第三十九話 ここで働くなら
約束の時刻より少し前に、入口の鐘が鳴った。
講師だった女性が、入口に立っていた。
「……入っても、よろしいですか?」
「はい。どうぞ」
相談用の椅子へ案内した。
この時間は、お客様の予約を入れていない。
向かいに座ると、女性は入口を振り返った。
「あの看板、申し訳ありませんでした」
「怪我人が出なくて、よかったです」
そう答えて、机へ目を落とした。
でも、怖かった。
修理も、してもらわなければならない。
よかっただけでは、済まない。
何から話せばいいのか迷っていると、女性が口を開いた。
「私がここで働くというお話は、聞いていらっしゃいますか?」
「はい。ただ、まだお受けするとは決めていません」
女性の背筋が伸びた。
「今日は、そのためにお話ししたいと思っています」
「……はい」
*
「どうして、私の店で働こうと思われたんですか?」
女性は膝へ目を落とした。
しばらくして、顔を上げる。
「仕事が、必要だからです」
私は続きを待った。
「ほかの店にも行きました。でも、私が誰なのか分かると、断られて……。聖女様からこちらのお話をいただいて、働けるならと思いました」
私のお手入れを学びたい。
そういう返事を、少し待っていた。
聖女様には、学んでいただきたいと聞かされていたから。それに、あの試験で私が何をしようとしていたか、今なら知りたいと思ってくれる気がしていた。
働けるなら、ここでいい。
そういうことなの?
少し待った。
女性は、それ以上何も言わなかった。
「お客様への対応については、今、どう思っていますか?」
女性の指が、膝の上で組み合わされた。
「あのときは、説明を聞いていただけば、分かってもらえると思っていました」
「お客様は、帰りたいとおっしゃっていました」
「はい」
女性がうなずいた。
「帰ると言われたのに、私が止めました」
言葉が途切れた。
「……あの映像を見て、自分の前では話してくださらなかったことを、あんなに話せる方だったんだと思ったんです」
セラさんの声を思い出した。
私、何に同意したんでしょう。
「私が、話させなかったんだと思います」
女性は机を見つめた。
「でも、今度は大丈夫ですとは、まだ言えません」
それでは、困る。
もうしないと言ってほしくて、尋ねた。お客様を迎える店に、安心して立っていただけるのか、知りたかった。
でも、大丈夫ですと言われたら、私は信じられる?
この人にそう答えさせたくて、さっきから待っている。
私も、自分の返事をすぐには決められなかった。
*
私は施術の手引きを机へ置いた。
新人の頃から使っていたものだった。
女性が表紙へ目を向ける。
「私も、これを覚えました」
私は言った。
「書いてある通りにすれば、お客様にも納得していただけると思っていました」
女性は何も言わなかった。
「あの試験で施術を断れたからといって、いつも正しく判断できるわけではありません。人に教えるのも、初めてです」
自分で言って、少し心細くなった。
この人は、講師だった。
私は、誰かに仕事を頼むことさえ初めてだ。
それでも、ここは私の店だった。
「働いていただくなら、最初は準備や片付けをお願いしたいです。接客や施術は、私と一緒に確認してからにします」
女性が顔を上げた。
「困ったときは、分からないまま進めず、私に聞いてください。私も、分からないときはそう言います」
「……はい」
「それから、お客様が帰りたいとおっしゃったら、止めないでください」
女性の視線が、入口へ動いた。
「分かりました」
私は手引きを閉じた。
一人で相談を受けていると、準備が終わらないまま次のお客様を迎えることもある。
手伝ってもらえたら、助かる。
向かいの人を見る。
あのときも、私の話を聞いてくれていたら。
そう思う気持ちは、まだ消えなかった。
今から私が教えることには、聞き違えないようにうなずいてくれる。試験のときにも、こんなふうに話せていたらよかったのに。
それでも、準備を手伝ってもらえれば、次のお客様を待たせずに済む。私にも、来ていただく理由があった。
「まずは短い期間、一緒に働いてみませんか。そのあとで、続けられるか、お互いに話しましょう」
女性はうなずきかけて、止まった。
「あの……一つ、伺ってもいいですか」
「はい」
膝の上の手に、力が入った。
「今度、聖女様のおっしゃることと、あなたのおっしゃることが違ったら」
女性は、私を見た。
「私は、どちらに従えばいいんでしょうか」




