↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/76

第三十五話 私も、怖かった


「私が行けって、言われたんです」


講師は、膝へ落ちた灰色のものを見ていた。


「連れ戻せなかったら、また叱られると思って……」


ひなは隙間の外で待っている。


「お客様は、帰りたいと?」


講師はうなずいた。


「何度も」


鞄の持ち手へ、指を巻きつける。


「でも、説明を聞いてもらえればと思って。だから、扉を……」


自分の手を見た。


あの客が、取っ手を引いていた。


開かなかった。


自分が押さえていたから。


「扉を押さえたのは、私です」


ひながうなずいた。


「間違った案内も、知っていました。訂正したら、私が何をしたかも話さなければならなくて」


顔を上げる。


「店から言われたことも、残してくれるんですか?」


「はい。あなたがしたことも、店から指示されたことも、両方残します」


「店の人にも、聞いてくれるんですね?」


「確認が必要な内容として、引き継ぎます」


ひなが続けた。


「ただ、店の処分を、私たちが今ここで決めることはできません」


講師は唇を噛んだ。


また、担当が違うと言われるのか。


何かを決めてもらえると思って、話した。仕事は戻せない。店の処分も決められない。

では、話してどうなるの。


けれど、ひなは立ち去らなかった。

指示されたことだけを聞いて終わらせず、扉を押さえたことも残すと言った。

責任者のことも、聞かなかったことにはしない。

その返事だけは、もう一度、信じてみたかった。


「ここから移動したいと思います。立てそうですか?」


*


膝へ手をつくと、灰色のものが指へ絡んだ。


講師は手を引いた。


「まだ、出てくる……」


「無理に払い落とさず、そのままでいてください」


指を開く。


薄い布のようなものが、指の間で揺れていた。


ひなの方へは伸びていない。


「外には、人がいるんでしょう?」


「移動するところには、目隠しを用意します」


ひなが背後へ声をかけた。


しばらくして、馬車の止まる音がした。警備兵が衝立を運び、路地から乗り口までを隠していく。


講師は、鞄を胸へ抱えた。


「顔は、見えませんか?」


ひなが衝立の位置を確かめた。


「はい。こちらから乗れます」


講師は、壁へ手をついた。


「……立ちます」


*


私は店の裏から離れた場所で待っていた。


馬車の音が遠ざかったあと、年配の男が迎えに来た。


「戻っていいぞ」


「講師の方は?」


「救護へ向かった。怪我人は出ていない」


私は息を吐いた。


よかった。


誰も怪我をしなかった。


店の前へ戻ると、壁際に看板が置かれていた。


縁が歪んでいる。


しゃがむと、店の名前にも傷が付いていた。


欠けた木片が、文字に引っかかっている。


指を近づけ、触れずに止めた。


これ、直せるのかな。


作り直しになったら、いくらかかるんだろう。


明日も予約があるのに。


「リネさん」


ひなが通りから戻ってきた。


「看板以外に、壊れたものはありますか?」


「中は、まだ見ていません」


鍵を開け、二人で店内を確かめた。


窓は割れていなかった。商品棚の瓶も、並んだままだった。


相談用の机の脚元に、外れた金具が落ちている。


私はそれを避け、奥のベッドまで歩いた。


ここで、動けなくなった。


ベッドの縁へ手を置きかけて、やめた。


「中は、大丈夫そうです」


ひなへ振り返った。


「看板だけです」


*


「看板の破損は、被害として記録します」


私は入口の外を見た。


「あの人にも、伝わるんですよね」


「はい。必要な確認をしたうえで、お話しします」


仕事を失ったばかりだ。


そのうえ、これを直す話まで。


「……お願いします」


答えてから、唇を結んだ。


記録しなくていいとは、言えなかった。


では、私が払うの?


壁際の看板が目に入る。


私だって、壊したわけじゃない。


「ほかにも気づいたことがあれば、ご連絡ください」


ひなに言われ、顔を戻した。


「はい」


*


ひなを見送り、看板を店の中へ運んだ。


壁へ立て掛けると、欠けた木片が一つ、床へ落ちた。


しゃがんで拾う。


小さな欠片だった。


どこから取れたのか、看板へ近づけても分からなかった。


私は机へ置き、通信魔道具を開いた。


聖女様へ、知らせなければ。


〈お店の看板が壊れました。怪我人はいません。〉


そこまで書いて、指が止まった。


壊した人が誰なのかも、書かなければならない。


〈認定研修を担当していた講師の方が、近くの路地で心蝕暴走を起こしました。〉


間違ってはいない。


でも、これだけ読んだら。


私は、その下へ書き足した。


〈ご本人も力を止められず、止めてほしいと仰っていました。今は、救護へ運ばれています。〉


机の上の木片が目に入った。


あの人を責めるために、連絡したかったわけではない。


でも、怖かった。


看板が壊れたことを書いても、ベッドのそばで動けなかったことまでは伝わらない。あの人が苦しんでいたことだけ、詳しく書いている。


〈私も、店の中にいて怖かったです。〉


書き足してから、しばらくその一文を見ていた。

聖女様には、あの人の話も聞いてほしい。けれど、私が平気だったとは思われたくない。


そのまま、連絡を送った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。