第五十二話 覚えている人
会計を終えたお客様が、入口のそばで足を止めた。
「リネさん。お店のこと、紹介されてますよ」
通りの向こうのスクリーンに、店の名前が出ていた。
私は受付を離れ、お客様の隣へ行った。
映っていたのは、セラさんだった。
「……あ」
少し緊張したように座っている。それでも、話し始める前に小さく笑った。
あんな顔も、できるんだ。
先日、ここで私を見た顔が、ずっと気になっていた。
商品は使い続けたいと言ってくれたけれど、次も来てくださるかは分からなかった。あの日から連絡もなく、私からも何も送れずにいた。
『私は、お店の施術で肌を傷つけられました。そのあと、心蝕暴走を起こして……仕事にも行けなくなったんです』
さっきの笑顔が消えた。
『私が何をされたか、知ってるじゃないですか』
あの日、そう言われた。
私を頼って来てくれた人に、何も伝えなかった。
マルタさんを雇ったことも、ここにいることも。
また、その話をされる。
隣のお客様には、何と説明すればいいの。
『でも、神殿で助けていただきました。今は、仕事も紹介していただいています』
画面に、神殿ギルドの印が出た。
『マルタさんも、直接謝ってくださったんです』
……謝った?
『最初は、不安でした。でも、リネさんが一緒に話を聞いてくださって』
私の名前だった。
セラさんは、覚えのない出来事を、あの日と同じ声で話していた。
『マルタさんも、これからは同じことをしないために学び直したいと。その気持ちを聞けて、よかったと思っています』
セラさんが笑った。
『今は、お二人にお願いしてよかったと思っています』
映像が、店の商品棚へ切り替わる。
その前に、マルタさんが立っていた。
『こちらで、学び直す機会をいただきました』
あの日、最初に話した言葉だった。
帰りたいと仰ったお客様を帰さなかった。その続きを撮影されたことも、私は覚えている。
けれど、マルタさんの映像は、そこで終わった。
「あ、この方。さっき商品を用意してくれましたよね?」
「……はい」
「謝罪を受け入れてもらえたんですね。よかったですね」
お客様が、笑いかけてくれた。
よかった。
私も、そう言えたら。
マルタさんは謝っていない。
セラさんも、あんなふうに笑って帰ったのではなかった。
「リネさん?」
「すみません。少し、確かめたいことがあって……」
お客様を見送る間に、スクリーンは次の商品の案内へ変わっていた。
先ほどの映像を見た人たちも、通りを歩いていく。
あの人たちには、謝罪が済んだ店になる。
*
「マルタさん。あの日から、セラさんと会いましたか?」
奥で片付けをしていた彼女が、顔を上げた。
「……いいえ」
私は窓の前へ来てもらった。
しばらく待つと、同じ映像が流れ始めた。
セラさんの話が終わっても、マルタさんは画面を見ていた。
「私、謝っていません」
「はい」
「謝りたかったです。でも、あの日は……言えませんでした」
隣に立つ彼女の声が、小さくなった。
私も、あの場にいた。
謝罪を聞き逃したのではない。マルタさんは何も言えなくなり、セラさんは私から商品を受け取って帰った。
あれから別の場所で会ったのでなければ、いつの話なの。
私は魔道具を取り、セラさんへの通話を開いた。
*
「リネさん?」
「突然、すみません。今、お話ししても大丈夫ですか?」
「ええ。どうしました?」
「神殿の紹介を、見ました」
「ああ……私、変なことを言ってませんでしたか?」
少し恥ずかしそうな声だった。
「緊張してしまって。ちゃんと話せていたか、気になっていたんです」
撮られた言葉を、変えられたのかと思っていた。
けれど、セラさんは、何を話したかも覚えているようだった。
「映像では、私も一緒に謝罪を聞いたと仰っていましたが……」
「ええ。リネさんがいてくださって、よかったです」
迷いのない返事だった。
取材のとき、何か行き違いがあったのではないか。
そう尋ねるつもりでいた。
その前に、セラさん自身が、私もいたと言ってくれる。
「あの日、お仕事には戻れないと、お話しされていましたよね」
「そうですね。それは、今も同じです」
そこは、変わっていなかった。
「でも、マルタさんが謝ってくれたことで、胸のつかえが取れたような気がします。お会いするまでは、あの人の顔を見るのも嫌だったのに」
よかった、と言いかけた。
この人は、楽になったと言っている。
私が覚えていることを話せば、それも違うと言うことになるの。
「……リネさん?」
隣では、マルタさんも返事を待っていた。
私を見つめたまま、何も言わずに。
「私が覚えているお話とは、違うんです」
通話の向こうが静かになった。
「……どういうことですか?」
「マルタさんから謝罪があったことを、私は覚えていません。あの日は、そのお話ができないまま、セラさんがお帰りになったと思っていました」
言い終えてからも、返事がなかった。
やがて、セラさんが、戸惑った声で尋ねた。
「覚えていないんですか?」
「……はい」
「私、覚えていますよ。リネさんが隣に座ってくださったことも、マルタさんが泣いていたことも」
私は、マルタさんを見た。
彼女が泣いたのは、セラさんが帰ったあとだった。




