第三話 その人を知っている
新聞を畳み、受付の引き出しへしまった。
今日の予約は一人。何度か来ているお客様だった。
顔を合わせれば、いつものように話せると思っていた。けれど、施術台を整えていると、新聞の写真が浮かんだ。
私はタオルを置き直した。
あの人が誰かを傷つけた。
記事を読んだだけで、そうだったのだと受け入れていいのか。
反対に、私が知っている顔をしていたからといって、そんなことをするはずがないとも言えなかった。
入口の鐘が鳴った。
「リネさん、おはよう」
お客様は鞄を椅子へ置き、上着を脱いだ。
私は挨拶を返した。声が普段と違わないか、そればかり気になった。
「今朝の新聞、見た?」
上着を受け取る手が止まった。
「……はい」
「怖いよね。あんなのが街を歩いていたなんて」
私は上着を受け取った。
お客様は、私の返事を待たずに続けた。
「早く捕まってよかった。神殿で保護されていたんでしょう? 助けてもらったのに、何を考えているんだろうね」
あんなの。
私は顔を上げた。
何か言いたかった。けれど、負傷した人がいた。怖いと思うのは当然だ。
この人は、あの日の施術室を知らない。
私も、昨日の襲撃を知らない。
「リネさん?」
「あ……すみません。上着、こちらに掛けますね」
私は話を戻した。
今、言わなくてもいい。
この人に説明して、何になるのだろう。
そう考えると、黙っていられた。
*
施術を始めてしばらくすると、お客様が眉を寄せた。
「ちょっと、ひりひりするかも」
私の手が止まった。
顔を見る。商材を見る。
使う量も、手順も——。
そこまで考えて、瓶を置いた。
「いったん止めますね」
お客様が目を開けた。
「少しだけだよ。続けられるけど」
「今の状態を、確認させてください」
了承を得て、肌の上の商材を取り除いた。
お客様は不思議そうに私を見ていた。
「前もこれ、使ったよね?」
「はい。でも、今日は刺激を感じていらっしゃるので」
記録には、前回問題がなかったと書いてある。
その記録より、今の言葉を先に聞く。
そう決めるだけのことが、あのときはできなかった。
手入れを変える説明をしようとしたとき、お客様がぽつりと言った。
「やっぱり私、肌がおかしいのかな」
私はその顔を見た。
さっきまで新聞の話をしていた人が、今は自分の肌を気にしている。
「そういう意味ではありませんよ」
答えを急がないよう、椅子を引き寄せた。
お客様は私の手元を見ていた。
「最近、何か変えたものはありますか?」
話を聞き直すと、新しい商材を使い始めたのだと言う。今までのものに重ねて使えると勧められ、昨夜もつけてきたらしい。
鞄から取り出された瓶に、店の印があった。
細い輪の中に、文字が刻まれている。
エデン。
「新しくできたお店。知ってる?」
私は瓶を受け取った。
「まだ残っているものがあるって言ったんだけど、今始めないと後悔しますよって」
瓶を持つ指に、力が入った。
「それで、試してみようかなと思って」
お客様は笑った。
私は、その言葉を知っている。




