最終話:黎明の咆哮、神話の彼方へ (改稿)
最終話:黎明の咆哮、神話の彼方へ
元老院の腐敗と共に崩壊した旧体制。
その瓦礫の下から、新たな世界の形――「帝政神聖タルカ法国」が産声を上げた。
初代皇帝の座に就いたのは、アウグストゥス。
五十路を越えてなお、その身に一点の濁りもない「聖性」を宿し、静謐な知性を湛える稀有なる賢人である。
かつて俗世を捨て、神隠しに遭ったと噂されたこの男は、若き日のシーザーに剣と法、そして非情なる理を叩き込んだ養父でもあった。
シーザーは、皇帝の懐刀、あるいは「影」として、アンクール王国を含むタルカ全域の再統一を果たす。
かつての白銀の鎧を脱ぎ、漆黒の官服と権謀を纏った彼は、もはや聖騎士ではない。
反乱分子を冷徹に摘み取り、法を執行する統治の怪物であった。
「汚れ役」――そう後ろ指を指されようとも、彼の氷のような瞳が揺らぐことはなかった。秩序の礎を固めるには、誰かの返り血が必要であることを、彼は義弟であり親友であるアレクサンダーから嫌というほど学んでいた。
一方、ミリアムは初代教皇の座へと就任した。
神官たちを統べ、揺らぐ民の信仰を束ねる聖なる拠り所。
彼女の傍らには、半天使の娘リディアがいた。その背に宿る、清冽な輝きを放つ小さな翼。民衆は彼女を「天女」と呼び、絶望の淵に現れた希望の光として神聖視した。
ミリアムは娘を抱きながら、かつての義兄たちとの絆を胸の奥に封じ、神の代理人としての仮面を深く被った。
しかし、新世界の整然とした秩序に背を向け、地平線の彼方へと歩みを進める軍勢があった。
アレクサンダーとレイミア。
彼らが率いるのは、解放された七千の奴隷剣士、戦火を生き延びた傭兵団、そして故郷の土を捨ててまで「王」に従うことを決意した民草たちであった。
彼らは再建されたアンクールの安寧に留まる道を選ばなかった。アレクサンダーは、自分たちを縛る神の法も、自分たちを嘲笑った魔の誘惑も届かぬ場所を求めていた。
軍列の先頭を行く副将、ミノタウルス・クレイトスが、鋼のように硬い戦斧を担ぎ直し、地響きのような低い声でアレクサンダーに問いを投げた。
「……王よ。我らは、どこへ向かう? この先に残るは、魔王族の支配する呪われた暗黒のみだぞ」
アレクサンダーは、馬上で隣に並ぶレイミアの細い手を、壊れ物を扱うように、しかし決して離さぬよう強く握った。
かつて自分たちを翻弄し、高見から見下ろした闇の空を、黄金の瞳で真っ直ぐに見据える。
「――魔王界へ。そこを俺たちの、人間が人間のために生きるための大地にする」
その宣言は、神に抗い、魔を喰らうという、人類史上最も傲岸不遜な進撃の合図であった。
アレクサンダーの軍勢は、人跡未踏の魔境へと踏み込み、襲い来る魔王族を圧倒的な暴力で蹂躙した。
恐怖に支配されていた大地を、人間の、そして獣たちの「力」によって一本ずつ杭を打つように支配していく。
魔王母メルフェレーンの不気味な嘲笑は、いつしか、荒野を切り拓く戦士たちの雄叫びと、槌の音によってかき消されていった。
レイミアの「邪王力」は、アレクサンダーの不変の情愛によって、もはや男を惑わす毒ではなく、新たな国を慈しむ「母性の輝き」へとその形を変えていた。
後にそこは、神の領域でも魔の領域でもない、不屈の王が統べる第三の聖域――「地王界」と呼ばれるようになる。
天と地と魔が三つに分かたれ、新たな歴史が刻み始められた時。
それは、地王暦元年のことである。
(第一部・完)




