第五十話 今朝も、あの道を
「こちらで学び直しておられる姿を、皆様にも知っていただきたいのです」
神殿ギルドから来た男は、マルタさんへ笑いかけた。
翌朝のことだった。
開店前に訪ねてきた男は認定部門の職員と名乗り、店の取材を申し出た。
最初は、うれしかった。
私のお手入れを、見てもらえる。
モンスターを見せたあと、何をしているのかも。退治できるわけではないと、その場で説明するより、来ていただく前に知ってもらえた方がいい。
けれど、差し出された紙にあったのは、マルタさんの名前だった。
「神殿ギルドは、問題のあった講師を処分しました。しかし、職を失わせて終わりにはしなかった。その後も支援を続けていることを、お伝えしたいのです」
紙の中央に、私の店の名前が載っている。
神殿ギルドの支援による、元講師の再出発。
昨日、この店で泣いていた人のことだった。
「……マルタさんを雇うと決めたのは、私です」
「ええ。聖女様のご紹介で、ご協力いただいたと伺っております」
間違いではない。
聖女様から紹介されなければ、マルタさんと話すこともなかった。
でも、学び直す場所を用意したと言われると、私が頼まれて引き受けたようだった。
迷ったことも、一度は断ったことも、紙にはない。
「何を撮るんですか?」
「普段のお仕事です。商品のご説明や、施術のお手伝いなど。お客様のお声も頂戴できればと」
男が示した項目に、〈お客様から感謝される様子〉とあった。
その文字から、目が離れなかった。
昨日、マルタさんは商品に触れることも断られた。
あのとき伸ばしかけた手を、この人は知らない。
「感謝される場面が、なければ?」
「撮影にご協力いただける方を募りますので、ご心配なく」
それなら撮れる。
マルタさんの過去を知らない方なら、片付けを手伝ってもらっただけでも、お礼を言う。
その映像を、セラさんも見るのだ。
「この内容では、お受けできません」
隣で、マルタさんが顔を上げた。
「まだ、お客様の信頼を取り戻したわけではありませんから」
「取り戻すために努力されている。その姿を紹介するのです」
「ですが……」
「マルタさんご自身は、いかがですか?」
男は私への説明をやめ、彼女へ尋ねた。
私も、返事を待った。
先に断ってしまったことに、今さら気づいた。
「こちらで、今していることを……お話しするんですか?」
「はい。何を学び、これからどう働いていきたいか。過去を繰り返し責めるための取材ではありません」
昨日、私に話してくれたことだ。
ちゃんと、できるようになりたい。
前とは違う。
泣きながら、そう言っていた。
「私が、変わろうとしていることも……」
「もちろんです。そのために伺いました」
私は、紙を返しかけたままだった。
マルタさんが取材を受けたら、昨日の後悔まで嘘になるわけではない。
分かっている。
それでも、あの紙に書かれた通りの映像が流れるところを想像すると、渡すことも、引き戻すこともできなかった。
「少し、考えさせてください」
「ええ。では、お返事は明日伺いましょう」
男は、私が持つ紙から手を離した。
帰る前に、もう一度マルタさんへ向き直る。
「今朝も、あの道を通られたのですか?」
マルタさんが動かなくなった。
「……はい」
「裏道は、人通りが少ないですからね。どうか、お気をつけて」
入口の鐘が鳴った。
男が通りへ出てからも、マルタさんは返事をしなかった。
*
「いつも、裏道を通っているんですか?」
「……人が少ないので」
毎朝、挨拶をしてくれる。
いつも私より早く店に着いて、入口の前を掃いてくれていた。
熱心な人だと思っていた。言われなくてもそこまでしてくれることに感謝もしていた。
でも、出勤が早い理由まで考えたことはなかった。
「顔を見られると、分かる方もいらっしゃるので」
「何か、言われましたか?」
「いえ。最近は、あまり」
最近は。
聞き返せなかった。
あの男も、私より先に知っていた。
彼女が何時に来るかも、どこを通っているかも。
「……取材を受けたら、少しは胸を張れるでしょうか」
マルタさんは、私の手にある紙を見ていた。
「今はこちらで働いていると、知ってもらえたら」
私は何も言えなかった。
あの紙には、私の店も紹介されると書いてある。
来てくださる人が増える。マルタさんも、人目を避けずに店まで来られるようになる。
どちらも、そうなってほしかった。
「昨日の今日なのに、すみません」
「謝らないでください」
すぐに言った。
けれど、そのあとが続かなかった。
取材を受けてもいい。
そんなふうに、背中を押せるほどのことは分からない。
あの人は、本当に私たちの話を聞いてくれるのか。
紙と違うことを話しても、皆に届けてくれるのか。
私は魔道具を取り、聖女様への連絡窓口を開いた。
取材の書類を添えて、内容を確認していただけないかと送る。
返事を待つ間にも、開店の時刻になった。
*
閉店しても、返事は届かなかった。
受付に置いた取材の紙へ、西日が差していた。
マルタさんは、その前を通るたびに足を緩める。
私も、何度も魔道具を確かめた。
「リネさん。戸締まり、終わりました」
「ありがとうございます。今日は、途中まで一緒に帰りませんか」
マルタさんが、少し驚いた顔をした。
「もう、片付けは済みましたから」
取材について、何も決められていない。
でも、今日もあの道を一人で帰ってもらうのは嫌だった。
表通りには、まだ人がいた。
パンの入った袋を抱える人や、仕事帰りに立ち話をする人。私一人なら、気にも留めずに通り過ぎる。
マルタさんは、私の半歩後ろを歩いていた。
「明日も、この辺りで待ち合わせませんか」
「……よろしいんですか?」
「はい」
彼女が、少しだけ歩くのを速めた。
隣へ来てから、何か言いかけ、結局、小さくお礼を言った。
*
翌朝、二人で店へ着くと、昨日の男が待っていた。
「おはようございます」
私は入口の前で足を止めた。
返事は、まだ届いていない。
「取材の件、お考えいただけましたか?」
男は、私の隣へ目を向けた。
「今日は、大通りを通られたのですね」
マルタさんが、私に近づいた。
昨日の帰りに、二人で決めた。
今朝は通りの手前で待ち合わせた。
この人には、話していない。
「……お待たせして、申し訳ありません」
マルタさんが言った。
私は、彼女を見た。
「今、こちらでしていることでしたら、お話ししたいです」




