37、助けに来た
ひゅおっと鋭く風がなる。風は武弘から体温を奪っていく。
信じない。信じられない。かんなぎと不老の巫女のえにしも、そもそもかんなぎが他人から『名前を借りている』ことも。そんなこと、かんなぎから一言だって聞いたことがない。
口を開くも、なんと言葉にすればいいのかわからない。信じたくない、けれど真偽は知りたい。本当のことを、事実を、かんなぎのすべてを。しかし、口から漏れるのは息のみで、やはり武弘がその気持ちを声にすることはできなかった。
地べたに横たわり、ただただ、不老の巫女の舐めるような笑みに、耐えた。
武弘が意を決して再び口を開いたとき、風が巻き起こり、武弘はその砂埃に目を閉じる――その時、
「あきれたやつだ。約束を破ったうえにこうも簡単に敵に捕まるとは」
響いた声、同時に、武弘の体の自由が戻る。立ち上がり、声の主を振り返る。かんなぎだった。息を切らし、身体を震わせ、必死の形相で不老の巫女をにらみ見ている。
「かんなぎ、かんなぎ! 会いたかったよ」
「その姿……貴様は今も、他から名を奪い生きるのか」
「あは。姿形が変わっても、私のことがわかるのね。さすがかんなぎ、嬉しいわ」
不老の巫女はあまたの名前を奪い生きてきた。名を奪えば自ずと姿形が変わる。しかし、中身は変わらない。禍々しい巫女なる力、歪んだ精神。
「久しいですね、かんなぎ。何十年ぶりかしら。覚えてる? 私はかつてアナタの名を奪った。けれど私は、アナタの姿形も、巫女なる力も奪えませんでした」
だが、だからといって、不老の巫女のまじないが失敗した訳ではない。不老の巫女は確かにかんなぎからまことの名を奪った。そうして、かんなぎが生きるはずだった寿命を受け取り、そしてまた、新たな名を誰かから奪い生き永らえて、今ここにいる。
「無論、忘れたくとも忘れ得ぬことじゃ。貴様のせいで儂はこうして今も生きておる。あまつさえ、長い時をひとりで」
「私が欲したそれを、アナタが享受するなんて。私はアナタが羨ましい」
「はっ、ならば貴様も名を捨てればよかろうに」
「あはっ。意地の悪い。今更私のまことの名を全て奪えるような巫女はいないでしょう? 私ですら全ての名前なんて覚えてないのだから」
不老の巫女がいびつに笑う。対して、かんなぎも不敵に笑った。ぞぞ、と寒気が走る。今、指の一本でも動かせば、武弘は間違いなく殺される。それほどの殺気だ。
「私はね、かんなぎ。アナタがどうして名前を奪われても生きているのか、不思議でならなかった」
「奇遇だな。儂もずっと、その理由を探しておる」
「あは。理由なんてとっくに気づいているのでしょう? だってかんなぎ、アナタは初めからまことの名前のほかにもうひとつ、『いみな』を持っていたんだから」
かんなぎは、帝と親しかった、恋い慕う気配さえあった。
不老の巫女はそこに理由を見出した。
いみな、という別称を、かんなぎが持っていたとしたら。
「まさか、帝からいみなをもらっていたなんて、私も思い至らなかったわ」
「はっ。そのいみなすら、儂には思い出せぬがな」
まことの名前を奪われたゆえに、かんなぎは、帝から与えられたいみなをも忘れた。
いみなというのは、代々の帝が使う、本来の名前だ。
帝の本名は、誰も知らない。知られてはいけない。本名――いみなには、霊的な力が宿る。だから代々の帝は、『天皇』という通称で呼ばれる。いみなとは、それほど特異な名前なのだ。
そのいみなが、かんなぎにはあった。
ゆえに、かんなぎはまことの名前を奪われても、不老の巫女にその体を奪われることはなかった。
「私はようやくアナタの謎をつきとめた」
「……」
「みて、私の体を」
不老の巫女が右腕の袖をまくり上げる。腐っていた。肉が腐り腐臭がする。思わず武弘は顔をそらすが、かんなぎは一切視線をそらさずに、まっすぐに不老の巫女を見据えている。
「私はあまたの人間の名前を奪い、不老の時を生きてきた。それでも、回を重ねれば重ねるほど、名前が私の精神に耐えかねて、こうして腐り行くようになった。だからね、かんなぎ」
天を仰ぎ、高らかに笑う。不老の巫女は、ずいっとかんなぎに詰め寄って、
「私はかんなぎ、とても癪で屈辱的なことだけれど、大嫌いなアナタの名前が欲しい。巫女として優れた名前と精神をもつアナタを。今回のこれは、アナタをおびき寄せるための――武弘くんをもらうための、謎解きです。さあ、かんなぎ」
ここで死ねるのならば、それでもいいとかんなぎは思っていた。廃墟にいた女の子たちは、みなかんなぎが眠らせた。じきに警察も来るだろう。
それに、自分の名前を渡す代わりに、武弘の命乞いをしてもいいと思っていた。なにより、このまま生きていくのは苦痛以外の何物でもなかった。
「よかろう。それで貴様の気が済むのなら。代わりに、武弘は返してもらうぞ」
「ええ、ええ。アナタの名前を手に入れられるのなら、惜しいけれど」
しかし、武弘は気づく。かんなぎが武弘に合図を送っていることに。察するに、隙を作るから逃げるぞ、そんな意味に思えた。この短い間だが、かんなぎと武弘には、妙な絆が生まれていた。喧嘩してなお、切れない絆だ。
「舞え! 風よ!」
かんなぎのよく通る声。同時に巻き起こったつむじ風が、林の木々をざわめかせ、木の葉や砂利は凶器となる。
「我が名は高宮――」
「あは。かんなぎ、そうくると思っていました。いや、今は高宮天音さん? 高宮天音、ソナタの動きを禁じます」
瞬間、かんなぎの動きが封じられる。かんなぎは名前を使用する際、受け取った名前を唱えなければならない。しかし、かんなぎがその名を唱えるより先に、不老の巫女が全てを奪った。
「高宮天音。彼女の名前は私も喉から手が出るほど欲しかった」
天を仰ぎ見、不老の巫女がかんなぎの動きを止めている。
「その運動神経たるや、私に相応しいそれだった。なのに彼女は、あろうことか私でなくかんなぎに助けを求めた。だから殺しました。私のまじないで」
考えたこともなかった、かんなぎが名前を受け取ったいきさつも、理由も。しかし、先の昔話といい、不老の巫女の話を真に受けるなら、かんなぎが高宮天音から名前を受け取るに至ったのは、相応の訳があるのは明らかだ。
「神楽、アイツはなにを言って……」
「さっきは聞き返せなかったのにかんなぎがいるだけで大違い。そうね、高宮天音は、私のまじないによって死した。その今際の際で、かんなぎに願った。『私の名前を渡す代わりに、この無念を晴らしてくれ』」
「やめろ、それ以上武弘に……」
「無駄よ。だってもう、私とアナタの馴れ初めも、えにしも。全部全部話してしまったもの」
かんなぎが苦しそうに顔をしかめる。しかし不老の巫女は無遠慮に続けた。




