第6話 何者でもない僕を愛してくれる人
翌日。
少し肌寒く、ストールを一枚羽織って神殿へと向かった。今日は5分前に到着したが、やはりラスクはすでに来ていた。彼はいつもと同じくフードを深く被っていた。
「あぁ、メモに気づいてくれたんだ」
ラスクはにこりと笑い、自分の横に座るように手を地面にポンポンと打ち付けて私を誘った。3日目ともなると私も警戒心が少し解け、躊躇いなく横に座ったのだが、ラスクの香りで昨日の記憶が呼び戻されてしまう。
(あーっ! もう今はなし!)
私は頭をぶんぶんと振り、今に集中した。
「き、昨日は家まで届けてくれてありがとう」
「全然。マーガレット、ご飯食べてる? 前も思ったけど軽すぎる」
「大丈夫よ」
お父様のためにも栄養のある料理は作っている……が。自分の食費は少し削って酒代に回わしているとは言えない。
「ねぇ、どうして私の家が分かったの?」
「マーガレットが教えてくれたぞ? 酔いながらもふにゃふにゃと案内してくれた」
「なるほど……。その線は考えていなかったわ」
記憶にはないが、どうやら一時的に目を覚ましていたらしい。それならラスクがスムーズに辿り着くのも納得がいく。
「今日はお酒がないんだけどいいかな? 脱走するのにちょっと邪魔でね」
「脱走……?」
ラスクにあった初日も彼は追われていた。つまりラスクは……
「騎士でもスパイでもなければ、もしかして囚人?」
だとすれば、この男は極悪犯に違いない。私は少しだけ距離を取った。
「ははは、また変なことを言うんだな」
「ラスクは一体何者なの?」
「ただの何者でもない男だよ」
「そんなの通用するわけないじゃない。いつもフードを被っているし、ハッキリ顔を見せないなんて怪しいもの」
「うーん……マーガレットが婚約者になってくれたら明かそうかな」
ラスクはフードの縁に手をかけ、また深く被り直した。やはり何かを隠している。
でも……私も同じだ。従者がいないことも家のことも隠していた。人には秘密のひとつやふたつはあるのだろうけれど、今回ばかりは私も引き下がれない。
「婚約者になったとして、あなたが指名手配犯だったら困るんだけれど?」
「それはないから安心してくれ」
ここまで怪しい行動を取ってきている男をどう安心しろというのか。私も言動が一致しないことはあったがこの男以上ではない。
「さてマーガレット。欲しいものはあるか? 昨日お酒をくれただろう? そのお礼だ」
ラスクはこてんと首を曲げ、横から私を覗き込むように訪ねた。ラスクの無自覚な甘い動作に、私はドクンと心拍数を上げてしまう。
(欲しいもの……か)
「何でもいいぞ? どれだけ大きなものでも渡すと約束しよう」
「何でもって……」
(あ、そっか。ラスクの正体を曝けられるかつ私が望むもの……)
「私と婚約できる相手。公爵以上の婚約者を連れてきて」
「……ふぅん、考えたね。マーガレット」
好きな相手から遠回しにフラれているにも関わらず、ラスクはそれに動じず感心していた。私の考えはやはり見透かされている。
「どんな相手がお好み?」
「えっ」
言ってみたはいいものの、本当に連れてくる気だろうか。これから私のことを好きになるというのは嘘だったのか。自分で言っておきながら、いざ冷静に返されてしまうと少し腹立たしいものを感じた。
(私のことを知って好きになる、って言ったのに。やっぱり中身のない甘い言葉だっただわ)
乙女心というやつなのか、ただのワガママなのか。私はラスクに思いの丈をぶつけた。
「……私のこともっと知って好きになるんじゃなかったの?」
「マーガレットは『婚約者を連れて来て』と言っただけだろ? 婚姻するかどうかは別の話だ」
なるほど。ラスクもまた一枚上手だったというわけだ。だが婚約者のいる相手を狙うなどそれはそれで問題である。
「……え? 略奪?」
「それもありかもしれない……と言いたいところだけど、マーガレットに相応しい相手なら僕は身を引くよ。ま、5回目の婚約破棄を期待しているけど」
「なっ……!」
ラスクはにこりと微笑んだが、腹黒さが溢れ出ていた。
「それでどんな相手がお好みで?」
「……私とお父様のことを愛してくれる人なら誰でもいいわ」
「そっか。じゃあ僕でいいじゃないか」
ラスクもお父様のことも愛してくれそうな気はしているが、やはり素性が分からない以上はラスクで良いとも言えない。
「じゃああなたの素顔を教えてくれるの?」
「それは婚約者になってくれたらね」
婚約者にならなければ素顔が分からない。だが、婚約者になるためには素顔を見せてほしい。卵が先か、鶏が先か。終わりのない問いが繰り返される。
(ラスクと婚約者になるのは永遠に無理なのでは?)
私は腕を組み、目をぐるりと一周してみせた。
「それに僕は君と対等な立場でいたいんだ」
そう言うラスクはブロンドの睫毛をそっと下げて、憂いらしく呟いた。
「対等な立場?」
「何者でもない僕を愛してくれる人がいい」
ラスクもまた何かを抱えている。姿を隠すように被るフードがそれを物語っている。
私も何者でもない相手を好きになれるのならそうしたい。でもこの世界がそうさせてくれない。
「……身分なんてなくなればいいのに」
私がそうぽつりと呟くと、ラスクも同じ気持ちだったのか分からないが
「……そうだな」
と憂いた表情を浮かべながら小さく返した。その表情の裏には何が孕んでいるのだろう。数秒の沈黙が流れ言葉を探していると、またもやラスクにしか聞こえない声がしたのか、彼はすくっと立ち上がった。
「どうやら今日の追手は早いようだ。マーガレット、ごめん。明日も会えるかな」
「え、えぇ……」
「ありがとう」
ラスクは私の前で跪き、左の手の甲に小さくキスを落とした。その瞬間、体中の血液が急速で沸騰したかのようにぶわっと熱くなり、私は赤面してしまった。
「なっ、なななっ……!」
「マーガレットはからかい甲斐があるなぁ」
ふっと笑ったラスクは颯爽と去っていった。残された私はラスクの後ろ姿を見つめることしかできなかった。
「もー、なんなのよー!!」
連日ラスクに翻弄されているけれど、なんだか悪い気はしなかった。
◆◆◆
家に着き扉を開こうとドアノブに手を掛けるも、反対側から扉が引かれてしまい掴めなかった。家の中からは先日婚約破棄したマルクが顔を見せた。
「あぁ、マーガレットか」
「これはマルク様……。何かございましたか?」
「いいや、アセビナに話があっただけだ」
マルクはいつも以上に下品な顔を私に向けてきた。きっとお金絡みだろう。婚約時に渡した金を返せと言いにきたのかと思ったが、向こうに見えるアセビナも何やらご満悦の様子だった。
(お金儲けの話かしら……)
この二人の間に首を突っ込んでいいことはない。私はそれ以上は聞かず、小さく会釈をして馬車に乗るマルクを形上は見送っておいた。
「ただいま戻りました」
「あなた、ここ数日の昼間にどこへ行ってるの?」
「……散歩と情報収集に。婚約者を見つけないといけませんから」
アセビナもマルクと同じく下品な笑みを浮かべて、回答はしなかった。
「あと数日楽しむといいわ」
それだけ放ち、アセビナは軽やかなステップで自分の部屋に戻っていった。宝石商も仕立屋も来そうにはないが、有頂天な様子のあたりやはり何か企んでいるに違いない。
(お父様だけはお守りしないと……)
私はお父様の部屋に向かい扉を数センチそっと開けたが、穏やかに眠っていた様子だったので中に入ることはしなかった。薬や痛みの影響でぐっすり寝られないときもあるため、できるだけ起こしたくはなかった。
(でも最近は寝ていることが多くなったわね……)
お父様の先が短いのか、そんな悲しい未来が頭を過ってしまう時もある。
(良質な治療を受けさせるためにも、早く私が婚約しないと……)
約束の7日まであと4日。ラスクの正体が分からなければ、私は60歳の公爵と婚約することになるのだろうか。それだけは絶対に避けたいしお父様も喜んではくれないだろう。だが治療のことを考えると悠長なことも言ってられないのだ。
(……明日、あの人に相談してみましょう)
明日に僅かな希望を抱きながら、そっと扉を閉めた。




