29、楽しそうで
短かったようにも、永遠のようにも感じた三分間。ようやく元の場所にジェットコースターが戻りついて、武弘は笑いながら乗り物をおり立ち上がる。そしてそのまま、さも当たり前のようにかんなぎに手を差し伸べるものだから、さしものかんなぎも断ることができず、武弘の手を取り立ち上がる。
しかし、膝が笑ってうまく立ち上がれない。かんなぎの体が傾くも、見越した武弘がかんなぎを抱き留めて、無遠慮に笑った。
「神楽の弱点見っけ」
「なに、を……」
「意外と女の子らしいとこもあるよなあ」
かわいかった、なんて言うものだから、かんなぎは思わず武弘の手を払いのける。
「からかうでない」
「悪い。でも、楽しかっただろ? 思いっきり叫ぶとストレスも吹き飛ぶ」
言われてみれば、人生でここまで腹から声を出したのは初めてかもしれない。名を奪われたときでさえ、このように声は出なかった。
「いかん」
先ほどから昔のことばかり思い出しては比べてしまう。そして思うのだ。
ああ、今自分は幸せだ。
いつから自分は腑抜けになったのだろうか。こんなこと、あってたまるか。こんなこと。
「神楽?」
「いや、喉が渇いたな」
「あ、だよな。どっかでジュース買ってくるから、あのベンチで休んでて?」
にこやかに言って、武弘が自販機へと走っていく。その背中を見ながら、かんなぎは自分を叱咤する。
恋なんて、捨てたと思っていた。自分が恋い慕うのは、生涯ただひとり、帝のみ。かんなぎが殺した、帝その人だけだ。
「おーい、神楽?」
「なんだ」
「オレンジジュースとミルクティ、どっちがいい?」
「……どちらも甘いな」
「いや、お茶と水は全部売り切れでさ。いやだったらどっか喫茶店入る?」
その気遣いが憎らしい。いっそ冷たくしてくれたらどんなに楽か。
かんなぎは武弘の手からミルクティーを奪い取る。
「あ、飲めそう?」
「別に、飲めればなんでもよい」
ふん、と鼻を鳴らして、かんなぎがミルクティーのキャップを開ける。それを一気に半分飲み干して、ぷはっ息を吐いたところで、やっと生きた心地がした。
「じゃあ、次どこ行く? 観覧車? ティーカップ?」
「ティーカップ?」
「うん。ティーカップの乗り物に乗って、ティーカップをまわすんだけど」
「ほう」
考えても仕方がない。今日は武弘の気分転換が目的だ。かんなぎ自身の感情なんて二の次だ。
「では、ティーカップに行くぞ」
ふたりで乗る乗り物は、どんなことより楽しい。そんなことを思いながら、武弘は鼻歌交じりにティーカップに向かって歩く。はずが、どうにも慣れない場所のため、アトラクションの場所がいまいちわからない。
「こっち、いやあっち?」
「武弘、貴様方向音痴だったのか」
「いや、方向音痴っていうより、この遊園地でかくね?」
そうなのだ、武弘が知っているのはこの遊園地が移転する前の、小ぢんまりした遊園地なのだ。しかし、移転後の遊園地の広さは旧遊園地のゆうに二倍はある。加えて、景観を楽しめるようにと植え込みがあったり、複雑な形をしているため、武弘でなくとも迷う人間は多々いるだろう。
「仕方ない。待っておれ」
かんなぎが両手を胸の前で合わせてなにかを唱える。そしてカッと目を見開いて、右斜め向こう側を指さした。
「あちらだ」
「え、なんでわかるの?」
「造作もない。儂は人間の痕跡を追うことができる」
「お、おお……」
確かに、かんなぎが武弘を追って高校に転入してきたことを考えれば、その話は本当なのだろう。
「すげえな」
「じゃが、顔を見た人間の痕跡しかわからぬ」
「え、じゃあどうやったの」
「簡単な話じゃ。すれ違う人々の顔を見、そしてティーカップに乗ったかどうかを探る。ただそれだけの話」
行くぞ、とかんなぎが意気揚々と歩き出す。便利な力だと思う。人の痕跡を追う力。だが、その能力はきっといいことばかりでもないのだろう。かんなぎはあの日、帝の父親が襲撃されたことも、きっとこの力で見てしまったのだろう。だから屋敷に引き返した。あの日、かんなぎが屋敷に引き返さなかったら、かんなぎは名前を失わずに済んだのだろうか、帝が死なずに済んだのだろうか。
どちらにせよ。
「楽しいな、俺」
小さく、小さく。武弘はかんなぎに聞こえないようにつぶやいた。願わくば、かんなぎも同じ気持ちでありますようにと祈りながら。
ティーカップは順番待ちなく乗ることができた。
「おお、まことにティーカップを模しておる」
「女子ってこういうの好きそうだよな」
「別に儂は、女子などでは」
「いやいや、神楽は女子でしょ。キラキラしたものが好きだし、可愛いものもおいしいものも好きじゃん」
「儂はそんな――」
「はーい! じゃあスタートしますねー! いってらっしゃい!」
スタッフの女性の楽しそうな声とともに、ティーカップが回りだす。
「わ」
「おい、大丈夫か?」
「問題ない。して、この中央のものは?」
「これか? これはな」
にいっと笑って、武弘が真ん中のレバーをくるくると回す。すると、ティーカップがそれに合わせて回りだすものだから、かんなぎは思わずティーカップのふちに手をかけ体を支える。
「なるほど、これをまわすとカップが回るか」
「そ。ただ、回しすぎると平衡感覚馬鹿になるから、ほどほどに」
興味津々、といった様子でかんなぎがレバーに手をかける。ティーカップのレバーは女の子にはやや硬く、かんなぎは力いっぱい回しているのだが、ゆるりと回るだけで勢いがつかない。
周りを見ると、男子のグループなんかは豪速でティーカップをまわしていて、
「武弘。儂もあれくらい勢いをつけたい」
「だから、俺の話聞いてた? 平衡感覚なくなって歩けなくなるよ?」
「よい。儂はあの世界を見てみたい」
「あーもう、俺忠告したからな」
言って、武弘がレバーに手を乗せる。かんなぎと一緒になってレバーをくるくる、ぐるぐる、ぐわんぐわん。
だんだんと勢いがついて、遠心力で体が外に流れる感覚。かんなぎが楽しそうに唇を引き上げる。
きっとかんなぎは、先ほどのジェットコースターのせいで感覚がマヒしているのだ。あるいは、あのジェットコースターの怖いもの見たさが癖になってしまって、だからこんな無茶を武弘に振ってくる。
結局、ティーカップが止まるまでぐるぐるぐわんぐわんと勢いづけて回り続けて、武弘はもちろん、かんなぎもまた、ティーカップをおりる頃には平衡感覚がまるでなくなっていた。
よろよろと斜めに歩く。かんなぎも武弘もまっすぐ歩いているつもりなのだが、いかんせんうまく歩けない。
「あはは、やばい、俺ちょっとダメかも」
「人間とはこうもやわなものなのだな」
かんなぎもまた、武弘に同意する。不老不死といえど平衡感覚は持ち合わせているし、ジェットコースターだって恐怖する。そんな自分を、今までかんなぎは知らなかった。




