第十九章 『悲しい出来事』
十月の穏やかな海には珍しく、この日クイーンローズ島の天候はどんよりとした曇り空に雷鳴が轟いていた。
出航から五日で帰って来るなど、過去八年間で一度もなかった。前夜、伝書鳩が届いたミーシアは気が気でなかった。伝書鳩の肢に括り付けられた連絡書きには、『船長が怪我をした直ぐ帰港する』と記されていたのだ。伝書鳩は帰港する一日前に放つという決まりがあったので、港に入港するおおよその時間は分かっていたものの、ミーシアはずいぶん前から港でライフパルス号を待っていた。子供達は知らせを聞き駆け付けていた。マッシュとアンナもミーシアに付き添っていた。校長先生は事態に備え、医者を港に待機させるという措置を取っていた。
ライフパルス号が港に入港して来たが、やはりいつもと様子が違った。デッキにいつもなら居るはずの大勢の乗組員の姿がなかった。デッキには数名しか居なかったのだ。
波止場で素早くビットにロープを掛けたミーシアは、タラップを待ち切れず波止場からジャンプしてライフパルス号に飛び乗った。
「それで片足のとうさんの容態はどうなの? 何でみんな居ないの?」
デッキに居るジミーにミーシアが矢継ぎ早に尋ねた。
「すまねえミーシア、船長は俺を庇ってッ!」
「みんなは無事なの?」
「みんななら船長室に居る。ミーシア、早く船長室に行ってやってくれッ!」
ジミーの口調は、ただ事ではない焦りの声色だった。
不安と恐怖に苛まれた深刻な顔付きでミーシアは駆け出した。
ミーシアは船長室のドアを不安に駆られながら開いた。室内には男達が涙して立っていた。男達はベッドの方を向いていたが、ミーシアに気付き道を開けてくれた。その先には、ベッドの前で赤鼻のじいさんが膝を着き船長の手を握っていた。
「今逝っちまった……」力ない声で涙しながら赤鼻のじいさんが言った。
「とうさんが死ぬ訳ないわっ……」
震えた声でミーシアはそう言うと、船長が眠るベッドに一歩一歩ゆっくり近付いた。
「赤じい、私をからかっているだけでしょ……」
横に佇むミーシアの顔を見上げる訳でもなく、赤鼻のじいさんは安らかに眠る船長の寝顔を見つめながら力なく首を横に振った。
ミーシアは赤鼻のじいさんの見つめる先に視線を移した。そこにはこれまで見た事のない覇気のない船長の寝顔があった。
「とうさん。いつまでも寝たフリなんかしないで早く起きてよ……」
ミーシアの瞳に涙が込み上げてきた。
「ミーシア、ここに座って手を握ってやってくれ……」
自分が握っている船長の冷たくなった手を、赤鼻のじいさんは少しでも温めてやろうと掌で摩っている。赤鼻のじいさんの横にミーシアは跪くと、赤鼻のじいさんから船長の冷たくなった手を受け取った。
「嫌ァァァァぁぁぁぁーーーーーーッ!」
受け入れたくない死の現実に、もう波打つ事のない鼓動の止まった船長の胸の上に、ミーシアは顔をうずめ咽び泣いた。
「とうさんお願いだから、お願いだから、早く目を覚ましてよォーーッ!」
震える声で懇願し続けるミーシアの心は、張り裂けんばかりの悲痛の哀しみに暮れ、現実を拒絶するかのように、深く冷たい暗い闇の中に落ちていた。
「すまねえミーシア、俺達が付いていながら……」赤鼻のじいさんが涙ながらに言った。
水面から赤鼻のじいさんの気遣いが伝わった。スマートも自分を庇い、大イカの化け物に海に引きずり込まれ亡くなったのだという事は、今のミーシアに聞かせるにはあまりにも残酷だと、今は伝える事はしなかった。肩を落として床に座り込む赤鼻のじいさんの大粒の涙が、ぽとりぽとりと落ちては床を滲ませた。
男達は涙を流しながら、船長の厚い胸で泣きじゃくるミーシアを、今はそっとしておいてやるしかなかった。
「お願いだから……。逝かないでよとうさ~ん……」
私は船長達に一体何が起こったのか、時間を遡って水面に映し出してもらった。
航海に出た三日目、魔の海域は深い霧に包まれていた。一寸先も見えぬほど見通しが悪く、先に進めば座礁の恐れもあるという事で、霧が晴れるまでは仕方なく碇泊を余儀なくされていた。
今回の航海に至った情報では、魔のトライアングルに民間船や貴族の船が次々に消息を絶つという出来事が起こり、船長達はクラーケン海賊団の仕業と睨んでいた。というのも漁に出た漁船に関しては、一切消息を絶つという噂を耳にしなかったからである。そこで船長達は、魔の海域に何か変化はなかったか漁師達に聞き込みを始めたのである。すると魔の海域で大イカの化け物を見たという漁師が数名いた事もあり、またその中には、化け物の近くを黒い大きな帆船が航行しているのを見たという男もいたのだ。
船長達は数年間に渡り、私の仇、つまりミーシアの親の仇を討ってやろうと、クラーケン海賊団を探してくれていた。勿論ミーシアはここまでの情報を知らないが、他の海賊とやり合う事までは知らされていた。
その日、霧は晴れる事なく夜を迎えた。辺りは波の音すら聞こえぬほど静まり返っていたが、それがまた不気味さを醸し出していた。
「おい、こんな霧の夜に襲って来るバカどもは居ないだろう。お前も中でゆっくり休め」
デッキで哨戒に当たっていた船員に船長が言った。二人の持つランタンが霧の中でぼぉーっと淡く灯っている。
船長と船員が船内に入ると、ライフパルス号は無人船のように霧の中で静かに海に浮かんでいた。
その夜男達は、決戦の日に向け体力を温存すべく、それぞれが静かに胸を波打たせ眠りに就いていたが、明け方、ビッグママの警告の合図で男達は飛び起きた。もしもの時には尾ヒレで船を揺らし警告する事になっていたのだ。
男達は武器を持ち船長の許へ集まった。
「ビッグママの合図が二回あった。緊急な戦闘態勢に入るようだ! お前達命を落とすなよ!」
「はい船長!」男達は船長を見つめ、声を揃えて頷いた。
甲板に出た男達は、視界の悪い霧の中に目を凝らした。
「ビッグママ、状況を報告してくれ!」
「すまないね船長、少し気付くのが遅かったわ! どうやら囲まれたみたいだよ! この船を取り囲んでいる船は五隻、その中には黒い船もいるようだ!」
「クラーケンはいないのか?」
「まだ気配は無いね!」
「よしビッグママ、突破出来そうな航路を探してくれ!」
「もう見付けてあるよ!」
「そうか助かる」
「だけど黒い船の横を通り抜けるしかないみたいだけどいいかい?」
「ああ、望むところだ!」
船長が合図するまでもなく、男達は碇を上げ各持ち場に付いている。
「おいッ、大砲準備しておけ! すれ違い様に土手っ腹に風穴を開けてやろうッ!」
「了解でさぁ~船長!」ボーゲルトが答えた。
「で、ビッグママ。どの方向に舵を切ればいい?」
「北北西の方向だね」
「スマート、面舵いっぱいだ!」
「了解です船長!」
スマートは右に目いっぱい舵を切った。次の瞬間船にガタンッと振動がした。ビッグママが船の下に付いたのだ。帆が張られ船が信じられないスピードで動き出した。
「視界は悪いが敵も同じ条件だ、野郎ども抜かるなよ!」
「任せて下さい船長ッ!」それぞれが気合十分な返事を返した。
二隻の船の間を抜けるには、この霧では不可能に近いが、船底でビッグママが微妙な舵を切り正しい進路へと導いてくれていた。
やはりすぐに黒船とは遭遇した。すぐそこまでクラーケン海賊団はやって来ていたのだ。他の四隻の船はザルーラ国の船だった。
私が命を絶たれた時、クラーケン海賊団の船長ドルニックと、あの忌まわしい残忍極まりないザルーラ国のガーゼン卿が手を結び、我ムアール国を滅ぼしたのだが、あれから十七年という歳月が過ぎようと、未だザルーラ国はクラーケン海賊団と暴虐の限りを尽くし悪行を重ねていた。私やエゼルド、そしてムアールの兵士の命を奪い、ミーシアの育ての親である船長の命までも奪った、ザルーラ国の裏で糸を引くのは、私の実の姉なのだという事実は受け入れ難い真相だ。
「今だァ~ッ撃てェ~ッ!」
すれ違い様、視界の悪い霧の中、船長は霧の先に薄っすらと映る黒い船の輪郭に向けて大砲を放った。
数秒後、砲弾が何かに激突した衝撃音が霧の中に響いた。それを機に大砲が放たれた音が遠くで聞こえたかと思うと、風を切るか細い音が近付いて来た。
「おいッ、来るぞッ!」
船員達は衝撃に備えた。しかしビッグママの推進の補助もあり、その砲弾はライフパルス号を大きく逸れた。
ライフパルス号が二隻の船の間を抜けると、まず敵の船から距離を取り北北西の方角に突き進んだ。そしてある程度敵船から離れた所で旋回し、五隻の船に船首を向けた。あれだけの深い霧が、互いの船を睨み合わせるかのようにサーッと晴れて行った。
黒い船はやはりクラーケン海賊団だった。その船を中心に左右に各二隻ずつザルーラ国の船が肩を並べている。一隻対五隻はかなり不利な戦況だった。
「さあ来るぞッ!」
男達は怯む事なく船長の次の指示を待っていた。
「いいか野郎どもッ! 一対五隻ではこちらが不利だが、そこでまずはザルーラの四隻の船を足止めする。ビッグママ今日も無理をさせるが一つ踏ん張ってくれ!」
「わかっているよ! ラダー(舵)を破壊すればいいんだね!」
「ああ、それで頼む! 残る黒船は接舷して移乗攻撃で奴らを倒す!」
「了解でさぁ~船長!」
男達は臆する事なく、むしろ眼に喜びに満ちた輝きを放っていた。
「それじゃああたしは早速仕事に取り掛かろうかね!」
「ああ、頼む! これだけ距離を保てば、ビッグママが仕事をするには十分な時間はあるだろう!」
ビッグママは船長が言い終わらない内から、早くも潜水して仕事に取り掛かった。
船長は遠眼鏡を使い、向かって来る五隻の船を眺めた。黒船の左右の船が次々に速度を落としていった。残るは黒船一隻だ。
「さすが我らの守護神ビッグママだ! もう仕事を終わらせたようだぜ! スマート、取り舵いっぱいだ!」
「はい、船長!」
ライフパルス号は、向かって来るクラーケン海賊団に対して右舷を向け、砲弾を放つ準備を整えた。その時、近付いて来る黒船の海面に大きな灰色の物体が一瞬映ったかと思うと、異様な速度でライフパルス号に向かって海面下を進行し、その後、灰色の物体は海面下から姿を消した。
ライフパルス号は砲弾を撃ち込みながら、黒船に接舷出来るよう円を描くように舵を取った。右舷に見えるクラーケン海賊団の黒船に、船員達は意識を集中し、各自が武器を構えて来たる瞬間を待っていた。このとき誰も、左舷から近付く悪魔の生き物に気付く者はいなかった。左舷の海面が盛り上がり、水飛沫を上げてその生き物は突然現れた。逸早く気付いたスマートが舵を持つ手を離し、
「じいさん危なァ~いッ!」
と近くに居た赤鼻のじいさんを押し退けた。
灰色がかったクラーケンの触腕にスマートは掴まり、瞬く間に海に引きずり込まれた。
「スマートォーーッ!」
ジミーが腕を伸ばしたが時すでに遅かった。続いて第二の触腕が鞭のようにしなりジミーに襲い掛かった。身を挺して背中で受け止めたのは船長だった。鞭のようにしなった太く長い大きな触腕は、船長の後頭部から背中に至るまで強く打撃した。
「船長ォォ~~ッ!」船長の腕の中でジミーは叫んだ。
船長は強打に意識を失った。
「船長がやられたァーッ! 撤退しろォ~ッ!」赤鼻のじいさんが叫んだ。
船が振動した。ビッグママが船底に戻って来たのだ。
こうしてライフパルス号は、この日、撤退を余儀なくされたのだ。
葬儀は水葬で行われる事になった。ミーシアは、「スマートと一緒に片足のとうさんを逝かせてあげて……」と譲らなかった。なので危険ではあったが、魔の海域に水葬する事となった。
子供達と校長先生、それにマッシュにアンナも水葬に伴った。
海に放った棺がゆっくりと海底に沈んで行った。海面にはたくさんの花束が揺ら揺らと浮いている。花束以上にたくさんの涙も流された。船長やスマートとの楽しく過ごした日々を、皆は胸の内でそっと思い出していた。
大粒の涙を流して海面を見つめていたミーシアの胸の内に、一つの揺るぎない決意が生まれた。ミーシアは涙を腕で拭い、遥か彼方を見つめた。
このとき娘の胸に、復讐の炎が芽生えていたのだ……。
海賊姫ミーシアとは別に、コメディータッチの自伝、
レッツ ゴー トゥ ザ NY ウィズ 岸和田㊙物語シリーズ1『武士はピンク好き 編』
も同時連載しておりますので、よければ閲覧してくださいね!
作者 山本武より!




