3、武弘の矜持
「なに、貴様の特技を披露すると?」
「そうだ。俺は料理ならだれにも負けない」
「ほう……その特技は儂も持っておらぬな」
かんなぎが興味を示したことに多少驚きつつも、武弘は事務所に備え付けのキッチンに立ち、料理を始める。
作業台に丁寧に食材を取り出して、武弘はそのひとつひとつを吟味する。
「ちなみに、神楽は辛いものは?」
武弘がかんなぎを「神楽」と呼んだことに、かんなぎが少しだけ顔をしかめる。しかし、武弘はなにもなかったかのように話を進めた。
「ビリヤニは食ったことある?」
「びり?」
「カレーピラフみたいなもんだよ」
「ピラフか。それなら知っておる」
ビリヤニは、香辛料に漬けた鶏肉を焼いてカレーを作り、バスマティライスと一緒に炊き込んだ料理だ。
「バスマティライスは日本の米と全く別物。パサパサというよりは、硬い粒立ちが特徴の米で、香りが良い。味付けもトマトベースだし。で、辛いもんいける?」
「ほう……辛いものは好いておる」
言われてみれば、昼間も甘辛チキンの弁当を頬張っていた気がする。
完全に無意識だったが、このチョイスは功を奏しそうだ。
武弘が腕まくりをして手を念入りに洗う。
「まず、鶏肉をヨーグルトと摩り下ろし玉ねぎ、香辛料に漬ける。その間に玉ねぎをみじん切りにする」
玉ねぎ一個を取り出して、根のほうを上にして、包丁を使って皮をむいていく。てっぺんを適度に切り落として、玉ねぎを縦半分に切る。
そこからは目にもとまらぬ速さであった。玉ねぎに縦、横に切れ込みを入れて、端から順にみじん切りに。
玉ねぎの独特のにおいに、武弘が鼻をすすった。
「俺、玉ねぎって万能だと思ってるんだよな」
「万能……?」
「あめ色に炒めた玉ねぎって、それだけで料理をうまくする」
切り終わった玉ねぎを、油を熱したフライパンに入れる。じゅうっと音がして、さしものかんなぎも心配になる。
「火が強くはないか?」
「ああ、これね。少し塩を振って強火で焦げるぎりぎりまで動かさない。焦げる前にひっくり返してを繰り返すと、三十分くらいであめ色玉ねぎになるんだ」
武弘が話す間にも、玉ねぎはじゅじゅうと音を立てている。
続いて、武雄はニンニクとショウガをすりおろした。ショウガのさわやかなかおりと、にんにくの食欲をそそるにおいが部屋に広がる。
「で、あとはスパイス。クミンとターメリック、チリペッパーは百均で手に入るし。あとカルダモンな。これ、一瓶で四百円もするんだぜ?」
高いよな。と武弘が言ったところで、かんなぎにはそれが高いのか安いのか、わかりかねた。そもそもかんなぎは自炊をしない。ならば、知らなくて当然である。
「でも、すっげえいい匂いなんだよ、ほら」
かぱっとカルダモンのふたを開けて、武弘がかんなぎに差し出した。恐る恐るその香りをかぐと、かんきつのようなさわやかな香りが鼻腔をくすぐる。
みかんや伊予柑の皮を剥いた時のような、あるいは、レモンを絞った時のように、香りがパッと空気に弾けて辺りに漂う。
「良い香りじゃな。しかし、スパイスとは、初めて聞いた」
「え、カレーとか食わねえの?」
「食す。じゃが、ビリヤニなるものは食したことがない」
かんなぎが食材に興味を持ったため、武弘は得意げに説明を続けた。
「で、コリアンダー。これはパクチーの実を乾燥させて粉にしたもんで」
「パクチー? あの?」
「あ、パクチーは知ってるんだ。うん、あの」
パクチーは好き嫌いのわかれる食べ物だ。タイ料理によく使われるが、あのクセが好きな人と、嫌いな人に大きく分かれる。
そのパクチーの実を入れてしまえば、ビリヤニの味もそれ一色になるのではないか。
かんなぎの心配に気づいた武弘は、コリアンダーも同じく、かんなぎに嗅がせる。
「これはなかなか」
「だろ。パクチーのあの匂いはないし、スパイスのいい香り」
ほろ苦さを感じさせる香りだ。
最後に、武弘はオールスパイスを取り出した。
「オールスパイスはいろんなスパイスが混じってる、ってわけじゃなくて。クローブ・ナツメグ・シナモンを合わせたような香りがするスパイス」
「ややこしいな」
「うん。でも、香りに深みが出る」
スパイスの調合は武弘の長年の勘により編み出された武弘秘伝のものだ。
「知ってるか? カレーのあの香りの主なものはクミンなんだけど」
「クミン?」
「そう。百均で買えるスパイス」
計量スプーンで丁寧にスパイスを計りながら、武弘が満足そうに笑っている。
クミンを計ったところで、なるほど、かんなぎにもなじみのある香りが漂ってくる。
玉ねぎを時々返す合間に、付け合せのナンを作る。ボウルに薄力粉と強力粉、ドライイーストに砂糖と塩、ぬるま湯を入れてよくこねる。
必死にこねる武弘を、かんなぎはしずかに見守っている。
「ナンはこねて発酵させるだけだから、それほど手間でもないんだよな」
「誰も説明など促しておらぬ」
「いいじゃん。で、最後にオリーブオイルを練りこんだら、ボウルに入れてラップをして、三十分発酵」
丸くすべすべの生地を、武弘が大事そうにボウルに入れた。この白い塊がナンになるのかと思うと、料理とは不思議なものだとかんなぎは思った。
ナンをこね終わると、程よく玉ねぎがあめ色になる。
「それで、あめ色になった玉ねぎに、すりおろしたショウガとニンニクを入れてよく炒める。青臭さをなくしたいから、一分以上、丁寧に弱火で」
ニンニクとショウガは炒めることで香りが立つ。よく炒めたらスパイスを加えて、これもまた一分以上よく炒める。スパイスを炒めることで香りを引き立たせ、粉っぽさをなくすのだ。
「スパイスの次はトマト缶。トマトは沸騰させると酸味が飛ぶから、これもしっかり炒める。最後に鶏肉を入れたらスープを煮詰めて」
「いつになったら食せることやら」
傍ら、かんなぎは既に飽きた様子だ。探偵専用の豪華な椅子に腰かけて、制服の袖をいじりまわしている。
「そういうなって。おいしいもんは時間がかかるの」
「ご苦労なことじゃのう」
「で、砂糖と塩で味を調える」
「砂糖?」
とたん、かんなぎの顔が曇った。人を驚かせるのが好きな武弘は、にたりと笑って、
「砂糖は味付けってよりはトマトの酸味を和らげる隠し味」
「信用ならんな」
トマト缶を炒めて調味したら、水と牛乳を加えて一度沸騰させる。沸騰後は鶏肉を加えて、弱火で蓋をして十五分煮込む。
味付けはシンプルに、砂糖と塩だけだ。ちなみに塩は、粗塩を使うとぐんと味がよくなる。
また、ケチャップやソースを隠し味として入れる方法もあるのだが、シンプルな味付けでもビリヤニはそれだけでおいしい。
「においはよいな」
「うわ、音もなく現れるのやめろ」
「音もなく、か」
くつくつと笑って、かんなぎが武弘をからかう。
「貴様ごときの言うことなど、聞く義理もあるまいて」
と、今度はかんなぎはキッチンから一気に探偵椅子に場所を移す。最初に会った時もそうだが、かんなぎはいささか『不自然』だ。
消えるのだって現れるのだってそうだ。かんなぎはどこか『普通じゃない』。
「神楽は」
「その呼び方は好かん」
「でも、かんなぎって名前、調べたけど」
かんなぎ。神を憑依させる巫女。
そんな大それた名前を名乗るなんて、武弘には理解できなかった。少なくとも、かんなぎをそう呼ぶ気にはなれなかった。
「神楽、のほうがあってるじゃん」
「なにか言ったか?」
「いや、なにも」
ぐつぐつとフライパンから蒸気が上がる。トマトの煮えるにおい、スパイスの芳醇な香り。
秋の肌寒い時期にはビリヤニはもってこいだ。
今日のビリヤニにはチリペッパーを多めに入れた。かんなぎが辛いものは好きだと言っていたし、武弘も辛いカレーが好きだからだ。
煮込む間にバスマティライスを茹でる。
たっぷりのゆで汁に油と香辛料を入れて、バスマティライスを入れる。半分は三分、半分は七分で取り出したら、煮込んだスープとバスマティライスを交互に鍋に入れる。このとき、煮汁の多い下の段のバスマティライスは、先に三分で取り出したものを重ねる。
何層かに重ねたら、一番上にバターとパクチーをちぎり乗せて、蓋をしてバスマティライスを蒸しあげる。
ビリヤニが炊きあがるまでに、ナンの最終仕上げだ。
適当に切り分けたナンの生地を、極限まで薄く、薄くのばしていく。形はもちろん、ナンの三角形の角を取ったような独特の形に。
この、伸ばす作業がなかなかの曲者だ。意外と体力を要する。加えて、煮込み料理をするとキッチンの温度はおのずと上昇するものだから、武弘は汗だくでナンを伸ばした。
「で、アルミホイルに油を塗って、その上にナンを乗せる。
「ほう、見た目はナンだな」
「だろ? で、これを魚焼きグリルで片面三十秒から一分焼き上げる」
グリルにナンを入れて、武弘は付きっ切りで焦げないようにナンを見張る。そのかいあってか、焼きあがったナンは色もよく香ばしさももちもち感もあり、思わずかんなぎは見惚れていた。
「最後に、焼きあがったナンにバターを塗ったら完成!」
ほかほかと湯気の立つナンを、武弘は客用のソファの前にあるテーブルに運んだ。
かんなぎがつられるようにそこに歩き、座る。
「おい、ビリヤニまだできてないし」
「よかろう、味見くらい」
「ったく」
とは言いつつも、武弘はこの瞬間がなにより好きだ。人を料理で驚かせること。出来上がった料理に感嘆の声を漏らす人間を見ること。
自分の作った料理を頬張るひとの、幸せそうな笑顔を見ること。
アツアツのナンを、苦労しながらもかんなぎが口に入れる。甘さとバターの香りと、ところどころ香ばしいのは、魚焼きグリルで焼いたからだ。
「っし。そろそろいいかな?」
ナンにかじりつくかんなぎに、少しでも早くビリヤニを添えてやりたい。
武弘がフライパンのふたを開けると、より一層スパイスの香りが部屋に充満する。思わずかんなぎが覗きに来るくらいには、あたたかで食欲を刺激する、なんとも言えない香りであった。
「ほう、これがビリヤニか」
「そ。じゃあ、あっちで待ってて」
かんなぎの事務所にあったカレー皿を適当に取り出して、武弘はビリヤニをよそう。
やや黄みがかった柔らかな赤色のバスマティライスにはムラがある。このムラがまた、いい味を出すのだ。
「はい、ビリヤニ出来上がり!」
出されたビリヤニをスプーンで一口。
かんなぎの顔が驚きに染まった。そののち、頬を抑えて恍惚の表情で、ほうっと息を吐き出した。
トマトの酸味と旨味、追ってショウガとチリペッパーの辛さ、最後にスパイスが鼻から抜ける。バスマティライスの香ばしい香り。なるほど、ビリヤニにはバスマティライスに違いない。
「これは美味いな」
「だろ? 俺このビリヤニ作るようになってからインド料理にはまっちゃって。タンドリーチキンとか、モーダカとか」
「ほう……」
はくはくとビリヤニを口に運びながら、かんなぎはあっという間に一杯目のビリヤニを平らげた。
「あ、お代わりいる?」
「むろん。時に、武弘」
武弘がキッチンにビリヤニをよそいに行くと、かんなぎが嬉々とした声で、
「貴様との契約を結ぶとしよう。儂は貴様のその料理の腕が欲しい」
ビリヤニをよそって戻ってきて、武弘はいよいよかんなぎをぎゃふんと言わせることができて満足した。だが、ここで思い出す。
「それって、名前を渡したら俺はどうなるの?」
ぱく、とスプーンを口に入れて、かんなぎが答える。
「むろん、名を失った人間は死ぬ。じゃが」
スプーンでビリヤニをひとすくいして、かんなぎが挑発的に笑っている。
「貴様が死するとき、儂はその名を受け取るとしよう。それまで武弘、儂のそばで働かぬか?」
「え?」
名前を奪われた人間は死ぬ。その言葉もそうだが、「働かないか」という言葉が武弘を驚かせた。
「働くって? 探偵の助手ってこと?」
「たわけが。貴様にそのような能力はあるまい」
「何気にディスるよな」
「儂の専属の料理人になれ、と言うておる」
「え!?」
思ってもみない言葉だったに違いない。武弘は自分の料理の腕に自信がある。あるのだが、まさかこんな形でスカウトされるとは思いもしなかった。だが、悪い気はしない。
認められた、という達成感と胸がじんと熱くなる感覚。
自分の料理が、誰かの役に立っている、必要とされている。
「なんだ、泣くほど嫌であったか?」
「ちが、ばか。泣いてねえし」
「女々しい男よ」
「その減らず口いつか叩けなくしてやるかんな。俺、オマエの料理人として、頑張るよ」
武弘の嬉しそうな笑みを見て、かんなぎは複雑な顔をした。だが、武弘がそれに気づくことはなく、本格的に武弘はかんなぎのもとで働くこととなった。




