第十四話:神罰の残火、遺された使命 (改稿)
第十四話:神罰の残火、遺された使命
「……待て、アレクサンダー! 相手は神の遣い、我らが仰ぐべき天の使徒だぞ!」
寝所に踏み込んだシーザーの手が、激昂し、我を忘れて突進しようとするアレクサンダーの肩を、万力のような力で掴んだ。
法を重んじ、騎士としての魂を天への忠誠に捧げてきたシーザーにとって、翼持つ者へ刃を向けることは、自己の存在意義を根底から否定するに等しい。峻厳な規律と、目の前の背徳への憤怒。その矛盾に、彼の屈強な足が、生まれて初めて小刻みに震えていた。
「どけ、シーザー! あんなのはもう天使じゃねぇ……神の威光を傘に着た、ただの飢えた獣だ! ――堕天使だよッ!」
アレクサンダーは義兄の制止を野性的な力で振り切り、背負った巨大な鉄塊――黒ずんだグレートソードを、迷いなく頭上から振り下ろした。
爆音と共に、一撃がタルカスの背後を襲う。
だが、鋼の刃がその身に触れる直前、不可視の衝撃波がアレクサンダーの全身を打ち抜いた。
「……ぐはっ!?」
重力を無視して吹き飛ばされたアレクサンダーが、硬い石壁に叩きつけられ、肺腑を震わせる血を吐きながら絶句する。
ゆっくりと振り返るタルカスの身体から溢れ出したのは、かつての清廉な「天王力」ではなかった。
それは、おぞましきドス黒い魔気――粘りつくような「魔王力」。
美しきミリアムを独占したいという狂おしい私欲のため、彼は魔王母メルフェレーンに魂を売り、神への反逆者へと成り果てていたのだ。
「汚れた猿め。この娘は、我が深淵の伴侶。天王界をも凌駕する、背徳の庭に咲く華となるのだ」
「……許されぬ。天の名を騙り、友を、妹を、聖域を穢すことなど、断じて!」
意を決したシーザーが、震えを押し殺して銀の剣を抜き放つ。
しかし、堕天したとはいえタルカスにとって、人間の剣など羽虫の羽音にも等しい。
一方的な蹂躙が始まった。
シーザーの白銀の鎧は無残に砕け、絶望が室内に充満する。
追い詰められたシーザーは、今や意識を失いつつあるアレクサンダーの手を強く握り、魂を削るような咆哮を上げた。
「――聖天使セレシオンよ! 我らを見捨てたまうな! 我に、この深き闇を討つ裁きの光をッ!」
その絶唱に応えるかのように、寝所の天井が真っ白な閃光に包まれ、空間が音を立てて裂けた。
降臨したのは、冷徹なる裁きの執行者、聖天使セレシオン。
その姿は、憐憫や慈悲といった感情を一切排した、純粋なる「法」そのもの。セレシオンは一切の言葉を交わさず、その掌から神罰の光束を放った。
「グアアアァァァッ!!」
タルカスの白銀の翼が内側から燃え上がり、墨のように黒ずんで崩れ落ちていく。
「ま、待て……セレシオン! 私は、メルフェレーンに唆されただけなのだ! 彼女の美しさに、狂わされただけなのだ! お許しを、お許し……!」
かつての気高き使徒が、無様に床を這い、命乞いをする。
それを見下ろし、セレシオンはただ一言、「不潔なり」と氷点下の声で吐き捨てた。
次の瞬間、タルカスの存在そのものが、塵一つ残さず次元の彼方へと消滅させられた。
だが、脅威が去ったわけではなかった。
セレシオンの冷たい視線は、床に横たわる無垢な、そして薄衣を乱されたミリアムへと向けられた。
「……穢れた使徒の毒に触れた聖女よ。その魂は既に汚濁した。ここで魂ごと、浄化してくれる」
セレシオンが再び、処刑の光を収束させる。
シーザーが叫び、アレクサンダーが這い寄ろうとしたその時、光の中から現れた慈愛の使徒、地天使ディーリがその凶行を阻んだ。
「待ちなさい、セレシオン。この娘を滅ぼすことは、太古よりの契約に反します。このミリアムこそが、いずれ現れる『神聖タルカ法国』を統べる、絶対の守護者となる器なのですから」
ディーリの静かな制止を受け、セレシオンは不満げに鼻を鳴らすと、無言のまま光の渦へと消えていった。残されたディーリは、倒れ伏す二人の兄弟を見据え、その柔らかな指先から生命の光を滴らせる。
「シーザー、アレクサンダー。この娘の身を、今は貴方たちに託します。……ただし、忘れないこと。ミリアムはもはや、貴方たちが愛でる『妹』ではありません。彼女はやがて、地上のあらゆる汚濁を浄化し、神の法を体現する『法国の象徴』となる宿命にあるのです」
ディーリの姿が花の香りと共に消え、室内には深い静寂だけが戻った。
シーザーはボロボロの身体を引きずり、気を失ったミリアムをそっと抱き寄せ、その頬を震える指でなぞる。アレクサンダーは傍らで拳を血が滲むほど握り締め、己の無力さを噛み締めていた。
その静寂を切り裂いたのは、どこからともなく響く、低く、愉悦に満ちた女の笑い声。
「……クフフ……アハハハハッ! 素晴らしいわ、人間たち! 結局、神も天使も、お前たちを便利な道具としか見ていないのよ!」
魔王母メルフェレーンの嘲笑が、アンクール城の夜空に木霊する。
奪還したはずの自由は、神の意図という名の冷たい鎖に繋ぎ止められていた。
聖騎士と聖戦士、そして聖女。
三人の前には、神が書いた絶望の脚本を書き換えるための、果てなき修羅の道が伸びていた。




