第三十七話 処分のあと
「講師を辞めさせたのは、誰の判断ですか?」
神殿ギルドの執務室で、聖女は報告書を机へ置いた。
向かいに立つ幹部が答える。
「所属する店舗の責任者です。お客様への不適切な対応と、事実と異なる案内を放置していた責任を取らせたと」
「責任者は、その案内をご存じなかったのですか?」
幹部は報告書へ目を落とした。
「そこまでは、報告が届いておりません」
「では、確認してください。本人にも、直接話を聞きます。救護から、面会できる状態だと連絡がありました」
幹部が顔を上げた。
「聖女様が、直接ですか?」
「ええ」
「ですが、お客様ご本人も街への発信で証言されています。処分の理由は、既に——」
「店から何を指示されたのかも、その映像で確認できましたか?」
幹部は口を閉じた。
聖女が報告書を差し出す。
幹部は受け取ったものの、その場を動かなかった。
「既に辞めさせた者の話を、改めてお聞きになる必要があるでしょうか」
「貴方に意見を求めたと思っているの?」
書面を持つ手が止まった。
「……申し訳ありません」
「面会の準備をお願いします。ご本人の状態に合わせて」
幹部は深く頭を下げた。
*
翌日、講師は案内された部屋の前で足を止めた。
開いた扉の向こうに、聖女が座っていた。
白い衣の裾に、細い金糸が幾重にも走っている。机に載せた手を動かすと、袖口の刺繍が光った。
「どうぞ」
顔が上がり、耳元の宝石が揺れた。
スクリーンで見た人だった。
リネを認め、あの店の前で微笑んでいた人。
その人が、今は自分を見ている。
講師は部屋へ入り、頭を下げた。
「このたびは、ご迷惑をおかけして……」
声が震えた。
聖女は向かいの椅子を示した。
「お座りください」
腰を下ろすと、膝の上で両手を重ねた。
指先が冷たい。
ここで、何を言えばいい。
責任者に言われたから。
手引きに書いてあったから。
それはもう、何度も話した。
自分を辞めさせた責任者より、ずっと上にいる人だった。この人にまで、言い訳だと思われたら。
「あの、申し訳——」
「謝罪の前に、店で何があったのか聞かせてください」
講師は顔を上げた。
聖女は、机に置いた書面へ筆を添えていた。
「お客様を連れ戻すよう言われたところから、お願いします」
講師は、机の書面へ目を落とした。
あの日のことが、もう書かれているのだろうか。
「……責任者に、呼ばれました。私が行って、連れ戻すようにと」
聖女の筆が動いた。
途中で遮られなかった。
あの対応をしろとは言っていない。
またそう返されると思っていたところまで話しても、筆は動いていた。
続きを待たれている。扉の前で、自分が何をしたかも。
客が帰ろうとしたので、説明を続けようとした。
そう言いかけて、やめた。それでは、取っ手を押さえたところだけが抜けてしまう。
扉を押さえたことも、案内を訂正しなかったことも話した。
自分がしたことを口にするたび、あの客の声が戻ってきた。
帰りたい。
聞こえていた。何度も。
「私が、帰れなくしました」
聖女はうなずき、書き留めた。
「店側の指示についても、確認します」
「……責任者にも、聞いてくださるんですか」
「ええ」
それを聞きたかった。
自分だけで終わらせないと、誰かに言ってほしかった。
「ありがとうございます」
頭を下げると、椅子の下に置いた鞄が目に入った。
断られた経歴書が、まだ入っている。
責任者も調べてもらえる。
それで、明日は。
「あなたは、これからも美容の仕事を続けたいですか?」
講師は顔を上げた。
処分について、まだ尋ねられると思っていた。
「……働かないと、生活ができませんので」
「ほかの仕事ではなく、美容の仕事を?」
すぐには答えられなかった。
求人の紙を見つけたとき、施術の経験ならあると思った。
ほかに何ができるかなんて、考えなかった。
「ずっと、この仕事をしてきました」
「そうですね」
「施術も、教えることも……できます」
言い終えて、聖女の顔を見た。
この人が認めた店主を、自分は不合格にした。
「教えるお仕事に、戻りたいのですか?」
戻りたかった。
今朝まで、そう思っていた。
準備した道具を誰も使わずに帰った、あの研修室へ。
教えている間は、次に何をすればいいか分かっていた。質問されても、手引きのどこに書いてあるか、すぐに開けた。
その仕事を返してもらえたら、昨日までの生活へ戻れる。
けれど、次の研修にも、あの受講者たちは来る。
私が前に立ったら、また同じことを聞く。今度は答えなければならない。
鞄から、自分で書いた説明の紙を取り出した。
手引きも、商材も、店へ返した。持ち帰れたのは、この紙だけだった。
折り目を開く。
説明に詰まらないよう、順番を何度も直してある。
「……何を教えればいいのか、分からなくなりました」
紙を見たまま、言った。
「受講者に聞かれても、答えられなかったんです。これを覚えれば大丈夫だと、言えなくて」
責任者は、次の研修は別の講師に任せると言った。
それから、自分の担当がどうなるかを尋ねることで、頭がいっぱいになった。
「ですが、分からないまま練習を続けさせることは、しなかったのですね」
講師は、小さくうなずいた。
止めてよかったと、言ってほしかった。
せめて、それだけでも。
紙を折り直そうとした。折り目がずれた。
「施術の仕事も、したいです」
聖女は筆を置いた。
「では、働き先についても考えましょう。先方の意向もありますから、今ここでお約束はできませんが」
「私のことを知っていても、雇ってくださるところが……?」
尋ねてから、口を閉じた。
先ほどまで、この人に何を思われるか、怖くて仕方がなかった。
今は、次の言葉を待っていた。




