16、あのものは
女性が帰ったところで、かんなぎが両手を胸の前に合わせ、まじないを唱え始めた。いつもの光景だ。かんなぎの神力。能力。
「我が名は安恵なり!」
瞬間、ふっとかんなぎの体が妙にふわりと浮かんだような軽やかさを持つ。武弘にはそう感じた。
「武弘さん、行きますわよ」
「おう」
かんなぎのこれは、名前を呼んだ人間を自分に降ろしているのだと聞いた。そして、名前をおろしていてもかんなぎはかんなぎ。人や性格が変わったように感じても、中身はかんなぎのままなのだ。
他人が乗り移る、とはどんな気分なのだろうか、と武弘はいつも思う。
「神楽。詳細は決めたか?」
安恵、はかんなぎの頭脳を司る。ここぞと行動を決める際に降ろされる名前だ。
「ええ。いい方法がございましてよ」
妊娠がらみと言っていた。ならば、誰かがそれをひがんで嫌がらせでもしているのだろうか。どちらにせよ、かんなぎが依頼の当日に動くくらいには、今回の件は危険な依頼のようだ。
夜の闇に紛れて忍び込んだのは、どこかの一軒家だった。足音を殺し、静かに家のドアを開ける。
「我が名はルイ・アーレイなり!」
小さく唱えて、かんなぎに憑依したのはとある男だ。
「イキマース」
片言の日本語で、ルイなる名前を降ろしたかんなぎは、泥棒顔負けの手際で住宅の鍵を開けていく。ちなみに、ルイ・アーレイはどこか海外の国の怪盗の名前らしい。日本にとどまらず様々な人間の名前を持つかんなぎには閉口するばかりだ。
「毎度思うけど、これって探偵の仕事なのか?」
「……ワタシひとりナラこのようなこと、必要ありませーん」
「あ、俺が足手まといなのか」
ぐっと親指を立てて、かんなぎがそろりと住宅に足を踏み入れる。深夜の家は、しんと静まり返って不気味さすら感じられた。
その、建物内のとある部屋まできて、かんなぎが止まった。
「いる」
ふっとつぶやいて、両手を胸の前で合わせる。いつの間にかルイではなくかんなぎに戻っている。
ガララ! と、手をかけていないのに部屋のドアが開け放たれ、しかしてそこに見えたのは、赤子の化け物――まじないの形である。
すべての力にはまじないが働く。心霊現象のすべてに。
そして、それらをかんなぎは「まじないの形」と呼ぶ。まじないの形はいつも、なんらかの形を形成している。今回のまじないの形は、大きな大きな赤子のものだ。
「こ、この人が呪いを……?」
赤子のかたわら、ベッドに寝入る男を武弘が指さす。
「いや、この人物は依頼主の夫じゃ」
「旦那さん!? なんでそんな人が呪いなんて」
赤子の形をしたまじないが、ぎゃあぎゃあとないてこちらを威嚇してくる。声が波動のようにびりびりとかんなぎと武弘の体を押し出すように、向かってくる。
「耳が痛……! かまいたち……?」
赤子の泣き声が鋭利な刃物となり襲い来る。
かろうじてかんなぎの張った結界により、武弘は無傷だ。だがかんなぎはそうではない。スパパ!、と切りつけられパックリと肌が割れる。しかし血は出ない。切り傷がピタリとくっついて元の形に戻るのだ。
武弘は目を丸くするばかりだった。かんなぎが不老不死であることを、今この時、ようやく理解した。
赤子の鳴き声が部屋を切り刻む。武弘とかんなぎの周りの家具や部屋の壁が、バサバサ、ガタタ! と音を立て切りつけられる。
しかし部屋で寝入る旦那は、起きる様子はない。寝息ひとつ聞こえない。
本来、まじないはまじないをかける側には害を及ぼさず、まじないの形も見えない。
「すさまじいな。かようなまじないを一般人に渡すなど」
「え? 黒幕がいるってこと?」
「さよう。さて」
しゅ、しゅ、とかんなぎが宙に文字を書いていく。一文字、二つ、三個。
やがてぐぐぐ、と体中に力を籠めると、赤ん坊の化け物がひしゃげていく。ボン! と最後に音を立てて、その呪いはすりつぶされて消えていった。
残るは、旦那の枕元に飾ってあるとある人形だ。かんなぎはそのくまのぬいぐるみを回収すると、
「行くぞ」
小さく、言うのだった。
結局のところ、依頼主の怪奇現象は妊娠への妬みではなく、妊娠への渇望であった。つまり、あのまじないは妻を妊娠させようとした旦那からの、間違ったまじない。
「そもそも、あのぬいぐるみにかけられたまじないは、一歩間違えれば呪いになりうる、危ういものであった」
「まじないが呪いに……」
「そうじゃ。子を望むあまり悪しきものに利用された」
利用、とはどういうことなのか、武弘にはわからなかった。そして、聞くこともできなかった。秘密厳守、いくら武弘が料理人、兼、探偵助手だからと、かんなぎはむやみやらになんでも話してくれるわけではない。
「でも、なんでわかったんだ? 旦那さんだって」
「とおりゃんせ、とは、子供を神のいけにえとして献上するわらべ歌だとする説もある。そして、子供は七つまで神の子と言われた」
「えーと、つまり?」
「あのわらべ歌は、神からの授かりもの――つまりあの依頼主の子供を献上せよと、願いをかなえた故にその子供を渡せという暗示じゃった」
「なるほど」
子供が欲しいが故に利用したまじないだが、その報酬もまた、子供。そもそもが、授かった子供が文字通り「神の子」になってしまった。まじないを使ったばかりに。ゆえに子を献上せよとまじないの形が夢に出てきた。あのままだったら本当に連れていかれただろう。子供も、両親も。
あのわらべ歌ひとつでそこまでわかるとは、かんなぎという巫女は本当に恐ろしいと、武弘は思った。だが、旦那にも悪気はなかったのだろう。現に、かんなぎはこの件をあの依頼主には話さないという。旦那からのまじないであったことは、伏せることにするのだそうだ。
実に人間臭いと思う。かんなぎという巫女は。
本来ならば、原因を伝えることもできたはず。それを、依頼主を不安にさせまいと、結果だけ報告して、終わりにする。
「てか、なんであの女の人来るのわかってたの?」
「儂は怪異の気配がわかるからな」
「なるほど」
納得し、武弘が頷く。
「なーんか、釈然としない一件だったな。いつものことだけど。神楽が相手を気遣うのも意外」
「むろん、儂とてすべての依頼を丁寧にこなすわけではない」
そうは言いつつも、武弘が見てきた限り、かんなぎは依頼主にひどい扱いをしたことはない、非人情的なことだって。
「疲れたじゃろう。もう遅い。今日の夕飯は作らんでよい」
「でも、神楽、料理できないじゃん」
「儂とて料理くらい」
とは言いつつも、かんなぎはカップ麺すらまともに作れない。お湯の量が極端に少なかったり、三分間が待てなかったり。
「そもそも儂は、腹は減れど、食さずとも死にはしない」
「わかってるって。だからって紅茶で済ますとかないだろ。それに腹が減ることには変わりないし」
武弘も最近知ったことだ。かんなぎは空腹を感じることはあるが、食べなくても死なない。だから今までは、腹が減れば紅茶で満たす、そんな生活を送ってきた。
食に興味のないかんなぎだが、唯一好きなものは紅茶で、嫌いなものはパクチー。感情が乏しいかんなぎにとって、好きなもの嫌いなもの以外には興味が無いゆえ、かんなぎはいつも、武弘の作る料理に驚くばかりなのだ。
「作り置きのがあるから、それだけチンしたら帰るよ」
平和な時間が流れていく。呪いのメールのことは、いまだ一時だって頭から離れたことはない。だが、こうしてかんなぎの仕事を手伝うと、どこかすがすがしい気持ちになれるのは、かんなぎの人柄なのだろうなと、武弘はそんなことをぼんやりと思う。同時に、だからこそ呪いのメールの謎も、かんなぎのまことの名も、自分がどうにかしたいと思っしまうのだ。




