第四十話 止めてもいい
「私は、どちらに従えばいいんでしょうか」
この店では、私に従ってください。
そう答えかけて、止まった。
改装も、看板も、この方の給与も。聖女様に助けていただいている。
私が違うことを言ったら、この人は困る。
でも、聖女様に従ってくださいと言ったら。
私は、何のためにここにいるの。
「違うことを言われたら、私に知らせてください」
女性は、私を見ていた。
「どうするか決まるまでは、その対応を止めて構いません」
「……止めても、いいんですか?」
「はい」
「研修を止めたときは、担当を外されました」
私は顔を上げた。
「質問に答えられなくなったんです。施術を断ったら不合格なのかって。変更はないと伝えても、肌の状態が悪いときはどうするのかと聞かれて……」
膝の上で、指が握られた。
「確認してから続けようと思いました。でも、勝手に中断したと言われました」
私は、閉じた手引きを見た。
この人が止めたあとも、責任者は研修を続けた。
私が明日、同じように責めたら。
止めていいと、今言ったのに。
「この店で何をするかは、私が責任を持って決めます。聖女様とお話しする必要があれば、私がします」
女性が顔を上げた。
「あなたにも、違うと思ったことを言っていいんですか?」
「私に、ですか?」
聞き返してしまった。
女性は小さくうなずいた。
机の手引きへ、手を置く。
自分が教えている途中で、違うと言われる。
さっきは、私が確認して決めると言った。その私の判断にも、違うと思うことがある。
あの試験で、不合格だと言った人から。
まずは私のやり方を覚えてくださいと、答えたくなった。
でも、今、何を教えるかも話していない。まだ起きてもいないことなのに、言われるのが嫌だった。
手引きの表紙を見た。私も、この通りにすればいいと覚えた。そのままお客様へ説明していた。
「……はい。理由も聞かせてください」
女性は、ゆっくりとうなずいた。
*
仕事の内容と、働く時間を書き出した。
まずは準備と片付け。お客様への説明や施術は、私と一緒に確認する。
給与の条件は、聖女様の担当者から届いたものを二人で読んだ。
最後まで確かめ、明日の朝に来ていただくことを決めた。
女性が帰り支度を始めたところで、私は尋ねた。
「お名前を、伺ってもいいですか?」
女性の手が止まった。
私は、この方のことをずっと講師だと思っていた。
働く時間まで決めたのに、名前も聞いていなかった。
「……マルタです」
勤務の予定を書いた紙へ、その名前を記す。
「マルタさん。明日から、よろしくお願いします」
マルタさんは紙に書かれた自分の名前を見て、小さく頭を下げた。
*
一人になってから、聖女様へ連絡した。
まずは期間を決めて働いていただくこと。
接客へ立っていただく前に、仕事の進め方を確認すること。
返事は、ほどなく届いた。
〈ありがとうございます。お二人にとって、よい機会となることを願っています。〉
私は、続けてもう一通を書いた。
〈聖女様から別の対応を求められたときは、私へ知らせてもらうことにしました。お店での対応は、私が確認してから進めます。〉
読み返す。
何かを頼まれたわけでもないのに。
私が先に確かめます、なんて。
違うことを求めるつもりなどありません、と返ってきたら。
お礼と一緒に送る文面ではなかった気もして、書き直しかけた。
指が送信の手前で止まった。
マルタさんには、私が話すと言った。
私は、連絡を送った。
*
翌朝、マルタさんは約束の時刻に来た。
昨日よりも大きな鞄を持っている。
「何を持ってくればいいか分からなくて」
取り出したのは、筆記具と、使い込まれた手帳だった。
私は商材を並べた棚へ案内した。
「今日は、ここからお願いします。使う順番と、片付ける場所をご説明しますね」
マルタさんは手帳を開いた。
私が一つ目の瓶へ手を伸ばしたとき、入口の鐘が鳴った。
最初のお客様だった。
相談用の席へ案内すると、その方は棚の前にいるマルタさんを見た。
「今日は、お二人なんですね」
「はい。こちらはマルタさんです。準備や片付けを手伝っていただくことになりました」
マルタさんが頭を下げた。
お客様は挨拶を返しかけて、顔を止めた。
それから、私へ少し身を寄せる。
「あの人……確か、リネさんに責任を押し付けた人なんじゃないですか?」
棚の前で、マルタさんの手が止まった。
私も、お客様を見たまま言葉に詰まった。
一緒に働くことは、二人で話して決めた。
お客様には、何と説明しよう。




