2、転校生
転校生が来ます。
教師の言葉に教室中がざわめいた。この時期に転校生が来るなどと、誰がどう考えてもおかしな話だ。
高校三年の秋ともなれば、今更転校するメリットがない。引っ越すにしても時期を考えろという話である。
「入れ」
がらら、とドアが開け放たれる。クラス中からため息が漏れる。しかし、武弘だけはそうではなかった。
「かんなぎ……?」
長い黒髪を靡かせて、色白の肌は透き通るように美しい。
それに、着物の時はわからなかったが、かんなぎはだいぶスタイルがいい。豊満な胸に視線をよこす男子生徒もいるほどだ。男女問わず注目を集めるほどには、かんなぎの容姿は際立って美しかった。
「今日からよろしく」
笑いながら、かんなぎの視線の先にいるのは武弘である。どっと汗が噴き出すのがわかる。なぜ、なんの目的でこの学校――しかも武弘のクラスに転入してきたのだろうか。
「天野武弘」
他人のふりを決めようと思うも、なぜ知られているのか、かんなぎが武弘の名前を呼ぶ。武弘は思わずかんなぎに視線を向けてしまい、クラスメイトがひそひそと耳打ちしている。
「天野の知り合い?」
「あ、えーと」
「紹介しろよ」
男子生徒からはそんな言葉を投げられ、女子生徒からはやや冷ややかな視線をよこされた。
「天野。彼女の知り合いだったのか! よかった。彼女、事故で頭を打って自分の名前も知らないそうだ。彼女の名前、教えてくれ」
人好きのする笑みを湛え、教師が武弘にダメ押しした。関わらずに済むなら関わりたくなかった。だが、かんなぎという人間のせいですべては無に帰した。ならば、と武弘は右手で頭を掻きながら、
「俺も名前、知らないかなーって」
「いや、天野。ふざけるのもいい加減にしろ」
「や、だって……」
先日、かんなぎに会った時に言われた。かんなぎには名前がない。それも、まことの名前、と言っていた。まことの名前ってなんだ、と考えつつも、とにもかくにも、クラス中の視線から逃れるために、武弘はすっと深呼吸をする。
「神楽ゆい、です……」
偽りの名前だ。思い付きでそう口にしたのだが、果たしてかんなぎは満足そうにうなずいた。
「おお、そうか。よろしくな、神楽」
かんなぎ――神楽ゆいがペコリと頭を下げる。武弘はふっと息を吐き出して、額をぬらす汗を制服の袖で拭う。
まったくもって理解できない。なぜこんな面倒ごとに巻き込まれてしまったのか。なぜかんなぎが武弘のもとを訪ねてきたのか。
とりあえず、今後はなにがあっても他人のふりを決めようと武弘は決意する。
「じゃあ、神楽は天野の隣の席で」
「え、俺の隣、空てない」
「いいよいいよ、俺が譲るから!」
隣の席の石田が、机をガラガラと引きずっていく。石田はおそらく、窓際の一番後ろの席に行きたいがために快諾したのだろう。石田が気を利かせてかんなぎの机を武弘の隣に持ってきたことが、今は恨めしかった。
「あのさあ、なんで学校に来たわけ?」
昼休みになり、武弘はかんなぎに誘われる形で中庭で昼食をとっている。しかし、自作して持ってきた弁当なんて食べる余裕があるわけもない。
武弘はかんなぎに詰め寄るも、かんなぎは涼しい顔でコンビニ弁当をはくはくと食べている。
「貴様の依頼、受けることにした」
「はあ? 俺、頼んでねえし」
「よい。報酬はいらぬ。ただ儂は、この謎が気になる」
大方、探偵という人間は物好きなんだなと、武弘はコーヒー牛乳をちゅうっと飲み干した。べこっとテトラパックがへこんで、武弘は今日何度目かもわからないため息をついた。
「あのさ、呪いのメールのことはもう気にしてないっていうか」
「そうか? あれはれっきとしたなぞかけだが?」
「……え?」
探偵のかんなぎが言うと嘘でも真実に聞こえてしまう、武弘はそう思いながら、ポケットに忍ばせたスマホを取り出す。そして呪いのメールを開いて、今一度よく読みこんだ。
「……どこが暗号なんだ?」
「貴様にはわかるまい。じゃが、このまま放っておけば貴様は首を突っ込む。じゃから儂がこうして直に出向いてやった」
「偉そうだなあ。てか、オマエ、名前がないとか言ってたけど、なんで?」
「儂は名前を『亡くした』」
「名前をなくす? そんなことってあり得るのか?」
かんなぎが弁当を食べる手を止めた。まるで、「これだから子供は面倒くさい」そう言いたげな目を武弘に向けて、ふっと息を吐き出した。
「儂は名前がない。名前がなければそこに無いのと同義。ゆえに儂は、どこにも存在しないものとなった」
「ん? つまり?」
「貴様など計り知れぬほど長い時を生きてきた。ゆえに、気安く話しかけるでない」
ふん、っとかんなぎが弁当のふたを閉めて立ち上がる。
当の武弘はちんぷんかんぷんだ。なにがどうして、つまり、かんなぎは不老不死、ということだろうか。
いやいや、今時そんなこと、幼稚園児でも信じまい。
「信じる信じないは貴様の自由」
「……信じられるわけねえだろ」
しかし、かんなぎには妙な圧があるのも事実だ。なにより、探偵をうたっているからには、この事件を解決してくれるのだろう。そうなれば、武弘をないがしろにした大人たちを見返すことができる。
「一気には無理だけど、事件が解決したら、お金払うし」
「いらぬ。そもそも儂は、金のために探偵となったわけでもない」
後ろ手に、しかしかんなぎが笑っているのだけは武弘にもわかる。
「報酬は、そうさな。貴様の名前、と言いたいところじゃが」
「待って待って。名前?」
「最後まで聞け。儂は他人から名を受け取ることで、自分を保ってきた。そして、受け取った名を唱えると、十分間だけ儂はその人間の特技が使える」
まるで信じられない話だと思った。そもそも、名前をかんなぎに渡してしまったら、武弘自身はどうなるのだろうか。よもや、死するのでは、と考えて、自然と武弘の体が震えた。
かんなぎが見透かすように振り返り、笑う。
「しかし、儂も受け取る名は選ぶ。見たところ、貴様には特技がありそうにもないからな。そのような名など、受け取っても意味がない」
吐き捨て、かんなぎは中庭から去っていく。残された武弘は、理由もなく怒りを覚えた。いや、怒りの理由などわかり切ったことだ。
今、かんなぎは武弘を『無能』だとののしった。それが悔しくてたまらない。
「見てろよ」
決意し、武弘はその日の放課後、スーパーによってから、かんなぎの事務所を訪れた。




