9、チーズケーキ
暗号の解読に頭を使いすぎたせいか、最近ことさら甘いものを欲している自分に気づいた。
武弘はスマホを起動して、どこかに新しい甘味の店はできていないかと探し始める。
かんなぎとの昼食ももう慣れたもので、クラスメイトからの冷やかしも受け流せるまでになった。
「神楽って甘いもんいけるクチ?」
「甘いものは好かぬ」
「あーだよな、そんな感じする。じゃあ俺一人で行くか……」
武弘が見ていたのは、最近オープンしたチーズケーキの店である。その店では半熟のチーズケーキを売りにしていて、毎日行列必至の店なのだという。
自分で料理をすることはもちろん好きだが、こうやってうまいものを食べ歩くのもまた、武弘は好きだ。他人の料理を食べると、自分の料理の改善点が見えてくることもある。なにより、他人が作った料理は幸せで泣きたくなるほど美味く感じるものなのだ。
「……貴様がそこまで言うのなら、付き合わんこともないが」
「いや、俺そこまで頼み込んでないよね?」
「嫌ならばよいが」
「いや、行こう。行く。さすがに男一人で甘味巡りってきついからな」
やったぜ、なんて武弘が喜ぶものだから、わかりやすくて馬鹿な奴だと、かんなぎは内心でほほえましく思った。
しかし。
いざチーズケーキの店に赴くとなって、これはもしやデートなのでは、と武弘はどぎまぎしている。
今日の待ち合わせは最寄りの駅で、そして武弘は予定の三十分も前にそこにたどり着いた。
「べ、別に楽しみとかじゃないし」
誰もいないのにひとりで言い訳する。確かに、一緒に出掛けるのは楽しみではあったのだが、それは甘味を食べられるからであって、決してかんなぎとともに街を歩けるかっらではない。断じて。
「なにを呆けておる」
「うわ、神楽。そうやっていきなり現れるのやめろって……」
「……? 儂は普通に歩いてきたが?」
「……あ、ああ。そうね、そうだよね」
さすがに、この街中でかんなぎが巫女なる力を使うはずもない。そう思いなおすと同時、自分はそこまで緊張していたのかと思い知る。
「で、さっそくチーズケーキの店に行きたいんだけど」
「むろん、かまわぬ」
「うん。でも、朝一番でも三十分は並ぶと思う、んだけど」
「……三十分?」
怪訝な目を向けられて、やっぱりな、とため息をつく。
かんなぎは待つのが嫌いだ。ただでさえ、武弘の料理の時間すら待てないのだから、三十分もチーズケーキのために並べるはずもなかった。
だが、武弘も譲れない。なにがなんでもチーズケーキを食べる決意である。
「神楽は別の店見て回る?」
「いや。儂とて待てくらいできる」
「……ほんとに?」
「貴様は儂をなんだと思うておる?」
なに。かんなぎは不可思議で謎めいた美少女。きれいな黒髪に切れ長の瞳、それにその服が一番の問題だ。
かんなぎは基本的に洋服を好まない。だから今日だって着物を着てきているし、それ故に街中でも悪目立ちしている。
正直に言うと、どうしていいかわからない。
仮にかんなぎが彼女だったのならば、かんなぎの服を褒め、周りの視線も気にしなかっただろう。
だが、かんなぎとはあくまで探偵と依頼主の関係だ。着物を褒めることはおろか、一緒に歩いていいのかすら悩む始末だ。
もしも自分と恋人と思われることに嫌悪を抱かれたら、そう思うとどうにも一緒に歩きづらい。
「神楽はさ。洋服着ないの?」
「儂はこれが一番安らぐ」
「うん、そうなんだけど」
道行く人々がかんなぎに視線をよこしているのがわかる。そして、そのあとは決まって武弘のほうを見る。
彼女さん素敵ね、自慢の彼女さんね。そんな声が聞こえてきそうなほどに、ほほえましい視線を、何十人からよこされる。
いたたまれない。かんなぎと武弘は付き合ってもいなければ友人同士でもない。
だから武弘は、かんなぎのほうを極力見ないようにして、黙々と目的地まで歩き続けた。
「チーズケーキ三十分待ちでーす」
店に着くや、開店十分前だというのにすでに長蛇の列ができている。かんなぎと武弘はその最後尾に並んで背伸びしながら最前列の人物を探す。
「すげえな。開店前だぞ?」
「……」
「おい、すでに不機嫌じゃん」
「そのようなことはない」
と言いつつも、かんなぎの不機嫌は明らかで、武弘はふうっと息を吐き出すと、カバンの中からA4の紙を取り出した。
「貴様、かような場所まで持ってくるか」
「いや。暇つぶしにと思って」
言わずもがな、呪いのメールで見た物のメモである。
紙には武弘の字でああだこうだと推測が書かれているが、正直言ってどれも的外れだ。
時計、足、音楽。
せめてあと一回、あの動画を見られれば。
あの動画に映っていた少女は今も無事だろうか。こんな場所で甘味巡りなどしている余裕などあるのだろうか。
「案ずるな。彼女らは無事だ」
「……え?」
「なんだ、案じていたのではないのか?」
かんなぎの言葉には妙な説得力がある。彼女は無事。その言葉に、武弘は少しだけ緊張が解ける。
「あ、確か。暗号に書いてあったな。でも、なんでそれが真実だってわかるんだ?」
「さて。ただ、この案件の黒幕に、心当たりがある」
「っえ?」
それは、誰。
そう聞こうとした瞬間、人の波がどっと動いた。店が開店したのだ。
「ちょ、うわ」
「……!」
人波に押されて、もみくちゃにされる。
着物姿のかんなぎは、こと動きが鈍く、人ごみに押し流されていく――その手を、武弘がぎゅっと握った。
「わ、あぶな」
「……チーズケーキがかように危険なものとは」
「いや、チーズケーキが危険なわけじゃなくて」
わなわなと体を震わすかんなぎは、恐怖したというよりは、憤慨した、という表現のほうが近い。
そんななか、ふと、かんなぎは。
「触るでない」
「あ! 悪い!」
武弘に手を取られたことに気づき、思いきりその手を振り払った。
そこまで嫌わなくてもいいだろうに。武弘はそう思うも、確かにかんなぎにとって武弘は単なる依頼主であるため、触れられるのも嫌なのだろう。
武弘のように、謎解きもろくにできない、なんのとりえもない人間は。
「お客様、二名様ですか?」
「あ、はい」
「では、店内ご案内いたしますね」
暗い思考になりかけて、頭を振る。別に、どうでもいいことだ。かんなぎに嫌われようが、好かれようが。
しかし、思うように武弘はふるまえない。店に入るとかんなぎを案内するわけでもなく、無言で席に着く。
「ご注文お決まりのころうかがいますね」
「あ、はい」
「うむ。……時に武弘」
今気づいたが、かんなぎはなぜ、武弘のことを名前で呼ぶのだろうか。初めて会った時からそうだ。
そもそも、名乗っていないのに武弘の名前をどのように知ったのだろうか。なにも知らなすぎる。武弘は、かんなぎのことをこれっぽっちも知らない。
「どうした? 頼まぬのか?」
「あ、いや……」
「なんだ。先ほどから。言いたいことがあるのなら言え」
煮え切らない武弘に、さしものかんなぎもややあきれた面持ちで、武弘に促す。
武弘は逡巡した後、重い口を開いた。
「神楽って、なんで俺の名前知ってたんだ? それに、なんで名前で呼ぶんだ?」
「……? それが普通ではないのか?」
「普通? 名前で呼ぶのが?」
かんなぎが悪びれるわけでもなく答えたため、武弘は拍子抜けした。そもそも、意識しすぎなのかもしれない。
「それと、名前か。そうさな、儂には巫女の力があることは知っておろう」
「うん。まだ信じられないけど」
「信じる信じないの話ではない。現に儂は巫女じゃった。ゆえに、貴様ひとりの情報など、神力を使えば簡単に見つかる」
なるほど、相談相手を間違えた、と武弘は思った。心霊探偵、という肩書に妙に惹かれて、かんなぎを頼ったのが運のつきだ。まあ、そのおかげで今こうして、アルバイトも見つかったし、あの不幸のメールの謎も追いかけることができているのだが。
「して、武弘。半熟とはなんだ?」
「え、知らないの? 半熟っていうのは……固まった部分ととろっとした部分がまじりあってて、とにかくうまい」
「ほう」
「でも、神楽は甘いもん苦手なんだろ?」
「いや。好いてはおらぬが食せぬことはない」
つまりは、好きでもなければ嫌いでもない、というところなのだろう。かんなぎがメニューをくまなく見る中、武弘は落ち着かない様子でかんなぎを見つめていた。




