第五十四話 確かめに行った人
「明日でしたら、私も一緒に伺えます」
セラさんはそう言って、相談室の連絡先を見せてくれた。
受付の時刻と、担当者の名前が書かれている。
マルタさんが身を寄せて、それを読んだ。
「お二人の記憶が違うことも、あの方に聞いていただきましょう。私からお願いしておきます」
「……はい。私からも、お話ししたいです」
マルタさんは、まだセラさんを見ていた。
「謝っていないことも、伝えます」
セラさんの笑みが、少しだけ薄くなった。
けれど、今度は言い返さずに頷いた。
「では、明日。私が迎えに来ますね」
*
翌朝、マルタさんはいつもの上着を着ずに、手帳を開いていた。
相談室には、午前中の時間を取ってもらえたという。
私がその日の予約帳を開くと、彼女が先に言った。
「私だけで、大丈夫です」
「でも、私もあの場にいましたから」
「はい。ですから、お二人とも一緒にいらっしゃったと伝えます」
リネさんもいた。
セラさんは、昨日もそう言った。
同じ言葉でも、私の覚えていることとは違っていた。
「三人でお話しした方が、確かめられることもあると思います。別の日にしていただけないでしょうか」
マルタさんは、手帳へ目を戻した。
「昨日も、謝れませんでした」
開いた頁を、指で押さえている。
「もういいと仰ってくださって。でも、私、何も言えていないんです」
「……はい」
「セラさんが聞いてくださるなら、今日、お話ししたいです。あの方が間に入ってくださるなら、今度こそ」
今日こそ。
その言葉に、私は昨日の彼女を思い出した。
お詫びをさせてくださいと立ったまま伝え、もういいと言われても、まだ何もと続けようとしていた。
私は、記憶の違いを確かめたかった。
マルタさんは、謝りたかった。
それなら後日にしましょうと、同じことのように言ってしまった。
今日の予約を動かせないかと、時刻を見直す。
これから来るお客様へ、理由も言わずに変更をお願いするの。
そこまで考えて、予約帳を閉じた。
相談室の人を、私は知らない。
何を話すと記憶が戻るのかも分からない。
けれど、この人なら聞いてもらえると、セラさんは自分から紹介してくれた。
そこへ行かないでほしい。
私が分からないままでいるから、あなたも待っていてほしい。
そう頼めば、マルタさんは手帳を閉じてくれる。
今度も私に合わせてくれると思うと、引き止める言葉が出なかった。
「終わったら、連絡をください。どんなお話をしたか、私にも聞かせてくださいね」
マルタさんが顔を上げ、頷いた。
迎えに来たセラさんと並んで店を出るとき、彼女は一度だけ鞄を開いた。
手帳が入っているのを確かめ、留め具を閉じる。
私は二人の背中が角を曲がるまで見送った。
*
午前のお客様を見送り、使った布を片付けていると、魔道具に連絡が入った。
〈終わりました。これから戻ります。〉
私はすぐに返事を送った。
どうでしたか、と続けかけて消す。
帰ってから、聞けばいい。
ちゃんと謝れました。
そう言って戻ってきてくれたら、今度は私も、よかったと言える。
セラさんが聞いてくださったことを喜んで、昨日言えなかったことも二人で話せる。
相談室の人には、謝罪の映像についても話が通じたの。
私も同席していたと聞いて、何か気づいてくれたことはあったの。
マルタさんが戻れば聞けることを、何度も頭の中で並べた。
戸口の鐘が鳴るたびに、顔を上げた。
マルタさんが戻ってきたのは、昼前だった。
「戻りました」
私を見つけると、少し笑った。
「セラさんは?」
「お帰りになりました。またお手入れに来ますと仰っていました」
彼女は受付の奥へ鞄を置いた。
朝は手帳を忘れていないか確かめていたのに、今はもう取り出そうともしない。
「ちゃんと、お話しできました」
「謝罪のことも?」
「はい。リネさん、すみませんでした」
なぜ、私に謝るの。
「忘れていたのは、私の方でした」
手に持っていた布が、籠の縁に引っかかった。
私は入れ直さずに、マルタさんを見た。
「あの日、セラさんがお帰りになる前に、ちゃんと謝っていたんです」
「……今日、ではなくて?」
「はい。今日もお詫びしましたけれど、何度も謝らなくていいと仰ってくださって」
マルタさんは椅子に掛けてあった上着を取った。
「傷つけてしまったことも、帰したくないと思ってしまったことも、お話ししました。泣いてしまって、うまく言えなかったところもありましたけど……」
袖へ腕を通す。
私が何も言わない間に、もう片方も通った。
「セラさんは、聞いてくださっていたんですね」
その顔を、私は知っている。
分からなかったことを教わって、ようやく納得できたときの顔だった。
ちゃんと謝れたのなら、喜ぼうと思っていた。
けれど、私が聞きたかったのは、今日の話だった。
あの夜も謝っていたのだと言われても、どこへ置けばいいのか分からない。
さっきまで用意していた返事が、何も使えなかった。
「マルタさん。ここを出る前には、謝っていないと仰っていましたよね」
「はい。思い出せなくて、何度も同じことを言ってしまいました」
あれを、忘れていたと言うの。
手帳を開いて、今日こそ謝りたいと話した。
私はそれを聞いて、見送ったばかりだった。
「私も一緒にいました。セラさんが帰るまでは、泣いてもいませんでした」
マルタさんの指が、上着の留め具で止まった。
「でも、覚えているんです」
責められたと思ったのか、声が小さくなった。
「リネさんが、話し終わるまで待ってくださったことも。セラさんが帰ったあとで、布を渡してくださったことも」
布は、渡した。
帰してあげればよかったと泣く彼女へ、私が差し出した。
顔を押さえても声が漏れて、私の言葉も、うまく聞こえていなかった。
あのときも、今も、私は何と言えばよかったの。
マルタさんがセラさんと笑って話せるようになってほしかった。
あのままずっと、自分を責めてほしかったわけではない。
それでも、あんなふうに泣いたことを、思い出せなかったせいにされるのは嫌だった。
私が聞いた後悔も、もう間違いの一つになる。
セラさんだけなら、マルタさんと二人で確かめられた。
今、そのマルタさんも、私には見えていない出来事を覚えている。
泣きながら話してくれた人が、目の前にいる。
あの話をしたでしょうと尋ねても、もう、一緒に頷いてはくれない。
「神殿では、どんなふうにお話しされたんですか?」
「私が謝っていないと言ったら、最初から話してみましょうと。店にいらっしゃったところから、何を言われて、私が何を答えたか、一緒に……」
マルタさんが、私の顔を見た。
「リネさんも、一度、お話を聞いてもらいませんか?」
セラさんも、勧めてくれた。
とてもよく聞いてくださる人だと。
「私、ずっと謝れなかったと思っていたから。確かめに行って、よかったです」
マルタさんは留め具を留め終え、鞄から手帳を取り出した。
「何か、しておくことはありますか?」
午後に使う道具を、用意してもらうつもりだった。
教えれば書き留めて、分からないところは聞き返してくれる。
いつものように、次の頁を開いて待っている。
私が何も言わないので、マルタさんが顔を上げた。
「大丈夫です。あの方なら、リネさんも思い出せると思います」




