38、まことのなまえ
「青海友治、彼もしつこかった。彼の妹は非常に美しかった。故に私は、彼の妹の名を奪った。そうね、彼女の名前はなんだったかしら?」
いびつな笑みに、武弘はゾッとその場に固まり動けなかった。説明など促してもいないのに不老の巫女は恍惚の表情でダメ押しする。
「ルイ・アーレイ。彼、いや、彼女は女ながら男として振る舞う、優秀な人間だった。異国の力も手中にするため、私は彼女とも交渉したわ。でも、彼女は私にも、何者にも囚われない自由な人間だった」
なのに、と不老の巫女がかんなぎを睨む。
「何故、なぜかんなぎばかり、人々に愛されるの。彼女もまた、かんなぎの元で過ごし、やがて死する時、『アナタの役に立てるなら、名前などいくらでも捨てましょう』? なぜ私には渡せないのに、かんなぎにばかり、みんな、みんな」
かんなぎは長い時を生きてきた。だが、それにしては受け取った名前が少なすぎる。それはきっと、かんなぎが容易く他人に心を開かなかったこと。あるいは、余程の理由がない限り、他人の名前を受け取らなかったことが理由だろう。
「安恵。彼女の頭脳は私が先に目をつけたというのに。最後の最後でかんなぎ、アナタに奪われた。いや、彼女が自らアナタに名前を渡した。そう、私のまじないで死にゆく彼女が、最後の力でかんなぎに名前を渡したのよ。だから」
私はアナタの全てを知っている。不老の巫女がビッとかんなぎを指さした。そしてかんなぎが動きを封じられながらもようよう口を開き次の名前を唱える――それより早く、不老の巫女がまじないを唱えた。
「かんなぎなる、高宮天音なる、青海友治なる、ルイ・アーレイなる、安恵なる、ソナタの動きを封じます」
ぴしりと固まり、かんなぎが指のひとつも動かなくなる。武弘はかんなぎを庇うように一歩前に出るも、不老の巫女の愉悦の混じったいびつな笑みに気圧されて、なにひとつ許されなかった。かろうじて息を吸い、吐くのみで、武弘は自分の非力を嘆かずにはいられなかった。
「飛んで火に入る夏の虫。いつもの様に私を交わすかと思いきや。なぜ私の前に現れたのやら」
「むろん。儂の名を取り返すためじゃ」
「あは。嘘が下手。私から名前を取り返すなんて不可能。だってかんなぎ、今やアナタを知るものはいない。こんな子供に情がわくなんて。まあ、私も彼の力は欲しいけれど」
武弘はそんな大層な人間ではない。そう思うのは武弘だけだ。
あのURLを開けられた時点で、武弘はだいぶ異質だった。
「この子を守ってなんになるの? 神力があるとはいえ、使い方も分からぬ子供に」
不老の巫女の言う通りだ、かんなぎにだってわからない。なぜ武弘と共に時間を過ごしてきたのか。武弘の名を受け取ることを口実に、共に謎解きを許したのか。なぜ学校に潜入捜査と称して転入までして武弘を見張り、同時に見守ってきたのか。
名前を取り返せないことだって、この謎解きが罠だということだって知っている。ならなぜかんなぎがここまで来たのかと言えば、単純に武弘に感化されたのだ。なんとしても見知らぬ女子生徒を助けたい武弘を見て、少しだけ、本当に僅かばかり、かんなぎの考えが変わった。
自らを犠牲にしてまで他人を助けたいと思う武弘に、寄り添いたいと思ってしまった、ただそれだけ。武弘に神力があるとか、そんな事は二の次だった。
「……儂の負けじゃ。じゃから、この子供だけは」
「あは。かんなぎらしくないですね」
ねっとりとした目で不老の巫女がかんなぎを上からしたまで見渡す。
武弘はなにも出来なかった。ガタガタと足が震え、立っているのだってやっとである。
不老の巫女は武弘を一瞥すると、クスリと笑いを漏らす。
「まあ、かんなぎが死すれば、その子も驚異にはならないでしょう。命だけは助けましょう」
「約束だぞ?」
身動きが取れないながら、かんなぎはなんという圧を放つのだろうか。武弘は言葉すら出てこなかった。武弘の命乞いなんてしなくていい、それよりかんなぎ自身の命乞いをしてほしかった。
不老の巫女がなにかを唱える。胸の前で両手を合わせ、やがてかんなぎを一点に見つめて、
「私のものになりなさい。高宮天音、青海友治、ルイ・アーレイ、安恵、そしてまことの名を『 』。ソナタの名前をわがものに!」
瞬間、晴れているにもかかわらず、雷がかんなぎの体に直撃した。ばりばり、と雷撃が地面をつたって霧散して、かんなぎの体が地面に倒れる。
武弘は腰を抜かし地面にしりをついた。だが、最後の力でかんなぎににじり寄り、息を確認する。
不老の巫女は、かんなぎのまことの名を、なんと唱えたのだろうか。武弘には、聞こえなかった。いや、確かに聞こえた。言葉とは程遠い、奏でるような音たちだった。
「神楽!」
「神楽? アナタはなにを言ってるのです? ソレはかんなぎの抜け殻……」
くら、と不老の巫女が地面に膝をつく。スラックスから覗く足が腐り始めていた。
「なぜ!? 私はかんなぎの名前を手に入れ……」
「悪いな、不老の巫女。儂はまだ、死ねそうにない」
むくっと起き上がり、かんなぎが武弘に優しい視線を向ける。
「男が泣くな」
「だって、だって。死んだかと」
「死ねぬ。儂はまだ、死ねぬ。そうだ、貴様のせいじゃ。武弘。儂はもっとうまいものを食したい。貴様のその料理を。じゃから武弘、儂の名を、奪われた名を、呼べ」
にっとかんなぎが笑う。武弘は噛み締めるように、だがはっきりと、
「オマエの名前は『 』。神とこの世を繋ぐ巫女だ」
かんなぎのいみなを、武弘は奏でた。弾いたとも言えるし、歌ったともいえた。かんなぎのいみなは、この世界の音ではなかった。
ばたり、不老の巫女が地面に倒れた。かんなぎが名前を取り戻したことで、不老の巫女のまじないは失敗に終わったからだ。
かんなぎは自身の名を小さく呟く。
かんなぎはまだ、死にたくない。生きたいと思ったのはもうどれくらいぶりかもわからない。
かんなぎ自身も予想外であった。自分がこんなに生にしがみついていること。自分がこんなにも誰かを必要としていること。毎日がこんなにも楽しいのだと、気づいてしまったこと。
「なんで、なんで。アナタの名前は奪ったはず」
「さあな。儂もわからん。じゃが」
立ち上がり、戦闘の意志を見せるかんなぎに、しかし不老の巫女は太刀打ちできる余力がない。名前を奪う力、それはもろ刃の剣である。失敗すれば、代償が生じる。不老の巫女は、かんなぎに向かう力も、逃げる力も残されていなかった。
「認めない、認めない。私はかんなぎになる――」
「行くぞ、武弘」
「え……? でもこいつから名前を取り返さなきゃ」
「いや。名を取り返すことは実質不可能。先のように、何れかが奪われた名を呼ばぬ限り、な」
吐き捨て、かんなぎが歩き出す。かんなぎははなから名前など取り返せるとは思っていない。かんなぎが死ななかった理由はわからないにしろ、今回はたまたま武弘がそばにいて、かんなぎの奪われた名を全て覚えていた。そして武弘がかんなぎの名を呼ぶことで不老の巫女は敗北し、かんなぎは名を取り戻せた。すべては偶然の賜物だ。
「じゃあ、せめてとどめを」
「こやつはもう、逃げる力もあるまい。放っておいても朽ち果てるだろう」
実際、かんなぎの言う通り、不老の巫女はこのまま風化し消えゆくだろう。人を呪わば穴二つ、まじないは失敗すれば自分に返る。人の命を奪うまじないなら、代償は自分の命というように。
なにより、かんなぎは武弘の前で殺生をしたくなかった。そして、哀れな不老の巫女への、最後の気遣いでもある。
一体なにが、不老の巫女をそこまでさせるのか。かんなぎにもわからない訳では無い。力をもったゆえの苦悩だ。故に、かんなぎはとどめを刺さない。最後はひとりで、その生涯を振り返ればいい。
武弘は後味の悪い思いをしながらも、その場をゆっくりと離れていく。




