第十三話:背徳の褥(しとね)、堕天の咆哮 (改稿)
第十三話:背徳の褥、堕天の咆哮
祝宴の喧騒が遠のき、王城の最上階を支配するのは、心臓の鼓動さえ聞こえそうなほどの重苦しい静寂。
客室にて、シーザーは白銀の鎧を脱ぎ捨て、薄い寝衣一枚で瞑想に耽っていた。
戦いの熱を冷まし、己の内に宿る「正義」の刃を研ぎ澄ますための、峻厳な時間。
だが、重厚な木扉が音もなく開き、青白い月光と共に一人の影が滑り込むように室内へ現れた。
「……ミリアムか?」
そこにいたのは、常に彼女を包んでいた聖なる法衣を脱ぎ捨て、透けるような薄衣一つを纏った義妹であった。
乱れた夜色の髪、潤んだ瞳。彼女は吸い寄せられるようにシーザーへと歩み寄り、その熱を帯びた肢体を彼に預ける。
白磁の如き指先がシーザーの鍛え上げられた胸元をなぞり、耳元で脳を痺れさせるような甘い吐息を漏らした。
「シーザー……私を、抱いて。この永遠に続く孤独を、あなたに預けたいの。神などではなく、私を見て……」
猛烈な本能の衝動が、シーザーの鋼の理性を内側から焼き切ろうとする。だが、彼は血が滲むほどに奥歯を噛み締め、内なる「聖王力」の残火を必死にかき集めた。
「……否。我が魂は、神の法に殉ずるもの。俗世の情に汚されることを、断じて許さぬ」
シーザーは眼を閉じ、血を吐くような覚悟で言霊を紡いだ。
「聖王フレイアード、聖天使セレシオン、守護天使タルカスよ――我を救いたまえ、この迷いを断ち切りたまえ!」
刹那、清冽な白銀の波動が室内に吹き荒れる。
腕の中にいたはずのミリアムの幻影が、陽炎のように歪み、音を立てて剥がれ落ちた。
そこに現れたのは、毒々しいまでの美貌を湛え、愉悦に瞳を細める魔王母メルフェレーン。
「おや……あと少しのところで。相変わらず、興を削ぐのが上手い男だこと。貴様のその『清廉』、いつまで保つかしらね」
メルフェレーンは不敵に唇を歪め、指先でシーザーの傍らの剣先を愛撫するように弄ぶ。
シーザーは即座に彼女を振り解き、壁に掛けた愛剣に手を伸ばしたが、魔王母の姿は闇に溶け、嘲笑の残響だけを残して霧散した。
「アレクサンダーッ!」
嫌な予感に突き動かされ、シーザーは隣室の扉を蹴破った。
そこには、王女レイミアと睦み合い、荒い呼吸と共に本能のままに愛を貪るアレクサンダーの姿があった。聖王力の継承者として支払うべき「情欲の排除」という代償を、欲望のままに踏みにじった愚行。
「愚か者め! 幻惑に目を醒ませ! これは魔王母の罠だ、ミリアムが危ない!」
シーザーの雷鳴の如き怒号に、アレクサンダーは冷水を浴びせられたように我に返った。
レイミアの瞳から妖しい燐光が消え、彼女がただの傀儡であったことを悟ったアレクサンダーは、獣のような狼狽を見せながらも漆黒の大剣を掴み、シーザーの背を追った。
ミリアムの寝所に辿り着いた二人が目にしたものは、救いようのない絶望、すなわち「神話の崩壊」であった。
「……っ、貴様……何をしている、離れろ!」
飛び込んだシーザーの眼前に広がっていたのは、乱れた褥の上、無抵抗なミリアムの白い裸体に覆い被さる一人の男の背中。
その背から生えるのは、かつては神々しく輝いていたはずの、しかし今は不浄な闇を纏い始めた白銀の翼。
「――タルカス!」
そこにいたのは、魔王族でも人間でもない。ミリアムの、神をも惑わす峻烈な美しさに魂を焼かれ、守護すべき対象を「獲物」へと変えた守護天使タルカスであった。
「案ずるな、人間ども。この娘の魂は、私が天へと連れて行く。不浄な泥土を這う貴様らには、指一本触れさせはしない……永遠にな」
ゆっくりと振り返ったタルカスの瞳は、もはや神の代行者のものではなかった。
それは昏い情欲と独占欲に染まりきった、堕天した獣の眼であった。彼の手がミリアムの白い喉元を愛おしげになぞる。
三人の絆を繋いでいた唯一の「聖なる秩序」が、今、絶対の守護者であったはずの天からの裏切りによって、音を立てて砕け散ろうとしていた。




