第五十六話 助けてくれた人
入口の鐘が鳴ったとき、私はまだ聖女様からの返事を確かめていた。
「おはようございます」
白い法衣を着た男が、戸口で会釈した。
誰なの……?
聖女様の使いなら、事前に連絡は来るはずだ。今も魔道具に返事がないことは確認している。
「昨日、マルタさんと面談をした者です」
聖女様の使いじゃない。
目の前の男は戸口に立ったまま、こちらの反応を伺っている。
どうしたらいいの。何をしにきたの。
奥へ逃げ込むことはできる。けれど、法衣を着た人を、何もされていないうちから避けたら。神殿を侮辱したと言われるかもしれない。
まだ、挨拶をされただけだ。
「今日は、どのようなご用事でしょうか」
声は震えてないだろうか。目の前の男が何をしてくるかわからない以上、こちらも動くことはできない。
男は戸口から動かず、笑顔のまま答えた。
「マルタさんから、リネさんが苦しんでいると伺いまして」
やられた。まさか、マルタさんがこの男を呼ぶとは考えてもいなかった。聖女様にお願いすれば、どうにかしていただけると思っていた。返事を待っている間に、お店に乗り込まれるとは想像もしていなかった。
「気に掛けていただき、ありがとうございます。しかし、本日はご予約の方もいらっしゃいますので、どうぞお引き取りください」
精一杯の声で、退店を促した。
お客様のご予約があることは、嘘ではない。これなら、神殿への侮辱には当たらない。
震える手をテーブルの陰へ隠した。片手には魔道具を持ち、いつでも聖女様へ連絡できるようにしておく。
「では、お仕事の終わる頃に、改めて伺いましょうか」
違う。そういうことではない。
今日の仕事が終わったら、またこの人が来る。お客様も帰って、店を閉めようとしたところへ。
「いえ。こちらから、ご連絡しますので」
「ご無理をなさらないでください。マルタさんも、随分と心配しておられましたよ」
帰ってくれない。
お引き取りくださいと、ちゃんと言った。聞こえなかったはずはないのに。
テーブルの陰で、魔道具へ指を当てた。
聖女様の名前は、さっきまで見ていた画面にある。けれど、男から目を離して、確かめることができなかった。
「私がお話を伺いますから」
「聖女様に……聖女様に、すでにご相談しています」
口にした途端、男の笑顔が気になった。
言ってよかったのか。何を相談したか、聞かれたら。
「聖女様に、ですか」
「はい。お返事を待っています」
男は何も言わなかった。
早く、何か言って。
帰りますと、それだけ言ってくれればいい。
「そうでしたか。それでは、私からのお話は控えましょう」
男が頭を下げた。
ようやく、その身体が戸口の外へ向いた。
「マルタさんに、よろしくお伝えください」
返事をしようとしたけれど、声にならなかった。
男が外から扉を閉める。窓の前を、白い法衣が通り過ぎていった。
もう、見えない。
それでも、魔道具をテーブルへ戻すことはできなかった。
*
聖女様への連絡に、男が来たことを書いた。
今、お店にいらっしゃいます。
そこまで打ってから、消した。
もう帰った。帰っていただいた。何をされたわけでもない。
何も、されていない。
昨日の面談をした人だと聞いて、用件を尋ねて、お帰りいただくようお願いした。さっきまでのやり取りを思い返す。全部、覚えている。
それでも、早く返事が欲しかった。
〈マルタさんと面談をしたという方が、お店へ来ました。お帰りいただきましたが、また来ると言われました。〉
送ってから、入口を見た。
鍵を掛けておこうか。まだお客様が来る時間ではない。
そのとき、鐘が鳴った。
「おはようございます」
マルタさんだった。
開いた扉の向こうを確かめる。彼女一人だった。
「あの方、もういらっしゃいましたか?」
マルタさんは私を見つけると、少し顔を明るくした。
「……はい」
「お話しできました? 急にお願いしてしまったんですが、来てくださると仰ったので」
「お断りしました」
「そうでしたか。ご予約までには、まだ――」
「もう、呼ばないでください!」
彼女が口を閉じた。
「私に、何も聞かずに……あの方を、ここへ呼ばないでください!」
自分でも驚くような声が出た。心臓がバクバクと鳴り、うるさい。
「……申し訳ありません」
マルタさんの声が小さくなった。
何をそんなに怒っているのか、分からないようだった。
「リネさんにも、楽になっていただけたらと思ったんです」
その言葉を、昨日も聞いた。
あの人なら、私も思い出せるはずだと。
「私は、会いたくありません」
言ってから、入口へ目が向いた。
マルタさんは気づかなかったのか、頭を下げたままだった。
「……分かりました」
もう一度謝って、鞄を置きに奥へ向かう。
私は受付から出て、扉のそばまで行った。
窓から通りを見渡す。荷車が通り、向かいの店で看板が出された。男の姿はなかった。




