第五十八話 捨てるはずのもの
「こちらでは、この商品を扱っていらっしゃいますか?」
クラリスさんは、勧めた椅子に座る前に、そう尋ねた。
今朝、お手入れの相談を予約してくださったお客様だった。
白い帽子を外してからも、視線は商品棚ばかりを探している。普段使いのものをお探しなのだろうと、私は思っていた。
付き添いの女性が鞄から小箱を取り出した。
クラリスさんは自分で受け取り、蓋を開けた。
赤い液体の入った瓶だった。
首には、金色の札が結ばれている。
「いいえ。当店では扱っておりません」
「そうですか……」
そこで、ようやく椅子に腰を下ろした。
「その商品について、ご相談でしょうか」
「はい。私の血が入っているんです」
次の言葉を待った。
商品の名前を聞き間違えたのかと思った。
けれど、クラリスさんは瓶の札をこちらへ向けた。
ご本人の名前があった。
血が入っている。それも、目の前の方の。
赤い液体から目を離せないまま、息をするのを忘れていた。
「私から抜いた血を、使ったそうです」
お手入れのために、神殿認定のお店で血を抜いたのだという。肌を白く見せられると勧められたそうだ。
クラリスさんは、人ごとのように淡々と話した。
袖に隠れた腕へ、目が向いた。
あの下に針が入り、瓶に詰められるほどの量が抜かれたのだ。考えただけで、自分の腕の内側が冷えた。
具合を尋ねると、少しふらついた、と小さく頷かれた。
少し、で済んだのだろうか。血の気が引いて、立てなくなってもおかしくないのに。
休めば大丈夫だと言われ、その日は馬車で帰ったという。付き添いの女性がいたからよかったものの、ふらつく身体のまま、お客様を帰した店があったのだ。
今はもう平気だと、クラリスさんは付け加えた。
「ただ……取ったものは、処分すると聞いていたんです」
処分するはずのものが、瓶に詰められて、ここにある。
小箱が、私たちの間に置かれていた。
クラリスさんは、瓶には触れない。自分のものだと思いたくないのか、思えないのか。
「こちらを、お買いになったのですか」
「友人からいただきました。私のものだから、私にも使ってほしいと」
クラリスさんは、瓶を見たまま続けた。
「とても良いものを分けてくださったのねって、喜んでくれて……」
お礼を言うために、開けた箱だったのだ。
「私が勧めたわけではないと、お話ししたんです。でも、こちらにも名前が載っているからと」
付き添いの女性が、商品の案内を差し出した。
瓶の絵の隣に、クラリスさんの肖像がある。
家名と名前。その下に、短い紹介文が添えられていた。
〈高貴な若き女性から得られる、美の恵み。〉
「施術を受けた感想を紹介してもよいかと、聞かれたんです。それなら構いませんと、お答えしました」
私も、お客様に感想をお願いすることがある。
自分が答えた言葉の隣に、知らない商品が載っていたら。
違うと伝えても、笑っている自分の顔まである。
「お店には、もうお尋ねになりましたか」
「はい。こちらに書いてあるでしょうと、言われました」
今度は、施術の説明書だった。
クラリスさんは折り目を開き、そのまま私へ差し出した。
〈施術で得られたものを、美容に関する研究や商品開発へ利用する場合があります。〉
下には、彼女の署名がある。
「研究にも役立つと伺いました。それならと思ったんです。けれど、売るとは……私の名前まで使うとは、聞いていません」
商品開発。
書いてはある。署名も、ある。
嘘は、どこにも書かれていない。
それなのに、胸の奥がざわついて、文字を追う目が止まらなかった。
以前の私なら、これを示していた。
「説明書をお渡ししました」
「ご了承いただいています」
「こちらにも、お名前をいただいていますから」
お客様が何を聞いたつもりで、どこまで分かって名前を書いたのか。
確かめるより先に、そう答えていた。
「署名をしたのは、私ですけれど」
顔を上げた。
クラリスさんは、私の返事を待っていた。
私が黙って読んでいたから、この人も同じことを言うのだと思わせてしまったのだ。だから先に、ご自分で言ったのだ。
「……処分すると、お聞きになっていたんですよね」
「はい」
「研究に使うという説明は、血についてのお話でしたか?」
「施術の結果を、今後の研究にも役立てたいと。それで、感想もお話ししたんです」
もう一度、説明書へ目を落とした。
〈施術で得られたもの〉。
血、という言葉は、どこにも書かれていなかった。
この一行を、彼女は施術の結果や感想のことだと受け取った。
そして私は今、その受け取り方を聞いている。
「それでしたら、ご自分の血が売られると思わなかったのは、当然です」
「私が、ちゃんと読んでいれば……」
「私も、今お聞きするまで、何を研究に使うのか分かりませんでした」
契約としてどう扱われるのかまでは、答えられない。
けれど、名前が書いてあるというだけで、この方が分かった上で同意したとは言えなかった。
「友人にも、そうお話ししたんです」
クラリスさんは、商品の案内を見た。
「でも、怒らせてしまって。せっかく選んだのにって……」
案内の中では、彼女が微笑んでいる。
「その方も、ご存じなかったんですね」
「はい。私が嫌がるとは思わなかったそうです」
贈ってくれた人にまで、嫌な思いをさせた。
そんなふうに、ご自分のしたことを話している。この瓶を作った人も、案内に顔を載せた人も、ここにはいないのに。
「こちらも、神殿に認められたお店でしょう」
クラリスさんが言った。
「もし扱っていらしたら、ここでも同じ説明をされると思って……」
「当店では、使いません」
説明書から手を離した。
「今後、入ってくることも?」
「販売もしません」
「……よかった」
クラリスさんは小箱の蓋を閉じ、付き添いの女性へ渡した。
「しまっておいて」
そこで初めて、私の方へ椅子を向け直した。
「お手入れのご相談なのに、申し訳ありません」
「いいえ。お話しくださって、ありがとうございます」
肌を見せる前に、確かめておきたかったのだ。
ここでは、自分に何を使うのか。
普段のお手入れについて尋ねようとしたとき、受付の魔道具が鳴った。
聖女様からのお返事だろうか。
マルタさんが画面を確かめる。
私はクラリスさんへ向き直りかけたが、受付から聞こえた言葉に動きを止めた。
「リネさん。神殿から、新しい商材のご案内が来ています」
「あとで――」
「若い貴族の女性から得られる、美の恵みと……」
クラリスさんが、小さく息をのんだ。




