012 この体重計、礼儀がなってない
「ええと……はい……ソ・ウンジェです」
ウンジェはスマートフォンへ手を振った。本二冊とウェットティッシュの容器に立てかけたその向こうで、ナビが尻尾を揺らした。
「違うかな?」
「何が気に入らないの?」
「インパクトがなくない?」
「ただの挨拶動画じゃなかった?」
考え込んだウンジェは、姿勢を変えて何度か撮り直した。
「こんにちは、宇宙の大スター、ソ・ウンジェだ。あたし、した。退院」
「はーい、お友達! ぴょんぴょんおばさんだよ!」
「Wassup, bro! ソ・ウンジェ・タイムだぜ!」
「ダーリン、何でこんなに遅かったの?」
ナビは、猫としてできる限りの呆然とした顔をした。
「僕は今、何を見たんだ?」
「YouTuberなんてやったことないから、こうするんじゃないの?」
「普通にして。知名度もないくせに……」
ウンジェはじっくり考えてから、落ち着いた声で挨拶をやり直した。
「こんにちは、皆さん。ソ・ウンジェです。先日ニュースに出ていた人で間違いありません。心配してくださった皆さん、ありがとうございます。今は退院して、元気にしています」
そこでウンジェは口を閉じた。ナビも続きを待った。部屋は静かだった。
「終わり?」
「他に言うことある?」
「これから何を投稿するか、言った方がよくない?」
「まだ知らないけど?」
「知らないままチャンネルを作ったの?」
「作らないと、何もできないじゃん」
ナビは前足で額をこすった。ウンジェが録画を止めて再生すると、挨拶が終わった直後、画面外から猫の声がした。
〈終わり?〉
「ちょっと、しゃべったら駄目じゃん」
「君が黙るからだろう」
「しゃべる猫、そのまま出してもいいかな? 注目される?」
「お願いだから消して」
撮り直す間、ナビは黙った。代わりにウンジェが何度も猫を見た。
「何?」
「そんなに見つめるから気になる」
「どうしろっていうんだよ!」
「違う方を見てて」
ナビが窓を凝視すると、後頭部を見たウンジェが吹き出した。
「あはは、何でそんなにかわいそうに見えるの? 気になってしょうがない!!」
「いったいどうすればいいんだ!!!」
結局、ナビをトイレへ入れた。
「扉は開けておいて」
「防音のために、ちょっと閉めるね」
「君がYouTubeをやるたびに、僕はトイレに閉じ込められるの?」
「すぐ終わる。本当に」
撮影の三十秒間、ナビは閉じ込められ、扉越しに挨拶の続きを聞いた。
「チャンネルは作ったんですが、何をするかはまだ決まっていません。まずはVlogを中心に撮ってみようかなと思います。とにかく、よろしくお願いします!」
最後にぎこちなく両手を振ってから、ウンジェは録画を止めた。トイレの扉を開けるとナビが飛び出してきたので、一緒に映像を確認した。
「うん、まあまあいいね」
「何回撮った? 才能ないんじゃないか……」
「最初からうまい人なんていないでしょ」
ウンジェは投稿ボタンを押し、タイトル欄で長いこと悩んだ。
[ニュースに出た、あのHOT GIRL。ソ・ウン……]
「消せ」
ナビの一言に、文字を消して打ち直した。結局、普通の文にした。
[こんにちは。ニュースに出ていたソ・ウンジェです。]
投稿すると小さな丸が回り、ほどなく空だったチャンネルに動画が一つできた。ウンジェは誇らしげに画面を見せた。
「できた。あたしもYouTuber」
「Vlogの内容は?」
「明日から考えよう」
ウンジェはそのままベッドに横になった。
「今日は働きすぎた。ショートを見て休もう」
「三十秒の動画一本だけで?」
「始めたら半分終わったも同然だって」
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二日もしないうちに、マジアンとしてのソ・ウンジェは、この世界が思ったよりずっと素晴らしいと気づき始めた。ソ・ウンジェの記憶を持っていることと、実際に経験することは違った。
魔法も使えず、弱い体で病院に寝ていたころの印象とは、まったく別の世界だった。
お金の問題はまだ完全には解決していない。だが叔父にもらったお金だけでも、たくさんの文明の恩恵を楽しめた。特に、携帯と部屋に備え付けのテレビで、新世界が開けた。
「これ、好きなだけ全部見られるの?」
ウンジェは横になったまま、リモコンでNetflixの画面をスクロールした。終わりがなかった。どれほど下へ送っても、別の作品が現れた。
「お金のかからない娯楽なの???」
「そのプランに含まれているものは、そうらしい」
「ここの道化師、飢え死にするね」
「ここの道化師は、画面の中に入って稼ぐみたいだよ」
記憶で知るNetflixと、寝ながら好き放題使うNetflixは、まったく別物だった。画面で人が戦い、恋をし、死んで、また生き返った。
「見て、竜だ」
「見えてる」
「あんなの初めて。あんなかわいい竜がいるの?」
「作り物だからだろう」
「くっそすごい。この世界には竜がいないのに、監督はSystemfarerなのかな?」
ナビは説明しかけて、黙った。ウンジェはもう、次のドラマに夢中になっていた。
「イカバターゲーム?」
Netflixでいちばん有名だというので、一話だけ見るつもりだった。なのに、止められなかった。
「ここで切るの?」
次の話を押すしかなかった。ソン・ギハンがどうなるか、知らなければならなかった。
[ソンウがアッサルを裏切った。]
「あの野郎。最初から目つきがおかしいと思った」
「最初はイケメンだって言ってたよね」
「イケメンと裏切りに、何の関係があるのよ」
[ソンウがアサミンを殺した。]
「うわああ!!! この野郎!!! アサミンを返せ!!!」
「うるさい!!! 静かに見て!!」
九話が終わると、ナビは窓を見た。
「日が昇ったよ」
「うわあ!! シーズン二があるって。一話だけ見て寝ちゃ駄目?」
「本当に頭おかしいんじゃないか?」
第二シーズンの三話が始まるころ、ナビは先に眠った。
ウンジェがやっとテレビを消したのは、『まるく、まるく』という歌と花火の音が響いたときだった。まぶたがもう耐えられなかった。
「この体、何でこんなに寝るの……むにゃ……」
この世界は、本当にすごかった。
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翌日、ネットで注文したノートパソコンが届いた。部屋の隅にある、本も何も置かれていない寂しい机に、パソコンとマウスが載った。そしてウンジェは、ソ・ウンジェの記憶をたどり、オボオッチというゲームを入れた。
[ハナマーナへ出発しまーす!]
「ゲンジ、ばか、何で飛び出すの!!! あのトロール!! ウルト使って一人しか倒せなかったの?」
驚いてナビが目を開けると、机に向かうウンジェが両手で頭を抱え、悪態をついていた。
「何だ!! 誰と戦ってる?」
「知らない! 初めて見るやつ!」
「知らない人と、なぜ戦うんだ?」
「味方だから戦うの!」
ナビはしばらく、その意味を考えた。
――いったいどういうことだ?????
考えても意味がわからなかった。画面の中で、短髪の痩せた女性キャラクターがハンマーに倒された。ウンジェはマウスを投げた。
「もうやらない。くそゲー」
ナビが目を閉じかけると、すぐ効果音がした。もうマウスを握っている。
「やめるんじゃなかった?」
「あと一戦」
「さっきあれだけ悪態をついて???」
「トロールとばかり組まされるからよ。一回勝ってやめる」
ほどなく画面に勝利の表示が出た。ウンジェの機嫌がよくなった。
「お、今いい感じ」
また一戦始まった。ナビはようやく構造を理解した。
負けても終わらない。
勝っても終わらない。
無間地獄と同じだ。
次に目を開けても同じ姿勢だった。違ったのは、窓の外が夜になっていたことだけだ。
「ウンジェ、お腹は空かない?」
「あ、そうだね」
ゲームを閉じ、携帯を取った。
「何食べる?」
「魚」
「ちゅ〜ると缶詰でいいでしょ。猫にチキンより高いサーモンの刺身を頼むのは、どう考えても贅沢すぎる」
「自分で稼いだお金でもないくせに……」
画面には料理の写真が並んだ。ラーメンばかりだと叱られてから、食生活を改善するため配達アプリを入れた。おかげで、ラーメンだけではなくなった。チキンもピザもトッポッキも食べた。
「種類が増えただけでは、改善とは言わないと思うけど」
「あなたも餌以外のものが増えたじゃん」
ウンジェは冷蔵庫から猫のおやつの缶を取り出した。その音でナビが顔を上げた。
「魔法なしで熱い料理が家まで来る。文明レベル最高」
「この缶詰とちゅ〜るは、正直めちゃくちゃすごい」
「地球人は全員天才なんだね」
「天才の基準って、前からそうだった?」
「ソ・ウンジェの意見だって」
ナビは反論しなかった。これまでの世界より、文明水準が高いのは事実だった。
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一週間で、引きこもり生活が定着した。起きれば携帯を見て、食べながらYouTubeかTikTokを見て、ゲームをした。うまくいかなければInstagramへ戻った。
ラーメンのときは鍋を洗ったが、配達を頼み始めると、洗い物はカップ一つだった。それも洗わなきゃと思うころには、ナビが流しの前から見ていた。
「分かった、やる」
「何も言ってない」
「顔で言ってるじゃん」
ごみ捨てが、一日の最も遠い旅だった。初めはサンダルで出たが、寒くてスニーカーにした。階段を下りながらも、次に見る作品を選んだ。
アボリターを捜して城壁を越えた魔女が、今は分別収集の日を確認していた。袋を置く場所が分からず大家へ電話して、十分間、きちんと食べるようにと言われたこともあった。
「ごみを捨てるのに、何でこんな複雑な手順があるの?」
「世界の法則を学んでいると思えばいい」
「缶とプラスチック、何が違うのよ」
ナビは昼間、ネットを探した。脳損傷や意識回復の資料は多いが、マジアンの肉体へそのまま使えるかは別問題だ。質問も広告も説明も、同じ画面に混在していた。
最大の問題は、情報の真偽を見分ける能力がないことだった。もっと偽情報に触れてからでなければ、それはできない気がした。
ウンジェが面白い動画を差し出すと、検索を止めた。
「見て、くっそかわいい。あはは。自分の尻尾にびっくりしてる」
「君は充電コードを踏んで驚いてたけど」
「蛇だと思ったの」
「ばか。部屋に蛇がいるわけないだろう」
笑ったあとは、ナビはまた資料を読んだ。ウンジェも時々、何か見つかったか尋ねた。まだ、と返ってくると、うなずいてナビの背中を撫でた。
すぐ解決できないのは分かっていた。なら、体が回復する間は、少し遊んでもいいのでは?
そう思った。その『少し』は、一日ずつ延びた。
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「今日、何時に寝た?」
「知らない。鳥が鳴いてたころ?」
「起きたのは?」
「今」
「もう午後四時だよ」
「よく寝たね」
ナビは言葉を失った。
退院して十日、ウンジェは目覚めるとまず充電量を見る人になっていた。今日もその予定だった。
だが、起きようとすると胸元が苦しかった。Tシャツの中へ手を入れ、下着を引いた。妙にきつい。
「洗濯、失敗した?」
「何が?」
「服が縮んだ。むかつく」
ウンジェはブラジャーを外し、放り投げた。
「あー、楽。いつもつけてたみたいだからつけるけど、この世界の下着って何でこんなに窮屈なの」
「SNSを見ると、家ではつけない人も多いらしいよ」
「ええ? つけなくてもよかったの?? ウンジェはほぼ一日中つけてたけど」
「理由までは知らないよ」
体を返してベッドから下り、充電器を拾おうとしゃがむと、今度は膝がだるかった。ウンジェが顔をしかめると、ナビが近づいてきた。
「痛いの?」
「違う。ちょっと苦しいし、膝も変。変な寝方したかな?」
ウンジェは立ち上がり、何度か脚を曲げ伸ばししてから、鏡を見た。
何かがおかしい。目はうつろで、肌はかさついていた。顔が記憶より丸く見えた。両手で頬を押した。
「ナビ」
「何」
「この鏡、前から横に広がって見えたっけ?」
「鏡が?」
ウンジェは返事を待たず、退院したときのズボンを取り出してはいた。太ももで引っかかり、ウエストでも引っかかった。息を吸い込むと、ボタンが留まった。
吐くと、ボタンが腹を押した。
「これも縮んだ」
「それ、洗ったの?」
手が止まった。ナビはそれ以上聞かなかった。
ウンジェはベッドの下から体重計を取り出した。生活用品と一緒に買い、一度乗ってから忘れていたものだった。靴下まで脱いで乗った。
数字が点滅した。下りて、また乗った。横へ移しても乗った。
「床が傾いてる?」
ナビが画面を見る。ウンジェは携帯に記録した体重と数字を見比べた。初めて買ったときより、四キロ増えていた。
「待って」
腹を見下ろした。さっきまでズボンが縮んだと思っていた部分だ。指でつまむと、つまめた。
ナビは顔を見上げた。アボリターに会ったときも、こんな顔はしなかった。
「この体重計の野郎、おかしい。ソ・ウンジェの記憶に、こんな数字はないんだけど……」
「食べて寝てゲーム。食べて寝てゲーム……これを予想できなかった方が驚きだよ」
ウンジェの声が裏返った。
「くそ。この体、太りもするの????」
[お知らせ]
うわあああ!!! この小説は絶対にフィクションです!!! NO賄賂! NO洗脳!!! NO誤解!!!
ソ・ウンジェのYouTubeチャンネルも、ご覧いただけると嬉しいです……。
https://www.youtube.com/@WESTEUNJAE




