017 体の値段
「ウンジェ!!!!」
「ウンジェ……あ、落ち着いて」
「うわああん!!」
「ソヒ、泣かないで。どうしたの」
ウンジェはそのときになって、先に涙を出した者が勝つ、という言葉の意味を少し理解した。
大学路でウニョンとソヒの顔を見た瞬間、ウンジェの中に隠れていた喜びと懐かしさは、飛び出す準備を整えていた。ところがウンジェを見るなりソヒが涙を噴き出したため、ウニョンとウンジェはソヒを囲み、なだめるので忙しくなった。
ソヒはそのままウンジェに抱きつき、五分もの間泣いた。
「落ち着いて。一言も話せない」
「嬉しいけど、ここまでじゃないでしょ、ばか」
「興奮しすぎた。死んだ友達が戻った気がする……」
「ホラー映画じゃん、あはは」
友達に会って落ち込むどころか、明るく笑うウンジェと一緒に、三人は近くのカフェへ向かった。
ウンジェと友達がカフェに入ったのを確認してから、ナビは少しの間、マロニエ公園のほうへ向かった。
「猫だ」
「かわいい。野良?」
通り過ぎるナビに興味を示す人もいたが、ナビはたいして気にせず、人の少ない場所へ移動し、人の手が届きにくい塀の上に登った。
ウンジェがしばらく安全でいる間に、金融投資プロトコルを点検する機会だった。
------
「ドンヒョンと別れて以来、こんなに泣くの初めて見た」
「ばか。あいつの話しないで」
「くっそ愛してた、ドンヒョン、あはは」
「やめて!!」
「そうだ、ウンジェ。まだWeb小説読む? 北部大公の熱狂的ファンだったよね」
「北部大公? ハインドレス王国のウラジーミル大公は、けっこうイケメンだった」
「相変わらず。入院中に行ってきた?」
「ウラジーミル大公って、ばか。プーチンも北部大公ではあるね」
「え?」
友達としゃべっていたウンジェは、突然混乱し始めた。
――ハインドレスは三十一番目だったっけ?
ハインドレス王国は大陸の北部に位置する王国だった。そこを治めるウラジーミル大公は、真っ白な肌に長い金髪を持つ、ものすごい美男子だった。
その世界のアボリターは、とてつもなく巨大なイエティだった。山崩れを止めるためにナビと死ぬほど苦労した記憶が、ウンジェの頭をよぎった。
だがソ・ウンジェの記憶では、その名に別の印象があった。
「ウラジーミル・プーチン?」
ウニョンが[プーチン 北部大公]を検索すると、すでに誰かが合成したSNSの投稿が出た。
「本当にある! おかしいでしょ、あはは!」
「北に住んで外敵と戦う、ぴったりじゃん」
「黙れ!! あたしのウラジーミルは違う!!」
ウンジェの頭に、ハインドレス王国のウラジーミル・ミレイン大公が浮かんだ。
真っ白な肌に、角張った顎の輪郭と高い鼻筋。
会談場でバイレン王国のイパニル大公と牽制し合っていたときに聞こえた、冷ややかな声。
イエティ討伐の遠征隊の先頭で雪山をにらんでいた、深い青い瞳。
それが、核兵器を持つロシアの支配者??
「うわあ!!! 違う!!!」
「本当に嫌がってる、あはは!」
------
同じころ、ナビは塀で尻尾を振った。
かなりよかった。
集めた過去の株価を時系列順に流すと、自分の作ったプログラムは、設定した条件に従って株を売買した。どの時点で何を買い、いつ売ったのか、記録が積み上がった。
最初は、驚くほど儲かった。
あまりに驚くような結果だったので調べ直すと、まだ届いてはいけない翌日の資料を、先に読み込んでいた。
――やっぱりね。
未来を知っていることと、計算がうまいことは、まったく違った。
誤って接続された資料を外して再実行すると、利益は大きく減った。手数料を引くと、もう少し減った。希望する価格で必ず買えるわけではないという条件まで入れると、かなり減った。
それでも残った。
ナビは耳をぴんと立てた。
プログラムを作る際に使わなかった、別の期間の資料でも結果は悪くなかった。損をする日もあったが、損失が一定水準を超えると、自動的に取引を止めた。
――ひとまず動く。
今日は資金全体の一部だけを接続しておいた。
取引時間中に出した小さな注文が一つ約定し、そのあとは何もしなかった。金が動かないからといって焦る理由はなかった。
ウンジェなら、なぜ買わないと三度は聞いただろう。
ナビは、その質問のない静かな時間を満喫した。
「ナビ」
耳の中でも、頭の中でもない。新しく接続しておいた通信経路から、ウンジェの声が入ってきた。
「終わった。どこ?」
ナビは投資プログラムをバックグラウンドへ回し、塀の下を見た。
ウンジェがカフェの前で、両耳にAirPodsをつけていた。
今日、外出する前に試しておいた方式だった。わざわざスマホをハッキングすることなく、カカオトークの音声通話プロトコルを少し手直しし、ナビが指定した音声と内容を直接AirPodsへ送るシステムを構築していた。
魔法は不要だった。
「公園。友達は?」
「帰った。気力を吸われた。魂がぼろぼろで、半分抜けたみたい」
「それは確認できるけど、まだちゃんと入ってる」
「話の通じる猫だね」
ウンジェは力なく笑った。
「本当に電話みたい。テレパシーと違う」
「学校ではこれを。講義室へはついていけないから」
「先生は猫好きかも」
「誰でも僕を好きになる。好きすぎて誘拐するかもしれない」
ナビは低い塀へ移ってから、地面に下りた。
ウンジェの許可を得て接続したのは、音声だけではなかった。
位置情報の共有と、ウンジェが自分で実行するとナビにも届く緊急通知があった。
スマホが検知する大きな衝撃や、不自然な移動も別に確認できるようにしたが、それだけですべての危険を見分けられるわけではなかった。
「緊急ボタン、覚えてる?」
「ロック画面のあなたの顔」
「ふざけて押さないで」
「顔がふざけてるんだよ」
「じゃあ消して」
「かわいいから好き」
ナビは答えず、ウンジェの足元へ近づいた。
------
別れる前、友達は食事もしていこうと誘った。
ウンジェがまだ少し疲れるのだと言うと、二人は同時に心配そうな顔になった。次の約束を決めるだけで、また十分かかった。
地下鉄で近所へ着くころには暗かった。
「本当に話が多い」
「そう?」
「いや、全然話が終わんないの。ドンヒョンの話が終わったら――あ、ドンヒョンはソヒの彼氏、いや、元彼ね。それからウニョンのいい感じの人の話になって、その次は大学の話で、課題の話、教授の悪口。大学の話が終わったら、おいしい店の話。そうそう、ソンヒ大の近くに、クソうまいカレー屋があるんだって。今度一緒に行くことにした」
「……今の君も負けてないよ」
人のいない路地へ入ると、ウンジェは肩をぐったり落とした。
「どうしたらあんなに話せるの?」
「君も二時間カメラへ話しただろう」
「一人で話すのと、他人に反応し続けるのは違う」
「違いが分からない……」
「会うのは楽しかった。みんなで話すのも。でも、くっそ疲れる……」
ウンジェはスマホをつけた。
さっき別れたばかりの友達が、もうグループチャットを作っていた。ソヒは三人で撮った写真を続けて投稿していた。
写真の中のウンジェは、口を開けて笑っていた。
本当に、何も考えずに笑っていた顔だった。
「楽しんだね」
「みたいだね」
ウンジェは写真を一枚保存した。
そのとき、前から男がふらつきながら歩いてきた。
歩道の真ん中を占めて歩く男は、ウンジェを見ても道を譲らなかった。
ウンジェが塀のほうへ体を寄せて通り過ぎようとすると、男の肘が肩にぶつかった。
「くそ、何だ」
酒の臭いがひどかった。
ウンジェは眉をひそめたが、そのまま通り過ぎようとした。
「ぶつかったら謝れ、くそ女」
ウンジェが振り返った。
男も向き直った。
「何で喧嘩売るの。何様? 死にたい?」
「何だと?」
ナビが足首の横へ寄った。
〈どうするんだ。抑えて、行こう〉
「先に絡んできて、くっそむかつく」
「狂ったか? 死にたいだと? おまえこそ死にたいのか!」
男は右手でウンジェの肩を押そうとした。
酔った人間の手くらいなら、集中すれば簡単に避けられた。
だが、肩をひねって男の手を避けると、よろめく男の隙を見逃すことができず、ウンジェはそのまま拳を突き出した。
ウンジェは、自分の肉体が魔女の肉体ではないと知っていた。
だが今は、マジアンの記憶があまりにも強く肉体を支配していた。
「あれ?」
二十二歳の女の拳に、それほど大きな威力があるはずはなかった。
男は自分の顔を殴ったその手を、そのままつかんだ。
「狂った女が。死にたいか?」
ウンジェはすぐに腕を引き抜こうとした。
抜けなかった。
反対の手で男の指を押しのけようとしたが、手首を締めつける力はさらに強くなった。
「手を出す女は、殴られたことがないからだ。正当防衛、知ってるか?」
男の肩が動くのが見えた。
次にどんな動作が来るのかも、わかる気がした。
それなのに、その前に自分の腕を抜くことができなかった。
――この程度の力に。
ウンジェの足が後ろへ押された。
そのとき、黒いものが男の腕へ跳び上がった。
「うわっ! 何だ!」
ナビがぶら下がると、男の手が緩んだ。
ウンジェはバランスを崩し、塀に背中をぶつけた。
ナビは男の服を蹴って下り、二人の間で背を逆立てた。
威嚇が路地に響いた。
〈コンビニへ!!〉
ウンジェは数歩下がった。
路地の入口に、明るい看板が見えた。男が手の甲を押さえ、悪態をつきながら近づくと、ナビは再び前へ跳んだ。
「どけ!」
男が足を振り回したが、ナビはもう横へ避けていた。
向かいの建物の窓が開いた。
「何をしてるんですか!」
ウンジェはそこでようやく、声を取り戻した。
「つかまれました! 通報してください!」
コンビニの扉が開き、店員が外をのぞいた。
男は人々の視線と足元の猫を交互に見て、聞き取れない悪態を吐いた。
そして、来たほうへよろめきながら去っていった。
ナビはすぐには追わなかった。
男が角の向こうに消えるまで、ウンジェの前に立っていた。
------
「大丈夫?」
部屋に入るなり、ウンジェはまずナビを抱き上げた。
前足とお腹を確かめる指先が、少し震えていた。
「僕は平気。君は?」
「手首が少し」
「見せて」
ダウンの袖をまくると、手首に赤い跡が見えた。
ナビは前足を近づけかけて、止めた。
ウンジェはその動きを見て、腕を下ろした。
「いい。魔法は使わないで」
「使うつもりもなかった」
ウンジェはベッドの端に座った。
少し前までは、友達と遊んで疲れたと思っていた。今は、その疲れがどこへ消えたのかもわからなかった。
心臓が鳴り続けた。
「避けられると思った」
「何?」
「つかまっても抜けられると思った。集中すると、動きはけっこう見えるのに」
ウンジェは自分の手を握っては開いた。
走るのがつらいことや、ズボンが入らないことは、腹立たしいことだった。
だが、手首一つ引き抜けないのは、まったく別の問題だった。
「ソ・ウンジェの力って、この程度?」
ナビは少しの間、答えなかった。
ウンジェの手の甲に前足を置いてから、ようやく口を開いた。
「記憶の体と今の体は違うから」
「分かってる」
「さっきは分かってなかった」
ウンジェは反論できなかった。
ナビの背中に顔を埋めることも、ふざけて悪態をつくこともしなかった。
しばらくして、ウンジェが尋ねた。
「走り続ければ、よくなる?」
「少しずつ。でもあんな相手と一人で戦ってはいけない。女性が体格のいい男と一対一で戦うのは、無茶らしい」
「それよりも……」
ウンジェはつま先を見つめた。
「何かあれば逃げられなきゃ。あなたより遅かったら解決しない」
ナビの尻尾が一瞬止まった。
やがてウンジェの手首に触れないよう、ゆっくり体の向きを変え、隣に座った。
「じゃあ、明日から」
「うん」
ウンジェはスマホを手に取った。
友達とのチャットには、まだ新しいメッセージが届いていた。
[家に着いた?]
ウンジェはしばらく画面を見てから、返信を書いた。
[うん。無事に帰った。]
そして、翌朝のアラームを設定した。
[お知らせ]
助けてください。




