第四十五話 元講師の証言
「私だって、すぐに決まったわけではありません」
マルタは、魔道具を握り直した。
「ほかの店にも行きました。でも、断られて……」
「そうですか」
それだけだった。
どの店でも話を聞いてもらえなかったことを、まだ話し終えていない。あの映像を見た人には、経歴書さえ読んでもらえなかった。
この子なら、今まで何をしてきたか知っている。講師になる前の自分も、知っている。
辞めさせられたとき、あの人たちは店に残った。
今日も仕事があって、明日も出勤できる。
それを、どれほど羨ましく思ったか。
今、恨まれるのはこちらなのか。
「私、研修のお金のことを聞きたかったんです」
マルタは口を閉じた。
「マルタさんに教えていただいたので。講師になれば、もっと安定して働けるって」
「……はい」
自分には、そうだった。
講師の仕事が決まり、給与の予定を立てられるようになった。
あの子にも、勧めたかった。
その言葉を信じて、費用を払った。
「神殿に確認するとき、私に勧められて申し込んだことも、伝えてください」
「お名前を出してもいいんですか?」
「はい。私がどんな説明をしたか、聞かれたら答えます」
通話の向こうで、また誰かを呼ぶ声がした。
「すみません。行かないと」
「何か分かったら、連絡します」
通話が切れた。
返金されるとも、仕事が残るとも言えなかった。
魔道具を閉じても、握っていた手は緩まなかった。
*
マルタさんが戻ってきたとき、私は商材の盆を用意していた。
「お待たせしました。続きをお願いします」
隣へ来たものの、手帳を開こうとして手を止めた。
「……少し、座ってもいいですか」
「はい。どうぞ」
私も、盆を机へ置いた。
「店の子に、研修を勧めたんです。講師になれば、収入も安定するって」
「その方も、講師になりたかったんですね」
「はい。何度も聞きに来てくれて。申し込んだときも、知らせてくれました」
「私だけ別の店にいるのが、気になるんでしょうね」
声が硬くなった。
「でも、辞めさせられたときは、私には何も……」
そこで黙った。
「……すみません」
マルタさんは、持ったままの魔道具を鞄へ戻した。
私は、使うはずだった二本の瓶を見た。
マルタさんには、ここで働けると言えた。研修費を払ったその方に、私から用意できる仕事はない。
あちらも困っているのだから、と言えばいいの?
今、マルタさんが聞いてほしかったのは、それではなかったと思う。
「お金のことは、私にも分かりません」
顔が上がった。
机には、最初のお客様のために出した盆がある。
何を用意してほしいかなら、今、私から伝えられる。手伝ってもらいたいことも、本当にあった。
「今日の準備を、一緒にしてもらえますか。私も、まだ途中なんです」
マルタさんが、盆へ目を向けた。
「……はい」
*
「今日は、こちらの美容液を使います」
瓶を手に取ると、マルタさんが手帳を開いた。
「昨日のものとは、違うんですね」
「はい。こちらは広げたときの感触が違うんです。昨日の方にはあちらを使いましたが、今日の方は——」
手の甲へ少し出し、伸ばしてみせる。
瓶を机へ置き、隣の一本へ手を伸ばした。
「リネさん。少し待ってください」
マルタさんの筆が、まだ動いていた。
「名前が、途中です」
「あ……すみません」
瓶を持ったまま待った。
自分で使うときは、手を伸ばせば取れる。
名前を伝えて、その人が書くまで待つとなると、いつもの調子では進められなかった。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「ゆっくり、ご説明しますね」
「こちらも、手の甲で試してよろしいですか」
私は瓶を渡した。
マルタさんは一滴を伸ばし、隣の瓶を見た。
「昨日のものも、少し」
二本目を渡す。
両手の甲を見比べ、指先で確かめている。
入口の鐘が鳴った。
私は瓶を置き、お客様を迎えに向かった。
*
昼過ぎ、街への発信を知らせる音が鳴った。
スクリーンに、神殿ギルドの紋章が映る。
二人で片付けの手を止め、窓へ寄った。
エデンの営業停止と、働いていた人や受講者の相談窓口が示された。
マルタさんが、自分の魔道具を取り出した。
「先ほどの子に、窓口を送っておきます。まだ店にいるかもしれませんので」
私も、スクリーンに出た連絡先を確かめた。
そのとき、画面の説明が変わった。
〈元講師の女性による証言を受け、店側の対応について確認を行いました。〉
マルタさんの指が止まった。
名前は出ていない。
けれど、元の店で働いていた人たちには分かる。
案内を送る前に、マルタさんの魔道具が鳴った。
彼女は、すぐには画面を開かなかった。




