第一章 2「サンドバッグは逆らわない」
これまでの人生で最悪の目覚めだった。
硬い地面に肩甲骨と尾てい骨を痛め、ほこりの舞う部屋に目がかすみ、目が開けられない。
「っん、どこだここは?」
昨日あんなことがあった上に寝起きである。状況が理解できないのも無理はない。
「そうだ。昨日はあの吹雪の中あのくそ重いやつをもって小屋まで歩いて……ってあいつはどこに!?」
窓がないので薄暗く、あまり周りが見えない。
痛む体を起こして、ドアのほうへ向かう。
ドアを開け、光が差し込む。
「すっげぇ……」
太陽の暖かな光が地面の真っ白な雪に反射して輝いて見える。何もない景色は、地平線がくっきりと見えるほどで、太陽のありがたみをより一層感じる。それはまるで雲の上の楽園のようで、家の中を確認するためにドアを開けたことを忘れ、ドアの外の景色に見とれてしまっていた。
長年、部屋のドアも明けず外の景色を見てこなかった太郎からしてみれば、圧巻の光景だった。
ひとしきり景色を堪能したところで、小屋のことを思い出し振り返る。
舞う誇りに光が反射しているのもあの景色を見た後だと絶景の雪景色に見えた。
しかし、そんな感動は、目の前の光景吹を前に飛ばされた
例の少女が部屋の隅で立ちすくんでいたのである。
「起きてたんならはよ言えや。大丈夫か?自分。怪我してないか?」
「…………」
少女からの返答はない。静寂が8畳程度の部屋を包む。
「おい。仮にも昨日俺がここまでお前を連れてきたんやで。無視はないやろ。」
[…………]
「なんやこいつ話せへんのか?」
太郎が言った瞬間、パソコンの起動音のような音とともに今まで閉じていた瞳が開かれる。
真珠のように白い肌に茜色の花が開花する。衣装に整った顔立ちに思わず太郎は見とれてしまった。
「お、おお、やっと起きたか。俺は荒井太郎。お前さんは?」
「私は全自動学習型人工知能です。」
少女の口から発せられたのは、機械音声のような声であり、その感情のこもっていない声色と全く変わらない表情が本当に目の前の少女が人工知能であることを示唆していた。
「人工知能ってことは生きてないんか?」
「はい。私に命の概念はありません。」
無機質な回答。本当に人工知能のようだ。
「自分昨日のこと覚えてる?くそ重いお前さんのことここまで運んであげてんで。なんか言うことあるんとちゃう?」
「回答不能。今の私の学習状況ではその問いに回答することはできません。」
「そういえばさっき学習型人工知能とか言ってたな。じゃあ全部教えてやらなあかんのか。なかなかめんどいな。」
学習型人工知能とはおそらく会話や接していく中で会話の仕方や行動を学んでいく人工知能のことだろう。1からすべてを教えていかなければならないのはなかなか骨が折れる。
「はぁ。こういう時はありがとさん言うといたらええねん。」
「承知いたしました。ありがとさん。」
「そのまま真似すんのかい。普通にありがとうでいいわ!」
感情のこもっていない声でそのまま言ってきたので思わず笑ってしまった。
「で、名前はないん?全自動学習型人工知能って毎回呼ぶのなんかいややで。」
「ありません。」
機械は最低限の返答しかしてこず、会話が弾まない」
「じゃあお前の名前は今日から次郎や。男の名前やけど機械やしあんま関係ないやろ。」
「承知いたしました。では私のことは次郎とお呼びください。」
「いや、嫌がれや。」
「?」
どうやら本当に感情というものはないらしい。
「てか、寝起きで意味わからん状況過ぎて忘れとったけどなんで俺はこんなとこにおるんや?俺は普通に部屋で寝てたけど。お前さんなんか知ってない?」
「私の名前は次郎でございます。お前さんとは誰ですか?」
「思ってたよりもめんどくさいなこれ。で、次郎はなんか知らんのか?」
小声で愚痴を言うが、目の前の機械には伝わっていないだろう。伝わっていても感情はないらしいのでかまわないが。
「お答えできかねます。」
「お答えできかねますってなやねん。さっきは回答不能って言ってたやろ。」
謎の回答が返ってきて困惑する。機械に何を聞いても仕方ないか。
そして太郎の体感で二時間くらい無言の時間があった。
太郎は起きた時に寝ていた硬いベットのようなものの上で仰向きで放心しており、次郎は変わらず部屋の隅で立ち尽くしていた。
無言でいるとマイナスな考えが次々とが浮かんでくる。今自分は何をしているのか。異世界転生でも自分は以前のような暮らしをするのか。このまま飢え死にするのではないか
「いろんなことありすぎてちゃんと考えてなかったけどなんで転生したんやろ。びっくりするくらい前の世界に未練ないけど……。」
日本にいた時のことを思い出して少し不機嫌になる。母には申し訳ないが、本当にいい思い出の一つもなかった。
「何回も異世界転生は夢に見てたけど、いざほんまに来てみれば何していいかわからんな。あいつら結構すごかってんな。それに比べて俺は。」
頭の中で昔愛読していた漫画やラノベの主人公の姿を思い浮かべる。とんでもなく強い奴から全然強くないやつまでいたが、今思い返してみるとそいつらは自分とは違いちゃんと主人公だった。
「はぁ」
大きい溜息はこの狭い小屋に木霊した。
「ストレス値の上昇を確認しました。どうかなさいましたか。」
すると、次郎から久しぶりに声が発せられた。何を言い始めるのかと思ったらそれは心配の声だった。その声に太郎は苛立ちを覚えた。目の前の少女は機械であり、人工知能だ。今の心配もどこかの誰かに施されたプログラムで、この心配は空っぽだと感じた瞬間、言葉では言い表せない怒りの感情がわいてきたのだ。
「機械ごときが心配してくんな。感情もないんやろお前。」
一度出た理不尽な罵詈雑言は栓を抜いた樽のように止まらない。怒りの矛先は間違いなく間違っている。それはわかっていてもこの怒りは止まらない。相手が血の通った人間ならこんな理不尽な怒りをぶつけれはしない。相手が感情のないロボットだからこそ躊躇なくサンドバックにできる。言葉を吐いている最中にそれに気づき心底自分が腐った人間なんだと太郎は自らを軽蔑する。
「そもそもお前がいたからあんなつらい思いしなあかんかってん。お前がおらんかったら一人で今頃普通の異世界生活しててん。責任とれよ。なんとかしろよ。返せよ時間と労力。てかロボットなんて生きてる意味ないねんからさっさと消えるか出てくかしろ。なんでずっとおるねん。邪魔やわ。」
太郎がつばを吐きながら行き場のない怒りを次郎にぶつける。この言葉が間違っているとは太郎はわかっていた。自分がどうしようもないほど幼稚で、何とか言い返してほしかった。
「…………」
あれだけひどい言葉をかけたのだ。存在を否定する言葉まで自分の汚いつば後一緒にかけたのだ。
しかし帰ってきたのは静寂。太郎の中で何かが切れる音がした。
直後、鈍い金属音が響き渡る。
気づけば太郎の右手は怒りの感情に流されて次郎に向かって振りかざしていた。
全力で振るった拳。完全に目の前の少女を傷つけるために振るった拳。
しかし悲しいかな傷ついたのは太郎の手であり、血が出たのは太郎の心であった。
当たり前だが少女は機械でできており、その肌ももちろん金属でできている。
拳が痛い。しかしそれ以上に次郎の感情のこもっていない視線が痛い。
次郎はびくともせずに黙って太郎の目を見つめている。
その視線に耐えられなくなり、太郎は次郎の腕を強引につかみドアをけり開け。外に無理やり追い出そうとした。
握った手は硬く、しかし少しあったかかった。きっと怒りで自分の手が熱くなっているのだろうと太郎は信じ込んだ。
「一人にしてくれ。」
ドアの外に次郎を引っ張り、握ったその手を振り払おうとした。
「ん?」
握った手が離れないのだ。まるできつい縄で縛られたように手が離れない。
「おい。離せや」
「回答。今の太郎の精神状態は非常に危険な水準に達しています。よってこの手を離すことはできません。」
「なんやねんそれ。俺の精神状態とかお前に関係ないやろ。ええからはよ離せ。」
手はまだ離れない。
何を言っても無駄だと分かり、次は力ずくで手を離そうとする。太郎は力はそこそこ強いと自負しているが、その太郎が全力を出してもびくともしない。
「もうええ。腕とれるわ。」
あまりの次郎の力に降参の合図として、左手とつながれた右手を上げる。
「あなたの心の中には絶対的な理想の自分がいるのでしょう。しかし今の自分は理想のあなたとは程遠い。そして先ほどその乖離に直面して激しく取り乱してしまった。」
太郎は自分の血がサーっと引いていくのを感じた。今まで目を襲向けていた現実を淡々と言葉でぶつけてきたからである。雪が降っているほど寒いはずなのに汗が背中を伝う。太郎は言葉を発する余裕もない。
「今のままではいけません。おそらくこれからあなたの心に住む理想の自分と闘わなければならない機会がたくさん訪れます。このまま一人にはしておけません。」
一拍おいて次郎が告げる。
「結論。その問題を解決するまで私はあなたのそばに居続けます。たとえこの身が錆付きようとも。」
最後に。
これより繰り広げられます紆余曲折は、この二人が袂を分かつまでのかけがえのない旅路でございます。




