第五十一話 用意された言葉
取材の日の朝、マルタさんは手帳を鞄へしまう前に、もう一度開いた。
「話す順番、決まりましたか?」
「……はい。長くなりすぎないように、まとめてきました」
取材を受けると返事をしたあとも、あの男の言葉が引っかかっていた。
大通りを通ると、誰にも話していなかった。それなのに、知っていた。
あの人に、マルタさんを任せていいの。
でも、彼女は自分の言葉で話したいと言った。
そのために、昨日も仕事を終えてから手帳を書き直していた。私も、紹介したい商品を選んだ。
撮影には、私も立ち会う。
困ることを言われたら、その場で止めればいい。
そう考えて受けた取材だった。
私は商品を受付へ並べ、彼女が読み終えるのを待った。
神殿ギルドの二人が来たのは、それから間もなくだった。
先日の担当者が撮影の流れを説明し、もう一人が商品棚の前へ記録用の魔道具を据える。街のスクリーンで流すため、まずはマルタさんの話から撮るという。
「では、こちらをお願いします」
渡されたのは、一枚の紙だった。
〈神殿ギルドのご指導と、聖女様のお力添えにより、もう一度、お客様に向き合う機会をいただきました。〉
〈現在は、聖女認定店で正しい知識を学び、安心して施術を受けていただけるよう努めています。〉
横から読むと、その先にも、支援を受けたことへの感謝が続いていた。
「話しやすいよう、文章を用意してまいりました。言い方は変えていただいて構いません」
「……自分で、話してもいいですか?」
マルタさんが尋ねた。
「もちろんです。まずは、こちらで働く機会を得たお気持ちからお願いします」
彼女は手帳を受付に置き、商品棚の前へ立った。
私も、魔道具に映らない位置まで下がる。
中央に、小さな光が灯った。
「どうぞ」
「こちらで、学び直す機会をいただきました」
声が硬かった。
マルタさんは一度息を継ぎ、続けた。
「リネさんには、毎日教えていただいています。肌の状態を確かめることや、お客様が痛いと仰ったときは、手を止めることを……」
担当者が頷く。
「以前の私は、お客様のお話を聞いているつもりで、聞いていませんでした。帰りたいと仰ったお客様を、私は帰しませんでした」
「一度、止めましょう」
記録用の光が消えた。
「今回は、過去の対応についてお話しいただく取材ではありません」
「でも、それをしないために、ここで学んでいるんです」
「ええ。ただ、放送できる時間には限りがありますので。今、努力されていることを中心にお願いします」
マルタさんは、まだ話の途中だった。
昨日も、どこから説明すれば伝わるかと悩んでいた。聞いてほしいことを、ようやく口にできたところなのに。
「このあと、今のお仕事について伺います。まずは、お渡しした文章に沿ってお話しいただけますか」
「……今、話したことは、使われないんですか?」
「今回の趣旨から外れますので」
男は、彼女が持つ紙を示した。
「そちらでしたら、皆様にも分かりやすく伝わります」
マルタさんが、文章を読み直す。
私も、同じ紙を見た。
処分されたあとも支援を受け、今は認定店で働いている。それだけなら、確かに分かりやすい。
けれど、これを見たセラさんは、どう思うの。
マルタさんは、帰さなかったことを話そうとした。
そこを流さずに、今は安心して施術を受けられると伝えるのは、嫌だった。
「今のお話も放送してくれませんか?」
「リネさん。過去の件については、すでに神殿ギルドから発表しております。今回は、その後の取り組みをご紹介する取材です」
「ですが、マルタさん自身が――」
「もう一度、お願いします。最初の二行だけでも結構です」
男がマルタさんへ向き直る。
「そのあとで、お仕事のお話を伺いましょう」
彼女は、私を見た。
止めた方がいいと思いながら、私はすぐに声を出せなかった。
この二行を読めば、先へ進める。
そのあとに、話したいことを聞いてもらえるのなら。
「……これを読めば、流していただけるんですよね」
「はい。こちらで働いていることも、皆様にお伝えできます」
マルタさんは紙へ目を戻した。
『少しは胸を張れるでしょうか』
あの日の声を思い出した。
私も、彼女が人目を避けずに通えるようになってほしかった。
「神殿ギルドの……」
記録用の光が灯る。
続きは、出てこなかった。
男は待っていた。
私も、何も言わずに待ってしまった。
「……すみません」
マルタさんが紙を下ろした。
「この文章は、読めません」
「事実と異なるところがありましたか?」
「助けていただいたことには、感謝しています」
「でも、私が何を変えようとしているのか、自分で話したいんです」
彼女の声が、先ほどより大きくなった。
「何をしたかを話さないまま、安心して施術を受けられるなんて、私からは言えません。先ほどの話も、使っていただけますか?」
担当者は、答えなかった。
マルタさんはしばらく待ってから、紙を差し出した。
「それが話せないなら、私への取材はやめてください」
男は受け取らず、私を見た。
「撮影のために人員も手配しております。お店をご紹介する機会にもなりますので、もう少しご協力いただけませんか」
受付には、私が選んだ商品が並んでいた。
映りやすいよう、マルタさんが瓶の向きを揃えてくれたものだった。
こちらのお手入れを知ってもらいたい。
そう思って、私も今日を待っていた。
でも、彼女はもう、断っている。
「今日は、ここまでにしてください」
「リネさん」
「マルタさんは、自分の言葉でお話ししたいと申し上げています。それができないのでしたら、撮影はお受けできません」
記録用の光が、まだ灯っていた。
「記録も、止めてください」
職員が担当者を見る。
男が頷いてから、光が消えた。
「……承知しました。司教様には、そのように報告いたします」
差し出されたままだった紙を受け取り、男は書類へ重ねた。
私たちは、二人が魔道具を片付けるのを黙って待った。
*
「申し訳ありません」
二人が帰ると、マルタさんは私に頭を下げた。
「私が受けたいと言ったのに。お店の紹介まで……」
「私も、受けると決めましたから」
彼女は顔を上げ、受付の商品へ目を向けた。
「読もうとしたんです」
声が小さくなった。
「書いてあることを言えば、少しは外を歩きやすくなると思って」
「……はい」
「途中まで、本当に読もうとしていました」
私も、止めなかった。
マルタさんが自分で話したいと伝えたあとでさえ、二行くらいならと思っていた。
「でも、また言われた通りに話して……それで、よかったことにしたくなかったんです」
私は、受付に置かれた手帳を彼女へ渡した。
「次は、私も先に止めます」
マルタさんは手帳を受け取ったまま、しばらく黙っていた。
「……ありがとうございます」
開店の時刻が近づいていた。
撮影のために動かした椅子を戻し、紹介するはずだった商品を棚へ収める。
「明日も、同じところで待っていますね」
そう伝えると、マルタさんは今度はすぐに頷いた。
*
「司教様。取材は中止となりました」
神殿ギルドの一室で、担当者が報告した。
「リネが断ったのか」
「先に断ったのはマルタです。以前の対応についても話せなければ、協力できないと」
「殊勝なことだ」
司教は、戻された原稿を机へ置いた。
「何も撮れなかったのか?」
「冒頭だけは。ですが、すぐに話を変えられまして」
「見せなさい」
記録用の魔道具に、商品棚が映った。
その前に立つマルタが、硬い声で話し始める。
『こちらで、学び直す機会をいただきました』
司教が手を上げた。
映像が止まる。
「ここは、使えるな」
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