第十八話:偽りの突撃、無明の刺突 (改稿)
第十八話:偽りの突撃、無明の刺突
アンクール軍の猛攻は、あたかも狂乱した獣が喉笛を狙うように、タルカ軍の左翼一点へと殺到した。鋼と鋼が激突する不快な金属音、そして異形たちの耳を刺す咆哮が平原を震わせる。
その圧倒的な圧力を受けながらも、シーザーは冷静さを失わなかった。
白銀の馬上で微塵も姿勢を崩さず、旗信号と短く鋭い下知によって全軍を統制する。
「右翼、旋回。敵の突出をあえて許せ。円環を閉じ、包囲殲滅の糧とせよ」
彼の狙いは、あえて左右を広げて敵を誘い込み、巨大な顎のように飲み込む包囲陣の完成にあった。
だが、それこそがアレクサンダーが仕掛けた、命懸けの「死の筋書き」であった。
「――今だ、突き抜けろ! 鋼の心臓を持つ者だけが、俺に続けッ!」
布陣を広げ、中央が薄く伸び切ったタルカ軍の本陣。その一瞬の空白を、アレクサンダー率いる黒鉄の騎馬隊が、地を這う雷光のごとき速さで貫いた。
狙いはただ一点。
白銀の将旗が翻る、シーザーの首。
幾重にも重なる防陣を紙細工のように引き裂き、アレクサンダーの担ぐ鉄塊が、大気を爆ぜさせながらシーザーの眼前に迫った。
刹那の断絶、永遠の空白
「……チェックメイトだ、シーザー!」
怒号と共に振り下ろされた漆黒の一撃が、シーザーの白銀の剣と真っ向から噛み合う。凄まじい衝撃波が周囲の兵たちを弾き飛ばし、戦場の中央に二人だけの断絶された世界が現出した。
火花が激しく散り、互いの息遣いが聞こえるほどの距離。
かつての兄弟は、互いの瞳に宿る深い闇を凝視した。
激闘の果て、力で勝るアレクサンダーの豪剣が、シーザーの完璧な防御を突き崩す。
剣先がシーザーの剥き出しの喉元を捉えた。
勝負は決した――。
誰もがそう確信したその刹那、アレクサンダーの脳裏に、不意に鮮明な情景がフラッシュバックした。
修道院の冷たいパンを半分に分け合った手の温もり。カビ臭い干し草の上で、「いつか立派な騎士になろう」と誓い合った、星空の下の約束。
その青臭い記憶が、冷徹な覇王の腕を、一瞬だけ金縛りにした。
(……くそっ……!)
一瞬の躊躇。
わずかに震え、鈍った剣先。
だが、シーザーという「規律に魂を売った怪物」が、その致命的な隙を見逃すはずはなかった。
「甘いな、アレクサンダー。お前のその『情』が、国を滅ぼすのだ」
無慈悲なほどに正確な、白銀の刺突。
それはアレクサンダーの重厚な鎧の隙間を縫い、その腹部を深く、深く貫いた。
ドロリとした熱い鮮血が溢れ出し、漆黒の英雄は力なく膝をついた。
「――殺すな! 息を繋げ! 罪人として本国へ護送せよ!」
シーザーの声が戦場に轟く。
主君が地に堕ちる様を目の当たりにしたアンクール軍は、その瞬間に糸の切れた傀儡のように瓦解した。勝利の凱歌は、虚しくも白銀の軍勢のものとなった。
敗北の凶報は、不吉な疾風となってアンクール城へと届けられた。城内が敗残兵と女たちの悲鳴で混乱に包まれる中、女王レイミアだけは、氷のような静謐さを保っていた。
彼女は返り血に汚れた忠臣ハボンを呼び寄せ、その震える腕に、まだ幼き王子レイスを託した。
「……ハボン、この子を連れて、誰の目にも触れぬ闇へと落ち延びなさい。アンクールの血を、アレクサンダーの情熱を、ここで絶やしてはなりません」
「しかし、女王陛下! あなたを置いて、我らだけが逃げるなど……!」
「私が時間を稼ぎます。……女一人の命で、王国の未来が、この子の明日が買えるなら安いものですわ」
レイミアは、絶世の美貌に悲劇的なまでの高潔な笑みを浮かべ、押し寄せるタルカ軍の前に一人立ちはだかった。
彼女は抗うことなく、誇り高く捕虜となる道を選んだ。
アレクサンダーと同じく、本国で「罪」を裁かれる運命を受け入れたのである。
一方、ハボンに連れられたレイス王子の小さな背中は、戦火が立ち上る深い霧の向こうへと消えた。
シーザーは、逃げ延びた子供を執拗に追おうとはしなかった。
それが、かつての兄弟に対する最後の手向けなのか。あるいは、彼なりの絶望的な贖罪なのか。
彼自身にも、その答えは分からなかった。ただ、血に染まったアンクールの空には、魔王母の嘲笑のような不気味な月が、寒々と浮かんでいるだけであった。




