30、意外な一面
ふらつく足取りで、ふたりは近くにある喫茶店で早めの昼食、兼、休憩をとることにした。
「あー、まだ目の前回ってるよ」
喫茶店の椅子に座って、武弘がけらけらと笑っている。
「儂はもう平気じゃ」
「いや、頭がふらふらしてるからな?」
武弘が楽しそうに笑っている。
時間が早めだからか、まだ客足もそれほど多くない。この時間にしたのはちょうどよかったのかもしれない。なにしろかんなぎは待つのが嫌いだ。遊園地の喫茶店は、食事時にはそれは込み入る。
「神楽はなに頼む?」
「儂はなんでもよい」
「いや、せめてメニュー見ろよ」
ほら、とメニュー表を武弘が差し出す。武弘もかんなぎの向かいからさかさまのメニュー表を覗き込んで、メニューを真剣に悩んでいる。
平和な時間だ。かんなぎはぼうっと武弘を見ている。メニューなんてそっちのけで、この時間がずっと続けばいいのにと、そんなことを思い、ハッとした。
「神楽?」
「いや。儂はサンドイッチなるものにする」
「サンドイッチか~! 俺は自家製スパゲティボロネーゼかな。飲み物は?」
「紅茶」
「了解。すみません!」
ウェイターを呼び止め、武弘が注文を済ませる。まるで。
まるで、自分が普通の女の子になったかのような、錯覚に陥る。
武弘といると、かんなぎは自分が本当は『神楽ゆい』で、武弘とは高校のクラスメイトで、そしてこの時間をいとおしく思う。そんな普通を思い描いてしまう。
「神楽? さっきから怖い顔してどうした?」
「いや。貴様はまことに」
「俺が?」
「いや、なんでもない」
武弘は本当に不思議な人間だ。事なかれ主義のくせに、あの呪いのメールに疑問を持って。普通なら、不審な動画を見たらもう関わりたくないだろうに、武弘はきっと、その動画に映っていた女の子を救いたいのだろう。
愚かで危うい存在だ。いつかその優しさに足元をすくわれるのではと心配になる。
「お待たせしました」
「おお、いい匂い」
「これがサンドイッチか」
「あ、初サンドイッチ?」
かんなぎがウェットティッシュで手をふく。そして左手で右側の着物の袖口を持ちながら、腕が見えないよう、なおかつたもとが料理に引っかからないように右手でサンドイッチを手に取った。その所作が、まるで乙女、いや、どこかのお嬢様のようで、武弘はどきりと胸が痛んだ。
「さ、さて、俺も食う前に写真写真、と」
スマホを取り出して、写真を撮る。きれいな盛り付けだ。ソースもたっぷり乗った、ボリューム満点の逸品である。さらにはスープとサラダ付きときたから、ここの原価率はどうなっているのだろう、と武弘はそんなことを思った。
「いただきます」
あらかた写真を撮り終えて、武弘はスパゲティをフォークに巻く。くるくる巻いていると、かんなぎが武弘――のスパゲティを見ていることに気づいた。
「もしかして、食べてみたい?」
「そのようなことは」
「いいよ、少しわけてあげる。代わりに神楽のも少しちょうだい?」
武弘がテーブルに備え付けてあった小皿にスパゲティを取り分ける。かんなぎもまた、サンドイッチをひと切れ、小皿に取り分けた。それを同時に交換して、かんなぎはサンドイッチを置きスパゲティを口に運んだ。
「ほう、これは」
武弘もまた、スパゲティを口に入れる。
「ん、これ、美味いな」
「これは貴様が文化祭で作ったものに似ているな」
もくもくとかんなぎがスパゲティを咀嚼する。
ひき肉のうまみとトマトとワインのうまみがじゅわっと口内に広がる。ナツメグの香りと、玉ねぎ、人参、セロリなどの香味野菜のうまみも加わって、優しいながらしっかりした味付けだ。
「神楽はミートソースとボロネーゼ、どっちが好き?」
「同じではないのか?」
以前武弘は文化祭でミートソーススパゲティを作った。ミートソースとボロネーゼの違いは、ミートソースの方がトマトが多く甘い味付けであること、ボロネーゼには香味野菜とワインが多めに使われていることだ。他には、ボロネーゼはミートソースと違って小麦粉を使わない点だろうか。
「儂には違いがわからぬ」
「そう言うと思った」
確かに、どちらも基本の材料は似たようなものだ。ひき肉の旨みもトマトの酸味も香味野菜も、かんなぎにしてみればどちらも『美味いもの』に変わりはない。
気を取り直し、次いで武弘は、サンドイッチを大きな口でかぶりついた。
「うま! しゃきしゃきの野菜とハムとチーズ。あとこれ、バターと一緒にマヨネーズもパンに塗ってんのかな……」
ぶつぶつと分析してしまうのは武弘の悪い癖だ。だが、かんなぎはもう慣れたもので、もはやなにも口出しはしない。
はくはく、ばくばく。もぐもぐ。
ひとはおいしいものを前にすると無言になるというが、今がまさにそれだった。ふたりとも目の前の食事に夢中で、食後の飲み物が運ばれるまで、なにも言わなかった。
「はー食べた食べた」
「貴様はまことに食べることが好きじゃな」
「まあね。あのボロネーゼ、マジでうまかった」
「そうじゃな。異論はない」
「で、次は食休みもかねて観覧車でどうだ?」
武弘の提案に、かんなぎがうなずく。
「観覧車とは、なにを楽しむものなのだ?」
「なにを……考えたことなかったけど、たぶん景色とか?」
「わからんで案内するのか、貴様は」
かんなぎが悪態をつくも、やはり顔は楽しそうだ。
ふたりは喫茶店を出て観覧車へ向かい歩く。ティーカップと違って観覧車は遠目からも場所がわかりやすいため、かんなぎの力を使わずとも、ふたりはそこにたどり着くことができた。
「お兄さんお兄さん、今観覧車を降りた後に、記念写真やってるから、乗ってる間に考えてくださいね」
「や、俺は別に」
「写真、か」
かんなぎが興味を見せる。
「撮る?」
「……儂はただ、物珍しかっただけで」
「あ、うん、だよな。俺なんかと写真撮ったってなんの得にもならねえし」
少し気まずくなった。
ぎくしゃくしたまま、ふたりは観覧車に乗り込む。
少しずつ、ゆっくりとゆっくりと観覧車が上に移動する。ふと、かんなぎが外を見ずに足元を見ていることに武弘は気づいた。
「あれあれ? もしかして高いところダメとか?」
「そのようなことは」
「わかりやす! 神楽はほんとにわかりやすいね」
「じゃから、儂は!」
かんなぎがむきになって立ち上がる。しかし、そのせいで観覧車がぐんと揺れ、かんなぎはそのまま武弘の膝に倒れこんだ。
「神楽!?」
「う、動くでない、動くでないぞ」
「いや、でも」
「かような鉄の固まりがぐるぐると宙を回るなど、どう考えても理解できぬ」
かんなぎはやはり、高いところが苦手なようだ。というよりは、鉄の塊が動いたり回ったりすることに恐怖を覚えているらしい。
かわいらしいところもあるものだと、武弘は思う――余裕なんてあるはずもない。生殺しだ、かんなぎはいいにおいがする。シャンプーのにおいだろうか。
自分の膝の上で震えるかんなぎは、まるで小動物のようでかわいらしい。
しかし、きついものはきつい。こんなに密着して、武弘も健全男子、余計なことが頭をよぎるくらいには、困惑している。同時に、もうかんなぎをからかうまいとも誓ったのも事実だ。




