10、ばかみてえ
注文を済ませて、いざチーズケーキが運ばれてくると、感嘆したのは武弘のほうだった。
「すげえ! キラキラしてる。きれい」
「きれい? 貴様は常々思うが、料理に美しさなど必要か?」
「必要だよ。大問題。フレンチなんかもきれいだよな。見た目が宝石みてえ」
丸いチーズケーキは、こぶしほどの大きさがある。よくある三角に切られたものではない。この形もまた、半熟と称するにふさわしいこだわりなのだろう。
武弘は早く食べたい気持ちを抑え、スマホを取り出して、チーズケーキの写真を撮る。前、後ろから、右から左から、上から、横から。
ゆうに十枚は超える写真を収めて、そこでようやくフォークを手に取った。かたわら、かんなぎは既にチーズケーキを半分は平らげている。
「オマエさ、もう少し味わって食ったら?」
「味わう? 食事にそのようなことは必要あるまい。腹を満たせれば儂は満足じゃ」
「風情がないねえ」
武弘はチーズケーキにフォークを入れる。ねっとりした触感と、のち、とろりとチーズが溶け出した。
それを、一思いに口の中へ。
「甘ぁ! 幸せ!」
「大げさな」
「大げさじゃねえし。だってこれ、ほんとにうまい」
一口目は口の中で溶けてなくなった。二口目は、先ほどより大きく切り分けて、口の中一杯に頬張る。
「程よい酸味にトロットロの食感……材料なに使ってんだろ」
武弘はカバンの中から小さなクロッキー帳を取り出して、なにかを書き出す。ずらっと書き出したのはチーズケーキの材料だ。
クリームチーズ、サワークリームも入っているのだろうか。つなぎには卵……とコーンスターチと薄力粉。さわやかな酸味はレモンの果汁と皮もすりおろしている気がする。
「ヨーグルトも少し、かな?」
「貴様はなにをしていても楽しそうじゃな」
「や。なにをしてもってわけじゃない。俺は料理が特別好きなだけで」
「……貴様のそういうところは、素直に好ましく思う。同時に、疎ましくもあるがな」
ほめられているのかけなされているのか、武弘にはわからなかった。だが、ここは素直に「ありがとう」とお礼を述べる。
武弘はクロッキー帳にメモを取りながら、チーズケーキをはくはくと口に運ぶ。どれだけ食べても飽きの来ない甘さだ。砂糖の量、というよりは、さっぱり仕上げるためのクリームチーズ類の配合だろう。
なにより、この半熟具合だ。焼きすぎても焼かな過ぎてもだめだ。この焼き時間を見つけるまで、どれだけの時間を要したのだろうか。
「時に、武弘」
「うん?」
「メモをする、ということは、いずれ儂にも貴様のチーズケーキを出す、ということじゃな?」
「ん、まあ。しばらくは試作しなきゃだけど。俺なりのレシピに落とし込んで作るつもり」
にかっと笑う武弘に、かんなぎは子供の成長を見守る親のような気持ちを抱く。ふわっと胸が浮足立つのは、いったいどうしたのだろうか。
「神楽?」
かんなぎが難しい顔をして武弘を見ていたため、武弘はかんなぎの顔の前で手をひらひらと振ってみる。ハッとしたようにかんなぎが武弘に気づき、やがて顔をそらした。
「なんだよ、変なヤツ」
かんなぎ自身もそう思う。ひとりの人間に深入りして、こうも振り回されるなど、不愉快極まりなかった。
チーズケーキを食べた後は、ふたりでタピオカを飲むことにした。なんでも、かんなぎはタピオカを知らないのだそうだ。驚いた武弘が、「女子高生なら一度はタピれ」と、半ば強引にその店に連れていかれた。
「これがタピオカ!」
「……この丸いつぶつぶがか? まるで……」
「ストップストップ。見た目は確かにアレの卵みたいだけど、飲んでみるとうまいから。紅茶がいい? ココア? オレンジジュース?」
チーズケーキの店とは違い、武弘はてきぱきと注文を済ませる。というよりは、屋店のため、悠長に迷っている暇などなかった。背後には長蛇の列ができている。
「紅茶がよい。甘くないもので」
「了解。俺はミルクティーかな」
武弘の言葉に、かんなぎはげんなりとした視線を向けた。あれだけ大きなチーズケーキを食べてなお、甘いものを食べる余裕があることに心底驚いている。
「タピオカは別腹。いや、チーズケーキが別腹なのか?」
「育ちざかりは恐ろしいのう」
「そう、それもある。俺は華の男子高校生だし」
注文したドリンクがふたつ、手渡される。それと同時に支払いを二人分済ませて、武弘はかんなぎにタピオカを渡した。
「金は?」
「ん? ああ、いいよ。小銭だし」
「いや、そういうわけには」
「ほんといいって。今日も無理くり付き合わせたわけだし」
ずぞぞ、と武弘がタピオカをすする。かんなぎもまた、恐る恐るタピオカをすする――しかし、勢いよくタピオカが口に吸いこまれ、その勢いのまま喉の奥へ滑っていく。
「けほっ」
「わ、ごめん。初めてだもんな」
むせるかんなぎの背中をさする。さすったはずだった。しかし、かんなぎの着ている着物の帯のせいで、うまくさすれない。
「お、俺、水もらってくる」
「よい。大丈夫だ」
涙目になりながら、かんなぎが武弘の手をつかんだ。上目遣いに、うるんだ瞳で見上げられて、武弘は妙な気分になる。
黙っていれば、ただの美人なのだ、かんなぎは。けほけほとむせながらも、「うまいな」と喜ぶさまは、武弘となんら変わらない、ただの人間。だが、その顔色はいつも青白い。というよりは、白磁に近い色だと思った。肌につやはあるものの、まるで陶磁器のように温かみがない、そんな風に武弘は思う。
「なんだ、じろじろと」
「いや。神楽って本当に不老不死なんだよな」
「今更か?」
「うん、今更だ」
人間、の姿かたちはしているものの、顔色はいつもよくない。ついでに言うと、今日初めて分かったが、手だって氷のように冷たかった。先ほど、チーズケーキの店で雑踏にもまれたとき、慌てつかんだかんなぎの手は、まるで体温を感じなかった。
「てかさ、神楽ってなんでそうなったの?」
「『そう』?」
「えーと、名前をなくした理由?」
すると、かんなぎの目の色が変わった。恐れる、というよりは、怒りを含んだそれである。
聞いてはならないことに触れてしまったのだと、後悔しても遅かった。
「貴様のようにひとの心にずけずけと立ち入る人間は好かん」
「ご、ごめん……」
ずんずんとかんなぎが歩き出す。どこへ行くわけでもなく、人ごみに向かって真っすぐ。
武弘は慌ててかんなぎを追いかけるも、呼びとめたり、話しかけたりすることはできなかった。できるはずがなかった。
かんなぎだって、好きで名前を亡くしたわけじゃない。それを、会って間もない人間――もっといえば、武弘のような子供になど、教えるはずもないというのに。
「馬鹿みてえ」
仲良くなったと錯覚していた。心を開いてもらえたと。
だが実際、武弘とかんなぎは単なる探偵と依頼主。ゆえに、かんなぎは線引きする。ここから先は、武弘と言えども踏み込ませない。そんな拒絶が背中からうかがえた。




