第二十二話:謀略の獣道、血塗られた反旗(改稿)
第二十二話:謀略の獣道、血塗られた反旗
翌日、闘技場を支配していたのは、もはや娯楽としての熱狂ではなく、本能的な死の予感に近い異様な熱気であった。
円形舞台の中央、陽光を浴びて傲然と立ち尽くす地獄王グランバード(アレクサンダー)の前に、その「処刑人」が現れた。
地響きと共に引き入れられたのは、伝説に謳われる巨躯の化身ミノタウルス。
全高三メートルを超えるその怪物は、全身を鋼の筋肉で覆い、鼻孔からは煮えくり返るような蒸気を噴き出している。
幾十もの太い鎖に繋がれ、数十人の兵士たちに囲まれながら、屠殺場へと連行される家畜のように舞台へ引き立てられる巨獣。
だが、解錠の重い音が響き、鎖が外された瞬間、ミノタウルスの瞳に昏い知性の光が宿った。
「ミノタウルスか、こいつはいいや……モー、モゥー、モウ」
アレクサンダーが低く、喉の奥から野太い声を絞り出した。
それは挑発でも、咆哮でもない。種を越えた、深淵での「対話」であった。
激昂したふりをしたミノタウルスが、引きずるほどに巨大なバトルアックスを荒々しく振り回し、石畳を爆ぜさせる。
アレクサンダーは恐怖に駆られた獲物を演じ、ジリジリと後退しながら壁際へと追い詰められていった。
背後からは、観客席の隙間から警護兵の槍が突き出され、中央へ戻れと彼の肌を焼く。
絶体絶命――誰もが王者の無惨な死を確信したその刹那、アレクサンダーは突風の如き速さでミノタウルスへと突進した。
彼は正面からぶつかるのではなく、振り下ろされた巨大な斧の「腹」へと、吸い付くように飛び乗った。
「――飛ばせッ、相棒!」
アレクサンダーの咆哮に応じるかのように、ミノタウルスは渾身の力で斧を振り抜き、その上に乗ったアレクサンダーを大砲の弾の如く観客席へと豪快に放り投げた。
「ぐあっ……!」
石造りの観覧席へ激突し、凄まじい粉塵を上げるアレクサンダー。
だが、彼は空中ですら受け身をとり、衝撃を殺すと同時にすぐさま立ち上がった。
その剛腕は、近くで呆然と震えていた元老院議員の首を、逃さずガシリと掴んでいる。
「な、なんだ……何が起きている!?」
悲鳴が上がる中、ミノタウルスもまた、壁に深く突き立てたバトルアックスを踏み台にし、その巨躯に似合わぬ軽やかさで観客席へと侵入した。
阿鼻叫喚の地獄絵図。逃げ惑う群衆と、血を流して倒れる貴族たち。
その混沌の真っ只中で、アレクサンダーは不敵に、そして獰猛に笑った。
「これからどうする、大将? 宴の続きといこうぜ」
言葉を解さぬはずの巨獣が、アレクサンダーの隣で、荒い鼻息を吐きながら静かに待機する。
「……地下の奴隷どもを解放する。俺の『ミノ語』が通じて、命拾いしたぜ。
野獣ってのは、あそこに座ってる豚(議員)どもより、ずっと話が分かる」
二人の王者は、最初から結託していたのだ。殺し合うべき獲物は、砂の上にいる者ではない。贅を尽くした特等席で、他人の命をワインの肴にしていた者たちだった。
パニックに陥った観客と、人質を奪われて狼狽する兵士たち。
「元老院を救え! 総員、アリーナへ突入せよ!」
叫ぶ警護兵たちに対し、全軍の指揮権を握るシーザーが、冷然と、そして残酷なまでに静かな下知を飛ばした。
「混乱を広げるな。観客の避難誘導を最優先しろ。議員の安全確保は……後回しだ」
その声は、救済の指示ではなく、旧体制を見捨てるための処刑宣告であった。
シーザーが意図的に作り出した「空白」を突き、アレクサンダーとミノタウルスは、破壊の嵐となって闘獄の地下深くへと侵入した。
重厚な牢獄の扉が、ミノタウルスの斧とアレクサンダーの剛拳によって、次々と鉄屑へと変えられていく。暗闇から這い出してきたのは、光を奪われ、牙を研ぎ続けてきた七千人の奴隷剣士たち。
「王」の呼びかけに応じ、彼らはその手に武器を、瞳に怒りの焔を宿した。
「野郎ども、鎖を食いちぎれ! 今日、この法国を本当の地獄に変えてやる!」
七千の刃が、法国の心臓部を貫く巨大な「反逆の槍」と化した。
タルカの誇り高き栄華が、その内側から爆ぜようとしていた。シーザーは、燃え上がる闘技場を見つめながら、自らの銀の剣を静かに抜き放った。
それは反乱を鎮めるためではなく、腐った時代を終わらせるための刃であった。




