断で採られたわけではない。
署名もある。
そこまで確かめたうえで、販売を認めたのだ。何を責められる筋合いがある。
「ご本人への説明は、いつ行う」
向かいの職員が、書面から顔を上げた。
「まだ、お約束をいただけておりません。今後の連絡は書面にしてほしいと、伯爵様から」
「では、先に用意しなさい。何にご了承いただいたのか、分かるように」
職員が退室しようとしたところで、来客を告げる声がした。
「聖女様がお越しです」
同席していた大司教へ、司教は顔を向けた。
大司教も予定になかったらしく、筆を置いていた。
血を用いた商材については、しかるべき筋へ説明を済ませてある。
販売を始めてから、聖女が何を確認するというのか。
入ってきた聖女の手には、見覚えのある案内があった。
クラリスの名が、印刷されている。
神殿の象徴にすぎない聖女が、何をしに来たのか。
「こちらの件で、伺いました」
司教は、引き留めていた職員を帰した。
「ちょうど対応を進めていたところです。ご購入分は返品を受け付け、新たな出荷も止めております」
報告書を差し出した。
聖女は受け取らず、司教の向かいに座った。
「クラリス様から、直接お話を?」
「販売担当が、ご本人と伯爵様に対応しております」
「では、私が伺った内容をお伝えします」
隣のルチアが、書面を一枚置いた。
末尾に、名前がある。
リネ。
司教は口を引き結んだ。
また、あの店か。
相談があるなら、神殿へ来ればよかった。担当者が説明できたのだ。
それを、商いの事情も知らない店主に打ち明け、あまつさえ聖女の耳へ届ける。いつもいつも聖女に泣きつき、神殿の邪魔ばかりする。
「採った血は、捨てるものだと説明されたそうです」
「施術で不要となったものを、有効に用いるという説明だったのでしょう。商品開発への協力については、ご了承をいただいております」
「その説明と、売られているものを結びつけられなかったのですね」
「ですから、改めて説明するよう手配しております」
ここで聖女に止められては、その機会さえ失われる。
本人が何に驚き、何を誤解したのか。販売側にも、確かめる時間は必要だ。
聖女は、ルチアの置いた書面を、司教のほうへ寄せた。
「クラリス様は、署名したことを覚えていらっしゃいます」
それなら、なおさら説明はできる。
司教がそう口にする前に、聖女は続けた。
「それでも、売ってほしくないとおっしゃっています。血も、もう採られたくないと」
「追加の提供を強いることはございません」
「そのことは、どなたがお伝えに?」
司教は、手元の報告書へ目を落とした。
新たな提供を、求めてはいない。
求めていない以上、断る必要もないはずだ。お願いをするだけだ。案内にも、そう書かせてある。
だが、報告書には書かれていなかった。
本人へ何を伝えたのか。その一言を探されれば、答えられない。
「担当者に確認いたします」
「では、その確認が済むまでは、こちらでお預かりします」
何を勝手に。
返品を受け、新たな出荷も止めた。伯爵家だからこそ、販売側にも急いで対応させたのだ。
その最中に来て、話は自分が預かるという。これでは、こちらの対応では足りなかったと、伯爵に受け取られる。聖女が出てきて、ようやく神殿が動いたと。
「対応は、すでに進めております」
「ええ。報告は伺いました」
分かっていて、取り上げるのか。
「でしたら、担当者からの回答をお待ちいただきたい。こちらにも、確認すべきことがございます」
「クラリス様も、その回答を待っていらっしゃいます」
まるで、こちらが待たせてばかりいるようではないか。
クラリスの言う通りにすべて回収すれば、売った店には何と説明する。
了承を得ていると案内したのは、この部門だ。なぜ今さら止めるのかと問われるのは、自分なのだ。聖女は、クラリス一人を引き取ればよい。残った店も、商品も、こちらが抱えるというのに。
司教は、大司教を見た。
ここで認めれば、次も同じことになる。
大司教は、報告書を手に取った。
「販売側には、すでに対応を命じております。連絡先を変えては、かえって混乱を招きましょう」
「私の認定店に助けを求められた方ですよ」
大司教が、書面を読み直した。
司教も、その先を追った。
案内を持って来店。
店では取り扱わないでほしいと申し出た。
父親には、まだ伝えられていない。
そのあとで伯爵から連絡が入ったのなら、娘は家へ帰って、話したのだ。
店へ相談し、父親にも伝え、それでも収まらず、聖女まで出てきた。
あの店主が、余計なことを言わなければ。
司教は、重ねられた商品の案内へ目をやった。
「ほかの商品についても、同様の対応をお求めですか」
聖女は、重なった案内を見たまま尋ねた。
クラリスのものの下に、別の令嬢の商品も置かれていた。
「ほかにも、お申し出が?」
「ございません。購入された方からは、ご好評をいただいております」
「提供された方からは?」
「……現時点では、何も」
聖女は、それ以上、尋ねなかった。
「まずは、クラリス様のお話を進めましょう」
すべての販売を止めろ、という話ではないらしい。
司教は、大司教の返事を待った。
大司教は、クラリスの案内だけを抜き出した。
「この一件に限り、聖女様にご対応いただく。それでよろしいですかな」
「ええ。今後のご連絡はルチアへ。返金については、そのまま進めてください」
認めるのか。
ここまで対応させておいて。
大司教は、もう聖女と話している。
司教は、報告書に書き加えた。
対応を移管。
販売側からの直接の連絡は控えること。
先ほど承認したばかりの指示を、また書き直さなければならなかった。
*
聖女を見送ると、司教は、残された案内を揃えた。
取扱店への説明は、自分がする。
なぜ出荷を止めたのか。いつ再開できるのか。問い合わせが来れば、聖女の返事を待ちながら答えなければならない。
「販売担当には、私から伝えます」
大司教は返事をせず、ルチアの置いていった書面を読んでいた。
「お預かりいただけるのであれば、こちらから説明を重ねる必要もなくなります。伯爵様にも、そのように――」
「相談室へ確認しなさい」
「何をでしょうか」
「血の提供について、話しに来た者がいないか」
司教は、大司教を見た。
「同様の申し出は、届いておりません」
「販売担当には、だろう」
訂正されて、腹の底が重くなった。
ほかにも、いるというのか。
こちらへ知らせず、相談室で話を済ませている者が。今度は誰の名を携えて、聖女が来る。
「報告は、私のところへ持ってきなさい」
「聖女様には?」
司教が尋ねると、大司教は、報告書から目を上げずに答えた。
「まず、私が読む」
司教はうなずいた。
次の件まで、あの店を通して知らされてはたまらない。
机に残った案内の、令嬢たちの顔を、一人ずつ見た。
名前が付いているから、辿られる。
名前さえ付いていなければ、これはただの瓶だ。




