第六十話 娘の名前
書きたいところにようやく辿り着きました。
是非、これからも呼んでいたけるど嬉しいです。
馬車の中で、何度も説明を考えた。
お父様。私の血が、売られているんです。
これでは、何の話か分からない。
まず、施術を受けたことからお伝えしなければ。綺麗になりたかったこと。神殿認定のお店なら、大丈夫だと思ったこと。
帰りにふらついたことも話せば、なぜ相談しなかったと叱られるだろう。
それでも、話すつもりだった。知らない人の手へ渡る血を、これ以上、増やしてほしくなかった。
「クラリス。ちょうどよかった」
帰宅した私を、お父様が広間へ呼び入れた。
「見てごらん。お前の名前が付いた商品だ」
机に、小箱が並んでいた。
付き添いの女性の鞄にも、友人からもらった一つが入っている。使用人が、箱を一つずつ、家の紋章の入った手提げ袋へ収めていた。
「今夜のお客様に、お渡ししようと思ってな」
お父様の手には、私の顔が載った案内があった。
ここにも、あった。
家へ帰れば、何も知らないお父様に、一から説明するつもりでいた。
そのお父様が、もう買っている。
「神殿が認めた品だそうだ。お前が世話になった店なら、応援してやらんと」
嬉しそうだった。
小さい頃、刺繍を褒めてくださったときも、こんなふうに笑っていた。
来客に見せようと広間へ飾ってくださり、私は何度も、その前を通った。あのときは、早くお客様が来てほしかった。
今夜は、来てほしくない。
「……それは、配らないでいただきたいんです」
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
ただ、やめてほしいと頼むだけでは足りない。
理由を話さなければ、お父様は箱をしまってくださらない。
「その中身が、何かご存じですか」
「美容に使うものだろう。詳しくは聞かなかったが――」
「私の血です」
お父様が、私を見た。
こんな言い方をするつもりではなかった。
馬車の中では、もっと順序よく話せるように考えたのに。
「……何だって?」
「施術で抜かれた血が、入っているそうです」
付き添いから小箱を受け取り、蓋を開けた。
「その、全部に」
机の上を示すと、お父様は瓶を一つ取り上げ、札の名前を読んだ。
「お前から取ったものなのか」
「はい。処分すると聞いていたんですが、商品にしたそうです」
「どうして、血を取らせたりしたんだ」
箱の中へ目を落とした。
聞かれることは、分かっていた。綺麗になりたかったと答えたら、そんなことのためにと、呆れられる。
「肌が白く見えると、勧められたんです」
「そんな理由で、身体から血を抜いたのか?」
はい、と答えるのが恥ずかしかった。
新しい施術だと説明された。
ほかの方も受けていると聞いた。
けれど、何を言っても、最後に受けると決めたのは私だった。
お父様の顔を、見られない。
そんなことをした私が悪いと、思われてしまっただろうか。血を売られるのが嫌だと訴える前に、その話になってしまうのだろうか。
「今は、何ともないんだな?」
「……はい」
ふらついたことは、言わずに済ませたかった。
そこまで話したら、ますます、お父様が私を見る目が変わってしまう。
「施術のあとは、ご気分が優れず、馬車でお休みになっていました」
付き添いの女性が答えた。
あの日、目の前が白くなっていった感覚がよみがえって、指先が冷たくなった。
「いつの話だ」
付き添いが日付を答えると、お父様は私へ向き直った。
「あの日、夕食に出てこなかったのは、そのせいか」
「少し休めば、よくなると言われましたから」
だから、今は大丈夫だと、もう一度伝えた。
これ以上、施術の話をしたくなかった。
あの日に戻れるなら、私だって受けない。でも、もう戻れない。自分で受けると決めておいて、困ったらお父様に助けてほしいなんて。
「お父様。お願いですから、配らないでください」
「分かった」
お父様は、使用人へ向き直った。
「袋には入れなくていい。すべてしまってくれ」
箱が、袋から取り出されていく。
よかった。
今夜、私の知らない方へ渡されることはない。
お父様も瓶を置いた。
案内を脇へ寄せ、そのまま別の話に移ってしまいそうで、私は慌てて口を開いた。
「ほかのお店でも、売られているんです」
「店には、もう話したのか?」
「はい。説明書に書いてあると言われました」
手元に残した説明書の写しを出した。
見ていただくのが、怖かった。
同じ一行を読んで、お父様も、お店の方と同じ返事をしたら。それでも、隠しておくわけにはいかなかった。
「ここに、名前を書いたのか」
「……はい」
自分の名前の形を、覚えている。
施術を受けたあと、綺麗になった感想を聞いていただけるのだと思っていた。あのときは、署名をためらわなかった。
「売っていいとは、言っていません」
お父様が黙っているので、続けた。
「研究にも役立てると伺いました。でも、血を売るとは聞いていません。感想を紹介するというお話だったんです」
「分かっている」
本当に、分かってくださったのだろうか。
友人も、お店の方も、私が知らなかったという話は聞いてくれた。
けれど、返ってきたのは、気にしなくていいという言葉だけで、何も変わらなかった。
お父様が箱をしまわせてくださったことは、嬉しい。
それでも、明日も私は、外であの瓶を見るかもしれない。
「私の名前を紹介してくださるなら、ほかのものにしてください。これだけは、嫌なんです」
「だから、今夜は出さないよ」
「今夜だけではなくて」
思ったより大きな声が出た。
お父様が、私を見た。
こんなふうに言い返したことは、ほとんどなかった。
言い方を直さなければ。お願いしているのは私なのだから。でも、今引っ込めたら、今夜のことだけで終わってしまう。
「どこでも、売ってほしくないんです」
机へ戻された瓶に、自分の名前が見えていた。
「知らない方が買って、使って……友人にも、私が勧めたものだと思われました。違うと伝えても、名前があるからって」
話しているうちに、お父様の顔が見えなくなった。
泣きたくなかった。困らせて、言うことを聞いていただきたいわけではない。
「私の血なんです。お父様が買ってくださった分だけでは、ないんです」
お父様は、しばらく何も言わなかった。
説明は、間違っていないはずだった。
今度は、言いたいことを全部話した。
「……喜ぶと思っていたんだ」
お父様の声がした。
「今夜、お前から紹介してもらおうと」
あの袋は、そのために用意されたものだった。
お父様の隣で、私がお客様へ箱をお渡しする。
ありがとうございますと言われて、私も笑う。
何も知らなければ、できた。
「私も……喜べたら、よかったんですが」
「いや」
お父様は、商品の案内を手元へ戻した。
「お前が謝ることではない」
注文先を確かめ、通信魔道具を引き寄せる。
私は顔を拭いた。
まだ、お父様のそばを離れたくなかった。
「商品について伺いたい」
返事が聞こえると、お父様は私を一度見た。
「クラリスの父だ。娘の名前で、何本売った?」




