36、不老の巫女の過去②
名前を奪う生活は相も変わらず続いていた。そんな時、不老の巫女はふと、思い立った。
「私に相応しい名前があるはず。そう、美しく聡明で、力のある」
何年、何十年生きてきたのか、不老の巫女自身も忘れるほどの長い時を経てなお、不老の巫女の欲はとどまることを知らなかった。
まず手始めに、あらゆる巫女を訪ね、見定め、しかし不老の巫女のめがねにかなう人間など早々見つかるはずもない。
次々に巫女が殺される事件が多発して、だが巫女たちは震え隠れるばかりで対抗する術を持たなかった。
不老の巫女が生きた時代と、今の時代でなにが変わったかと言えば、巫女の力に他ならない。どの巫女も話にならないほどに力が弱い。巫女の役割は時代と共に変わっていった。神託を降ろす役割から、神楽を舞う役割に。かんなぎが生きた時代は、その過渡期であった。
「あーあ。私に相応しい名前はどこにあるのかしら」
「い、命だけは……」
「あはっ。いいわね、自分だけは助かろうとする醜い精神。いいわ、なにか有益な情報を教えてくれたら、あるいは」
期待なんてしていない。そして、命を助ける気だって微塵もない。
それでもその巫女は、自分可愛さに他の巫女を売ったのだ。
「隣の村の村外れのあばら家に、かんなぎなる巫女がいます」
「かんなぎ……? あはっ。大層な名前だこと」
「お、教えたのだから、命だけは」
「ああ、いいわ。アナタから名前は奪わない。だってアナタ、醜いもの」
笑って、しかし不老の巫女はその巫女の命をいとも容易く奪いとった。
人間の命のなんと儚いことか。だがそこが、愛おしくもある。
人間はやはり、醜い。死に瀕した人間は、簡単に他人を裏切る。どんなに美しい姿形をしていたって、中身はみな同じ、愚かで醜悪、それが人間なのだ。
「かんなぎ。神を憑依させる巫女、ね」
不老の巫女がかんなぎを見つけるのに、そう時間はかからなかった。
あばら家に住むかんなぎを盗み見て、不老の巫女は歓喜に震えた。
「ああ、ああ……美しいわ。なんて美しくて」
人間臭い。
不老の巫女は下準備にかかる。上皇の命を狙ったように見せたのは、かんなぎをおびき寄せるための罠である。案の定、かんなぎは帝直々の巫女となった。
人のため、帝のためとその力を使う高貴なる矜恃を、ズタズタに引き裂いてやりたい。
実力もある、容姿も申し分ない。なにより、その内面が気に入った。
かんなぎの過去も今も、不老の巫女は神託により知った。生き延びるために巫女なる力を使ったことも、家族に捨てられたことも。帝を思うその利己的な感情も、行動も、全てが愚かで美しい。
「ああ、早く。早くアナタの名前が欲しい」
虎視眈々と、かんなぎを狙う。用意は周到に、ぬかりなく。時期を見計らって。
かんなぎにいとまを出すように進言したのは、他でもない不老の巫女だ。帝の婚姻が決まったのだって、不老の巫女が水面下で動いたからだ。
そして不老の巫女は、満身創痍のかんなぎからまことの名を奪うに至った。
帝を失った時のかんなぎは、今までのなによりも美しく、か弱い、ひとりの女に過ぎなかった。
名前を奪ったからといって、すぐさまその容貌が名前と一致する訳ではない。七日七晩かけて名前と精神が融合して、最後の七日目に一気に全てが合致する。
それは不老の巫女もはなからわかっていたことであるし、此度もまた、同じであろうと思っていた。
「……どうして?」
しかしながら、不老の巫女は七日経ってもその容姿に変化がなかった。受け取るはずだったかんなぎの巫女なる力すら、不老の巫女には感じられない。
よもや、と不老の巫女はあの場所に向かった。かんなぎから名前を奪った、あの焼け跡だ。
一方、名前を奪われたかんなぎは、七日七晩起きることはなかった。しかし七日目の朝、ひっそりと、その瞳を開いたのだ。
「儂は……」
なにも思い出せない。自分が何者で、なぜこんな場所で眠っていたのか。
ぼやっとする頭で思考を巡らせる。
段々と、徐々に、少しずつ。かんなぎは自分が置かれた状況を思い出す。
「帝!」
辺りは焼け野原と化し、帝の遺体を探し当てるのは不可能だった。全てが灰となり、風に消えた。
「……っ、逃げねば」
奪われた名前を取り返す、それより先にかんなぎはその場を離れた。今のかんなぎには『名前がない』。不安定な状態は、かんなぎの存在だけでなく、巫女なる力をも不安定にさせる。
だから今は、逃げるしかなかった。
不老の巫女がその場に現れたのは、かんなぎと入れ違いであった。
逃げて逃げて、だがかんなぎは、帝への後悔を償うように、人々を助け歩き、そしてとある夜。
「あは。見つけた」
「儂は貴様など知らぬが」
だいぶ長いこと、かんなぎはうまく不老の巫女から逃げおおせた。だが、不老の巫女も必死である。名を奪われてなお死なない存在。それこそが不老の巫女の目指すところなのだから。
「かんなぎ、アナタは今も若く美しいままなのね」
「……! よもや、不老の巫女……!」
「あはっ、いいわね、その二つ名」
相対し、しかしかんなぎは逃げる訳にはいかなかった。
かんなぎの後ろに庇うは、かんなぎの依頼主。そして、
「でもね、かんなぎ。私はもう、アナタの名前は要らないの。私はそっちの子に用がある」
かんなぎの後ろで息を切らすのは、年端も行かない女の子だ。何者かのまじないにより死へ向かう彼女を、かんなぎはなんとしても救いたかった。だが、相手が悪すぎる。彼女にかかったまじないは、不老の巫女によるものだった。
「貴様はまだ、かように人の名前を奪うか」
「あはっ。私が私であるためよ」
さあ、と不老の巫女が右手をかざすと、かんなぎの後ろで彼女が呻いた。どさ、と倒れ込み、肩で息をしている。
助からない。
咄嗟にさとるも、かんなぎは諦めきれなかった。対して、彼女はそうではない。
「っ、かんなぎ、かんなぎ……」
「なんじゃ」
「かんなぎ、私の名前を、受け取って。そうすればきっと、かんなぎの存在も、安定する」
なるほど、不老の巫女がかんなぎを探し出せなかったのは、かんなぎの巫女なる力が不安定になっていたからか。
確かに、まことの名前を奪う前と今とでは、まるで巫女なる力の毛色が違う。
だが、こうして彼女を生贄にすることで、まんまとかんなぎをおびき寄せることができた。今も昔も、愚かな人間だ、かんなぎという巫女は。
「させるものですか」
「……かんなぎ、はやく」
迷う暇すら与えられなかった。不老の巫女の目的が、かんなぎだったにしろ彼女だったにしろ、このままでは彼女はかんなぎの足でまといになる。そんなのごめんだ。これは彼女の最期の意地だ。
「私の分まで、生きて。それから――」
彼女の願い、そして心に、かんなぎはうなずくしかなかった。
かんなぎが胸の前で手を合わせ、まじないを唱える。
「ソナタの名前も気持ちも、儂がしかと『借りうける』」
最後に彼女はふと笑い、そうして息を引き取った。
不老の巫女が呆れたように笑いを漏らす。
「借りる? アナタはどこまでおめでたいのです。借りることも奪うことも、そう大差はないでしょうに」
実際、そのふたつには雲泥の差がある。名前を奪えばその人間そのものになれるが、借りるとなればよくて数分、かんなぎを持ってしても十分だけその人間の名を借りるのが限度だろう。
だがかんなぎは、はなから名を奪う気などない。『借りる』としたのは、最後まで彼女が彼女のまま死ねるようにという計らいだ。名を奪われれば、その人間の存在は消える。だからこそかんなぎは、彼女から名前を奪わなかった。
そしてかんなぎは、不老の巫女との因縁が片付いた暁には、借りた名前を返すつもりでいる。どれだけ時間がかかっても、必ず。
「貴様と儂を、一緒にするな」
名前を得たことで、かんなぎの巫女なる力が安定を見せる。
「はっ、胸糞悪い。アナタみたいな偽善者は嫌いよ。アナタ今、本当に醜い」
「そうか? 儂には貴様が怯えているように見えるが?」
「なにを……!」
しかし、不老の巫女の手が僅かに震えていることに、不老の巫女自身も気づいてしまう。
こんなこと、あってたまるか。人が人を庇い、自ら名前を譲るなど。
だが、震えが止まらない。まやかしだ、人間は等しく醜い。だから、この現実が受けいれられない。
心はまじないと直結する。このような状態では、不老の巫女に勝ち目はない。
「今日のところは見逃しますが」
逃げゆく不老の巫女を、かんなぎが追うことはない。
まだ温かい彼女の遺体を、かんなぎはただぼうっと見つめていた。
この日を皮切りに、かんなぎと不老の巫女の、深い因縁が始まることとなる。
生死をかけた、えにしだ。ふたりの巫女の、矜恃のぶつかり合いである。
かんなぎが追えば不老の巫女が逃げ、不老の巫女が追えばかんなぎが逃げる。その、繰り返し。ふたりは相容れぬ存在だ。ゆえにどちらかが朽ち果てるまで、この関係は続くのだろう。




