第十七話:断絶の境界線、神亡き戦場 (改稿)
第十七話:断絶の境界線、神亡き戦場
両軍が地平線を埋め尽くし、張り詰めた静寂が平原を支配する中、中央へと歩み出る二つの影があった。
東からは、漆黒の毛並みを持つ巨馬に跨り、岩塊のような大剣を肩に担いだアレクサンダー。
かつての少年らしい瑞々しさは消え失せ、不遜な笑みを刻んだ面構えには、修羅の道を歩んできた者だけが持つ獣の覇気が横溢している。
西からは、雪のように白い名馬を駆り、一点の曇りもない白銀の甲冑に身を包んだシーザー。
その姿は彫像のように端正で、乱れのない手綱捌きは「法」そのものの厳格さを体現していた。
かつて同じ揺り籠で眠った二人が、今、数万の軍勢の視線を背負い、境界線の上で対峙した。
「久しぶりだな、シーザー。……元老院のふかふかの椅子は、戦場の泥の上より座り心地が良かったか?」
アレクサンダーが喉を鳴らして笑い、愛馬の鼻面を並べる。
その背後、アンクール軍の陣列には、欲望と恐怖によって無理やり従えられたゴブリンやコボルトの異形たちが、飢えた獣の如く濁った唸り声を上げていた。
魔王族の力すらも己の「道具」として平然と使いこなす。
それが、今の彼の選んだ王としての流儀だった。
「魔道に堕ちたか、アレクサンダー。貴様の魂は、もはやその背の鉄塊よりも重く、汚れている」
シーザーの声は、冬の深夜を思わせるほどに低く、冷徹だった。
白銀の装甲は陽光を反射して神の代理人としての威光を放っているが、兜の奥から覗く瞳には、法を執行する者の使命感とは異なる、昏く澱んだ執着の焔が宿っていた。
「あいにく、ここには神も天使も居ねえんでね。俺が頼れるのは己の腕と、この乾いた大地の熱だけだ。お前が抱えているその『神様』は、この泥の匂いを知ってるのか?」
「今からでも遅くはない、武器を捨てて降伏しろ。貴様の罪を、法の名の下に正しく裁かせてくれ。……それが、私に残された最後の慈悲だ」
「断る。……どうだい、シーザー。兵共をこれ以上無駄死にさせるのも忍びねえ。俺とお前の一騎打ちで、このケリをつけようぜ。かつてのようにな」
アレクサンダーがグレートソードの柄に無造作に手をかけ、挑発的に誘う。それはかつての兄弟としての、彼なりの最後の手向けであったのかもしれない。
しかし、シーザーは無表情なまま、静かに、そして拒絶するように愛馬の踵を返した。
「……そうもいくまい。これは私闘ではない。タルカ法国の、そして秩序の『意志』だ」
遠ざかっていくシーザーの白銀の背中に向け、アレクサンダーは冷ややかな声を投げかける。
「強がるなよ。お前んところにも、もう神はいねえんだろ? あの夜、俺たちは天王界に見捨てられた。……そうだろ、シーザー!」
一瞬、シーザーの背中が、目に見えるほど微かに震えた。彼は足を止めず、振り返ることもなく、ただ一言だけを凍てつく風に乗せた。
「――ミリアムがいる」
その名は、かつての三人を繋いでいた最後の手がかり。そして、今や互いの心臓を抉り合うための、最も鋭い刃でもあった。
「……ハッ、違えねえ。地獄への道連れに、これ以上の贅沢はねえな」
双方が自陣へと帰り、再び重苦しい沈黙が平原を包み込んだ。
アレクサンダーが、血の気が引くほどの咆哮と共に右腕を高く掲げた。
同時に、シーザーが音もなく抜剣し、その白銀の刃を真っ直ぐに天へと指し示した。
直後、平原の静寂は、数万の怒号と鋼が擦れ合う凄まじい轟音によって、粉々に砕け散った。
「全軍、突撃ッ!! 骨の髄まで叩き潰せ!」
「聖なる裁きを! アンクールの闇を、一兵残らず焼き尽くせ!」
二つの怒涛が激突した瞬間、世界から色は消え、ただ鉄の匂いと鮮血の飛沫だけが舞った。
アンクールの平原は瞬時にして、秩序と混沌、執着と絶望が踊り狂う、狂乱の坩堝へと変貌した。




