第三十三話 私のときは
灰色の隙間から、金色の紋章が見えた。
自分が訪ねたとき、あの店には認定の印さえなかった。
だから、言えた。
認定も受けていないあなたに、責任が取れるのかと。
今、その店の前に討伐機関が立っている。
話を聞かれているのは、自分だった。
*
初めて担当した受講者は、説明の途中で何度も言葉に詰まった。
自分も、そこでつまずいた。
だから、覚えやすいように順番を変え、手帳へ書いて渡した。
研修が終わってからも、残って練習に付き合った。
合格しました、と知らせに来たときの顔を覚えている。
「先生のおかげです」
そう言われて、うれしかった。
家へ帰ってからも、何度も思い出した。
あの人は今も、店で働いている。
自分が教えた言葉で、客へ説明しているはずだった。
あの人に、今の自分を見られたくない。手帳を渡したことまで、迷惑だったと思われたくない。
あのときは、本当に喜んでくれた。合格したと知らせに来てくれた。
それも、間違いなの?
だったら、何を教えればよかったの。
講師は鞄を抱え直した。
いつも入れていた手引きは、もうない。
店へ返してきた。
*
「聞こえていますか?」
外から、ひなの声がした。
「はい」
返事をすると、灰色のものが口元から少し離れた。
路地の入口に、ひながいた。
「今、どうしてほしいですか?」
仕事を返してほしい。
明日も、いつもの時間に出勤したい。
研修室で準備をして、受講者が来るのを待っていたい。
言いかけて、口を閉じた。
この人に頼んで、どうなる。
「……人を、来させないで」
「周りの人は離れています。近づけません」
講師は、肩の力を抜いた。
誰にも会いたくなかった。
なのに、隙間の向こうにはリネの店がある。
あの人は、そこに戻ればいい。
新しい椅子も、看板も、次の予約もある。
私は、帰ってどうするの。
鞄の中には、断られた経歴書が入っていた。
責任者の顔が浮かんだ。
「私を辞めさせて……それで終わり」
ひながこちらを見た。
「あいつは今日も働いている……」
客を連れ戻せと言ったのは、あの人だ。
誤った案内を出したのも、自分ではない。
でも、訂正しなかった。
扉を押さえたのも、自分だ。
帰りたいと、何度も言われた。
聞こえていた。
「……分かってる」
ひなが、少し身をかがめた。
「何がですか?」
講師は首を振った。
私が悪かった。
だからって、私だけなの?
あの人たちは、明日も仕事に行くのに。
何もなかったように、また誰かへ指示を出すのに。
涙が鞄へ落ちた。
謝らなければならない相手がいる。
あの客が怖がっていたことも、もう知っている。
それでも、今は、自分の話を聞いてほしかった。
扉を押さえたことを聞かれたら、答える。間違った案内を見たことも話す。
でも、そこだけで終わらせないで。
その人より先に、自分の明日を考えている。
だって、どうしたらいいの。
謝ったら、働かせてもらえるの?
あの紙を持って、あと何軒回ればいいの。
講師は顔を上げた。
灰色の向こうで、金色の紋章が光っていた。
リネには、聖女がいた。
間違っていないと言ってくれる人がいた。
私は。
看板へ手を伸ばした。
辞めさせる前に。
私だけの責任だと決める前に。
一度でいいから、最後まで聞いてほしかった。
「……私の話も、聞いてよ」
伸ばした手の先で、灰色のものが金色の紋章を覆った。




