第二十五話 認められた日
「では、お手入れによって、この姿がどう変わるのかを見せてください」
私は、持ってきた商材へ目を向けた。
分かりやすい変化を見せたい。
試験なのだから、そう思ってしまう。けれど、短い時間で大きく変わると約束できるものではなかった。
「今日のお手入れだけで、くすみがすべてなくなるわけではありません」
女性と聖女様の両方へ、そう伝えた。
聖女様はうなずいた。
「ええ。進めてください」
*
専用のクレンジングをなじませ、落とす。
一度目では、まだ暗く見えるところが残っていた。
女性が鏡をのぞき込む。
「少し、落ちてきましたね」
「はい。洗顔で落としきれずに残った美容液が、徐々に酸化して黒くなっていたようです。それも、くすんで見えていた原因の一つですね」
「汚れだと思って、何度も洗っていました」
私は女性の頬を確かめた。落とそうとして、強くこすっていた肌だ。見た目の変化だけを追って、手入れを重ねるわけにはいかない。
二度目も、指を肌へ擦りつけないようになじませた。
クレンジングを落とすと、先ほどより汚れが薄くなっていた。
「もう少し、落ちそうですか?」
「はい。ただ、今日は三回までにします。これ以上重ねると、お肌を傷めてしまいますから」
三度目を終え、私は手を離した。
顔のそばには、クスミストがまだ漂っていた。
女性も、鏡の中の同じ場所を見ている。
「残っていても、今日はここで終わりなんですね」
「はい」
差し出された鏡を受け取り、机へ置いた。
もっと変化を見せたい気持ちはあった。それでも、商材へ手を戻すのはやめた。
使ったクレンジングを、女性の前へ置く。
「美容液は、そのままお使いいただいて構いません。化粧品を落とすときには、こちらのクレンジングを使ってください」
女性が手帳を開いた。
「このクレンジングは、一度のお手入れで三回を超えて繰り返さないでください。三回まで必ず行う、という意味ではありません」
「指を肌へ擦りつけずに、優しくなじませてください。それから、洗顔も何度も繰り返さないようにしましょう」
女性は書き留め、もう一度、自分で手を動かして確かめた。
女性が、自分の頬へそっと触れた。
私はその指の動きを見て、うなずいた。
その姿を見て、ようやく少し落ち着いた。
試験のために見せた変化より、帰ってからできることが伝わったのがうれしかった。
*
女性を見送ったあと、聖女様が私を呼んだ。
机には、試験中に職員が書いた記録が置かれている。
「拝見しました。お話を聞くところから、お手入れのあとの説明まで」
私は立ったまま、返事を待った。
今日はここまでと決めた。その判断について、聖女様はどうお考えなのだろう。
「あなたの技術を、認めます」
顔を上げた。
「聖女認定店として、お店を続けてください」
「……合格、ということでしょうか」
「はい」
私は頭を下げた。
「ありがとうございます」
もう少し落ち着いて答えるつもりだった。けれど、声が震えた。
クスミストは残っている。今日はここまでと、自分で決めて手を止めた。
そのお手入れを、認めてもらえた。
早く、店へ帰りたかった。
今日の方は、次に鏡を見たとき、また強くこすらずにいられるだろうか。手帳を見返して、手入れを続けてもらえたら。
その後どうだったかまで聞けるのが、自分の店だった。
認定が取れたことを、冒険者ギルドにも知らせよう。紹介を受けられたら、次のお客様はどんな悩みでいらっしゃるだろう。
「既存の試験では、うまくいくはずもありませんね。あなたの技術を、神殿認定の枠に収めようとしたことが間違いでした」
「……そうおっしゃっていただけるだけで、救われた気がします」
聖女様は微笑んだ。
返事を待つことに必死で、先ほどまでは、そのお顔をまともに見ていなかった。
白い衣には、細い金糸で模様が織り込まれている。窓から差す光を受けるたび、袖口の刺繍がきらめいた。胸元には、私の店の商材を全部売っても買えそうにない、大きな宝石が留められていた。
それほど飾られているのに、衣装よりも先に、その人へ目が向く。
髪も、肌も、指先まで美しかった。
肌を見ることを仕事にしている私が、つい見入ってしまうほどに。
神殿の前では、聖女様のお姿を描いた絵が売られている。お客様の鞄から、小さな肖像がのぞいていたこともあった。
その気持ちが、今なら少し分かった。
この人に認めてもらえた。
そう思うと、下げたばかりの頭を、もう一度下げたくなった。
*
「リネさん。あなたにお願いしたいことがあります」
「私にできることがあれば」
「あなたに聖女認定をお渡しするのには、こちらの思惑があってのことです」
私は、鞄へ伸ばしかけた手を止めた。
「神殿ギルドの認定に、疑念はありませんでしたか?」
「……はい」
答えてから、聖女様のお顔を見た。
ここで認めてよかったのだろうか。けれど、聖女様は私を責めなかった。
「神殿ギルドも、一枚岩ではありません。多くの思惑が蠢いています。その一つが神殿認定ですが、私はこれを是と思っていないのです」
「聖女様も、ですか?」
「あなたは、お客様の肌を見て施術を断りました。それなのに、不合格になった。何のための認定なのでしょうね」
「決められた手順を守れることと、お客様のために判断できることは、同じではありません」
私はうなずいた。
さっきまで、自分を認めてくださった方だった。今は、その方自身の考えを聞いている。
「ただ、私が疑問を抱いたからといって、すべての店のやり方をすぐに変えられるわけではありません」
聖女様は、机に置かれた私の施術記録へ手を添えた。
「だからこそ、あなたにお願いしたいのです。聖女認定店として、あなたの判断でお客様に向き合っていただきたい」
「私のお店で……」
「ええ。私の考えを、実際のお手入れで示してくださる方が必要なのです」
ようやく、思惑という言葉の意味が分かった。
私を認めてくださっただけではない。聖女様にも、私の店を必要とする理由があった。
ただ助けていただくより、私にもできることがある方が、うれしかった。
けれど、聖女様が認めた店として来てくださる人に、今日と同じように「ここまでです」と言うこともある。
そのとき、お客様はどう受け取るだろう。
私は、机の上の施術記録を自分の方へ引き寄せた。帰ったら、店での説明の仕方も考えておきたかった。
「あなたの技術を正しく評価できるだけの知識も経験も、神殿ギルドの講師である彼らにはありません。今後、お店についての相談は、私に直接してください」
「聖女様に、直接ですか?」
「ええ。また同じことで困らせるわけにはいきませんから」
もう、自分の判断を説明するために、何度も窓口へ足を運ばなくていい。
そう思うと、肩の力が抜けた。
聖女様は微笑んだ。
「そして、お店の改装をしませんか?」
「……改装、ですか?」




