二十三話:邪王の血脈、久遠の抱擁 (改稿)
第二十三話:邪王の血脈、久遠の抱擁
重厚な石造りの議事堂。
かつてはタルカ法国の知性と権力の象徴であったその場所は、今や絶望に駆られた老人たちの墓標と化していた。
コンスタンティンら元老院議員たちは、私兵をかき集めて鉄の扉を閉ざし、籠城を決め込んでいた。しかし、その守りは「地獄王」と「巨獣」という、暴力の極致の前ではあまりに無力だった。
ミノタウルスの凄まじい咆哮が議事堂の基礎を揺らし、アレクサンダーが全力で振り下ろした大剣が、火花を散らして巨大な扉を粉砕した。
爆音と共に砂塵が舞い、彼らが議事堂の最深部――「至聖所」へと踏み込んだとき、アレクサンダーの動きが凍りついた。
そこに広がっていたのは、人間が創り出した地獄をさらに煮詰めたような光景だった。
外敵に怯え、団結すべきはずの議員たちが、互いの喉を掻き切り、狂った獣のように殺し合った無惨な死体の山。
コンスタンティンもまた、眼球を剥き出し、隣人の首を絞めたまま絶命していた。
その凄惨な返り血の海の中で、ただ一人、レイミアが月光のような静寂を纏って立ち尽くしていた。
彼女が指先一つ動かす必要すらなかった。
彼女の美貌という名の毒に狂わされた男たちが、独占欲という病に侵され、自ら破滅を選んだのだ。
「……レイミア!」
アレクサンダーは血塗られた剣を捨て、地獄の王としての仮面を脱ぎ捨てた。
彼は駆け寄り、返り血を浴びてもなお汚れることのない彼女の細い肢体を、砕かんばかりの勢いで抱き締めた。
「邪王力――それが、彼女に宿る呪いの正体よ」
不意に、清冽ながらも圧倒的な重圧を伴って、ミリアムが姿を現した。かつての清純な聖女の瞳には、天上の盲目的な光ではなく、世界の深淵を覗き込むような、冷徹で深遠な知性が宿っている。
「彼女は、古より、『聖王フレイアード』と永遠に相反する存在『邪王カルシャード』の直系。男たちの理性を強制的に剥ぎ取り、魂を内側から腐らせる支配の波動――『邪王力』。それがレイミアの、人の域を超えた美貌の源泉なのよ」
衝撃の事実にアレクサンダーは言葉を失う。
己が愛した美しさが、男を破滅させるための武器であったという残酷な真実。
しかし、ミリアムの唇には、微かな、かつての義妹としての柔らかな慈しみが浮かんだ。
「けれど、案ずることはないわ。その毒を唯一、無効化できるのは……打算も欲望もない、真実の愛だけ。アレクサンダー、あなたの情愛が、ただの『女』としての彼女を包み続ける限り、その力はいずれ霧散するでしょう。彼女は呪いから解き放たれるはずよ」
騒乱の熱気が少しずつ夜風に冷やされていく中、シーザーが静かに二人の元へ歩み寄った。
その背後には、食料と旅具を積んだ、毛並みの良い数頭の馬が用意されている。
「行け、アレクサンダー。ここに、もうお前たちの居場所はない。ここにあるのは、死体と、過去の遺物だけだ」
「……シーザー、お前はどうする。この国の残骸を背負うつもりか」
「私は、この泥の海を片付ける。……聖騎士という役割ではなく、一人の人間として、犯した過ちを清算するつもりだ」
シーザーは自嘲気味に、だが晴れやかな表情で笑った。
天界の法に殉じようとした騎士、地獄を這いずり回り王座に就いた戦士、そして神の器として運命を捧げた聖女。
運命という名の悪辣な脚本に翻弄され、互いを呪い、傷つけ合った三人が、今、炎上する議事堂の中で再び一つになった。
言葉は不要だった。
三人はどちらからともなく歩み寄り、互いの肩を抱き、深く、静かな抱擁を交わした。
それは、泥を啜った日々への弔いであり、明日から始まるそれぞれの、果てしない孤独な戦いへの無言の誓いだった。
「……またな。死ぬんじゃねえぞ、二人とも」
アレクサンダーはレイミアを馬に乗せ、朝靄の煙るタルカの街へと駆け出した。
背後に残るシーザーの白銀の鎧と、ミリアムの静かな佇まいが、朝焼けの光の中に遠ざかっていく。
タルカの偽りの栄光は潰え、神話は終わった。
しかし、名もなき荒野を往く二人の旅路には、呪いではない、人間としての温かな光が差し始めていた。
アレクサンダーの腕の中で、レイミアは初めて、本当の安らぎを知る少女のような顔で微笑んでいた。




