33、初心に帰る
一方、家に帰り着いた武弘は、両親に連絡する。
『今日は何時に帰れそう?』
久方ぶりに、一緒に食事をとろうと思ったのだ。すぐに両親から連絡が入る。
『今日は早く帰れそう。七時過ぎには』
父親も母親も、七時から八時の間には帰れそうだという。今の時刻は午後六時。下ごしらえにはちょうどいい時間帯だ。
「さて」
なにを作ろうか、と冷蔵庫をあさる。この間母親が職場の同僚からキャベツを大量にもらってきた。豚肉もある。ならばメインはホイコーローにすることにする。
付け合わせには武弘特製のふわふわ卵スープにする。
ホイコーロー用にキャベツをざく切りにして、葱、ピーマンも適当な大きさにきる。調味料は先に合わせておく。甜麺醤、酒、しょうゆに砂糖。最近寒くなってきたので、とろみ付けに片栗粉も一緒に混ぜた。
フライパンにごま油とすりおろしたニンニク、生姜を入れて弱火にかけ、香りが立ったら豆板醤を炒める。そこに肉を投入し強火でよく炒め、野菜を入れてさっと炒める。野菜が少し固いくらいで鍋肌から調味料を入れてよく絡ませれば、ホイコーローの完成だ。
「よし、スープは」
鶏がらスープに玉ねぎを入れて火を通したら、スープを右回りにかき混ぜて、卵を左回りにしてスープに落とす。卵を入れる前に、スープをかき混ぜるのがふわふわに仕上げるポイントだ。
「ただいま。あ、いい匂い」
「お帰り、母さん」
「武弘、ただいま」
「あれ、父さんも一緒?」
「たまたまそこで母さんとばったりな」
にこやかに、両親がリビングに入ってくる。立ち込める、食欲をそそるにおいにつられるように、武弘の後ろにふたりがいた。
「盛り付けたら出来上がりだから、手、洗って席で待ってて」
「ほんと、武弘はよくできた息子だわあ」
「だな。誰に似たんだか」
母と父が我が息子ながらできる子だ、と武弘をほめちぎる。悪い気はしない。ずっとそんな生活だったからだ。
武弘が料理を始めたきっかけなんて、武弘はもう覚えていない。
皆が席についたところで、久々の親子水入らずの食事が始まる。
「いただきます」
「召し上がれ!」
両手を合わせる父と母に、武弘が嬉しそうに笑っている。まずはスープを一口飲んで、そののち、ホイコーローに箸をつける母。父は、スープより先にホイコーローを口に運び、はふはふと熱々のそれを屠っていた。
「うまいな。相変わらず」
「そうねえ。和洋中、なにを作らせても絶品」
ピリッと辛みもあり、そしてキャベツのしゃきしゃき感と中華調味料の甘辛い味付け。ご飯の進む逸品だ。
はくはく、もくもく。箸が止まらない。
「今日はどこに行っていたの?」
「ああ、今日は友達と遊園地とか?」
「あら、珍しい。武弘が遊園地ねえ。もしかして、彼女?」
母親が好奇心をあらわに聞いてくる。武弘は「違うし!」と慌てて否定するも、そんなところがますます怪しい。
母親と武弘のやり取りを横目に、父親は穏やかに笑っている。
「武弘は本当に手のかからない子だわ」
「はいはい、それは何度も聞いたし」
「……申し訳ないと思ってるのよ。母さんたち、ずっと自分のことばかりで。もっと武弘にかまってやればよかったとか、本当に共働きでよかったのかとか」
「な、んだよ、急に」
本当に、なんの脈絡もなく母親がしんみりするものだから、武弘は困惑する。そんなもの、小さいころからそれが普通だった武弘にとって、今更過ぎる話なのだ。
「武弘は、本当に料理が好き?」
「え? それってどういう意味……」
「私たちが喜ぶからって、無理してご飯作ったり、家事したりしてない?」
「……別に、そんなこと」
思い返せば、武弘が料理をするようになったのはいつのことだったか。武弘は思い出せない。気づいたら好きになっていた。
いや、そんなはずはない。きっかけは鮮明に覚えている。あんなに幸せで嬉しい記憶を、忘れられるはずがないのだ。
最初はそうだ、両親の誕生日にハンバーグを作った時、ことのほか両親が喜んでくれて、そこから武弘は料理をするようになった。家事だって。
そう、あれは小学五年の秋のことだ。小学校で家庭科の授業が始まって、生まれて初めて料理をした。その、ハンバーグを家でも作って両親に食べさせたとき、
「うまいな。武弘は将来料理人になれるぞ」
「そうねえ。お母さんも武弘の料理、毎日でも食べたいわ」
そう、言われた。確かに、そう。
そこからだ。武弘が家の食事を一手に担うようになったのは。自分は両親の役に立っている、それが単純にうれしかったのだと思う。それがいつしか、夢になった。両親だけではない、誰か、知らない誰か、自分に関係のある人も、そうでない人も。みんなを幸せにできる手段、それが料理。武弘にとって料理は、魔法そのものであった。
「父さんも母さんも。俺がいやいや料理してると思ってる?」
「まさか。でも、子供らしくいられなかったんじゃないのかって。今もそうだ。毎晩作り置きしてくれて、ありがたいと同時に、申し訳なく思うこともある」
本音だ。父にとって、母にとって、武弘はあくまで子供なのだ。子供が子供らしくあるためには、大人が子供を守る必要がある。それを、奪ってしまったのではないか。そう思うことが多々ある。父親も母親も、武弘のやさしさに甘えていたのではないかと。
「俺……正直言えば、友達がうらやましく思ったこと、あるよ」
「武弘」
放課後になると、みんな友達と道草して帰って、帰ったら新作のゲームを兄弟や友達とプレイして。それがうらやましくなることもあった。
むろん、武弘だって、家の用事が済めば友達と遊ぶこともあったし、自由な時間だってあった。
けれど実際、思ってしまうのだ。なぜ自分は、ご飯を作り続けるのだろうか。喜んでもらいたい気持ちはあれど、どこか不服な自分がいたのもまた事実だった。
「今後はもう、ご飯の作り置きはしなくていい。専門学校に進学したら、できるだけ父さんも母さんも、オマエの好きなことをさせてやりたい」
「でも、それじゃ父さんと母さんのごはんが」
「武弘。お母さんもお父さんも、もういい大人よ? 武弘はなにを背負ってるの」
なにを。なにを。
自分がご飯を作らなければ、仕事で疲れた両親にご飯を作る余裕なんてあるはずがない。それは、武弘の中に知らず知らず埋め込まれた先入観だ。『自分がやらなければ』と背負い込んでしまうのは、武弘の悪い癖かもしれない。
「必要ない、って言ってるんじゃないの。武弘は武弘の好きなことを、していいの」
「俺の、好きなこと」
「そう、好きなこと」
そんなことを言われたって、今更武弘に料理以外のとりえなんかないに等しい。それを取り上げられてしまっては、武弘にどうしろと言うのだろうか。
「俺ってそんなに、有難迷惑?」
「そうじゃないわ
「じゃあ」
「武弘」
父親が武弘をいさめる。
「アルバイトは楽しいか?」
「今はアルバイトの話なんか……」
言いつつも、武弘は思う。家族に料理を出すのと、他人に出すことでは、まるで勝手が違う。うれしさも、難しさも。
文化祭の時だってそうだ。原価計算だって、そもそも店を出すにあたって全員が検便を提出しなければならかなかったのだって。全部全部、知らない世界だった。
武弘は料理の腕に自信がある。だからこそ、文化祭も、かんなぎのもとでのアルバイトも、まるで知らないことばかりであった。それが新鮮でもあり、不安でもある。
「俺……」
「家での料理だけが世界のすべてだと思ってほしくない。専門学校に行けば、料理だけでなく勉強だって必要になる」
「でも俺、料理の勉強なら苦にならない……」
「ああ、わかってる。でも、武弘。武弘にはもっと、世界が広いことを知ってほしい。だから、父さんのことも、母さんのことも、背負う必要なんてどこにもないんだ」
背負っているつもりなんて毛頭ない。なぜなら武弘は料理を心から楽しんでいたから。だが同時に、父親の言う通りだとも思う。武弘にとって料理は、この家の、両親のために作ったそれがすべてで、だからこそ、挫折したこともなければ、批評されたことだってない。
「武弘。友達とは楽しくやってるか?」
「……うん、そうだ、俺、友達と楽しくやってるんだ」
武弘の頭に浮かんだのは、かんなぎのことだ。
かんなぎと出会ってから、武弘は料理以外の世界を見てきた。かんなぎの不可思議な力、かんなぎが武弘の料理をおいしそうに食べる姿。呪いのメール、不可解な動画。
かんなぎといると、自分は世界のことをまだまだ知らないのだと思い知らされる。
少しだけ忘れていた呪いのメールに思いをはせる。武弘自身も意外であった。自分が呪いのメールに興味を持ってしまったこと。それによって、日常が非日常に変化してしまったこと。
なにより、事なかれ主義だと思っていた自分は、だいぶ『おせっかい』なのだと知ってしまったこと。
最近は料理と同じくらい、呪いのメールに入り浸っていること。
「俺、料理以外にもいろいろやりたいことあって」
「そうなのね。最近帰りが遅いから、そんな気がしてたわ」
「うん。でも、それがなんなのかは、言えないんだけど」
言ってもどうせ信じてもらえないだろうし、心配をかけたくないと思ったのだ。いや、そうじゃない。
武弘は初めて両親に秘密を持った。両親には知られたくない、武弘とかんなぎだけの、共通の秘密。むろん、かんなぎのことも、両親に知らせるつもりはない。
「あらまあ、武弘もそんな年ごろなのねえ」
穏やかに笑う両親に罪悪感を感じつつも、武弘は少しだけ、ほんの少しだけ自分が大人になった気持ちがした。




