【恋ひわたる】
その晩、琳寧は寝付くに寝付けず、やっと寝付いても浅い眠りの中で長い夢を見た。
絹のようにしなやかな黒い長髪を後頭部の中心より少し上で結い、武家の若君とは思えぬ美しさで剣より花が似合うような少年は、名を源柊月という。この家にはこれまで若い家来がほとんどおらず、柊月と歳が近いものでも7つ年上だった。その環境と柊月の性格が相まって、彼は今まで仲のいい同世代の人間というものがいなかった。
「若様、お隣よろしいでしょうか?」
そう言いながら、1人の少年が柊月の隣に腰掛ける。
「まだ良いとは言っておらぬが?」
少年はそんな柊月の冷たい言葉に「ハッ」とひとつ笑いを返すと、
「これまで断られたことがございませんので。」
とにこやかに答えた。
この少年がここへ来て以来、彼ら2人は若君とその従者というより、旧友のように接しているのだ。そんな相手に隣に座るななどと言うわけが無いだろう、と柊月は心の中で思いながらも口にはせず、
「りん、お前また手を抜いているだろう。」
と話題を変えた。
゛りん゛と呼ばれたこの少年は、2年前にここの家来となった琳秋である。琳秋は柊月からの指摘にまた短く笑い返すと、
「私が手を抜かなければ、ほかの者たちはみな首が飛びますよ。若様はそんなことお分かりでしょう?」
ケラケラ笑いながら物騒なことを言うが、これは全く持って事実なのだ。この家にはもともと、柊月を超えるような実力の者が居なかった。花を手にしていても違和感のないどころか絵になってしまうような柊月だが、刀の腕は右に出るものがおらず、この家で一番若いにも関わらず誰一人として敵わなかった。しかし2年前にここへ来た琳秋という少年は、柊月よりもさらに年下であるが柊月と互角だった。初めてここへ来た翌日にその腕前を見ようと数名の家来たちが手合わせを申し出たが全員危うく殺されかねないところまでボロボロにされ、後に続く者皆が太刀打ちできなかった。最終的に柊月自らが刀を交えたが、どちらも倒れることなく終わりが見えなかったので切り上げたのであった。それからというもの、今までひとりで修練することが多かった柊月は琳秋と稽古をするようになた。琳秋は裏表の無い性格で、誰にでも明るく話しかける天真爛漫さがある。そのおかげもあって、柊月が心を開くのにそう時間はかからなかった。
「ここまでの実力があるのだ。型や足運びはめちゃくちゃな所もあるが、やはりりんの師には一度手合わせ願いたいな。」
これは柊月が常々心のうちで思っていることで、純粋な向上心と興味から来るものだった。
「私に師はおりませんよ。何度も申し上げているでしょう?」
琳秋の答えはいつもこうである。
「私のめちゃくちゃな部分を指摘してくれるという点で言えば、若様が私の師では?」
焦げ茶色の瞳が池の水からの光を反射してキラキラと光る。その瞳が優しい弧を描きながら捉えた柊月の瞳も、同じ弧を描いていた。
「はなから実力が同じ弟子などとらぬわ。私とりんは師と弟子などでは無い。言うなれば戦友のようなものでは無いか?」
その言葉に一瞬、琳秋の瞳に不満とも闘志とも取れるような影が落ちる。その影を隠すかのように、琳秋は「戦友ですか。」と零しながら瞳を池の鯉へと逸らした。しかしその不穏な影を見逃さなかった柊月は、二人の間に左手を着き、琳秋の顎に右手の人差し指を添えるとクイッと自身の方へと視線を戻させた。
「この私直々に戦友だと申しておるのだぞ?何が不満なのだ?」
微かに眉間に皺を寄せながら柊月が問う。琳秋の焦げ茶色の瞳が大きく見開かれたあと、また弧を描いて細められた。そして顎に添えられた柊月の右手を自身の左手でそっと包むと、目を伏せて
「不満など微塵もございません。」
と囁くように声にした。柊月はそんな琳秋の左手から、パッと自身の右手を引き抜くと
「ならよい。」
とぶっきらぼうに一言返して視線を池でゆらゆら尾を揺らす鯉たちへ向ける。
それでも琳秋の視線は逸らされることなく柊月へ向けられていた。しかしその視線の先にあるのは、しなやかな黒髪でも美しい横顔でもなく、ほんのり桜色に色づく柊月の左耳だった。
「そろそろお食事の時間ですね。」
鯉を眺める柊月をしばしの間見つめた琳秋は、そう言って立ち上がる。琳秋の方へ視線を向けた柊月にふっと笑い掛けると、
「ご用意致します。」
と部屋を出ていった。
わかっている。わかっているのだ。若様の距離感も態度も、これまで同年代の゛友人゛というものが居なかったがゆえの、ある意味弊害である。己が若様に抱いている感情と、若様が己に向ける感情は全く持って異なるものだ。勘違いしてはいけない。それこそ若様に対する無礼なのでは無いだろうか。
琳秋はそんなことをぐるぐると考えながら、食事を柊月の待つ部屋へと運んだ。
「若様、お待たせ致しました。」
食事を柊月の前に置いた琳秋はすぐに部屋を出ると、もう一人分持ってきて正面に並べた。半月ほど前からだろうか、琳秋は柊月の部屋で三食共にするようになっていた。この提案をしたのは琳秋であったが、柊月はそれに対し「好きにすれば良い。」とあっさり許したのだ。さすがに断られる覚悟をしていた琳秋は、「本当に良いのですか…?」と三度尋ね、あまりのしつこさに柊月は今からでも撤回してやろうかと思ったほどであった。
並んだきらびやかな食事を一慶してから柊月の顔色を伺った琳秋が、堪えきれずふっと笑みを零す。
「そんなにお嫌そうな顔をされなくても。」
右手に置かれた味噌汁の中に、小さなきのこがたくさん見える。今日はなめこの味噌汁のようだ。
「召し上がりたくないものは、私の方に移せば良いだけのことです。」
というのも、柊月はきのこをあまり得意とはしないのだ。琳秋は食事を共にする中で柊月の食の好みを完全に把握していた。
「そんな子供のような真似はしない。」
そう言って柊月は味噌汁に手をつける。柊月は必ず味噌汁から最初に手をつける癖があったが、苦手なものであってもそれは変わらないんだな、と琳秋は少しおかしくも愛しく思うのだった。




