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第5話 ほろ酔い


 翌日。

 大きなリュックを背負った私は約束の10分前に到着したが、ラスクはすでに来ていた。神殿の床にごろんと寝そべりながら異国の本を読んでいた。


「やぁ、マーガレット。来てくれて嬉しいよ」

 

 ラスクはフードがめくれないよう、頭に手を添えて起き上がった。


「何の本?」

「男の子が女の子を守るために戦う強い剣士の話。子供向けなんだけど結構意味が深いんだ」

「ふぅん……」

「それより10分前に来るなんて、なんだかんだ僕に会いたかった?」


 ラスクは意地悪そうに笑った。私がラスクのことを好きでないのは知っているくせに、この男は一人で楽しんでいる。でも少し図星をつかれたような気もして、私は焦った口調で返してしまう。


「ち、違うわよ。徒歩だからイマイチ予測がつかなかっただけ」

「昨日も思ったけど、従者の迎えはないのか?」

「……ないわよ」


 従者を雇えばそれだけ人件費がかかる。お父様の治療に少しでも回せるものは回したい。だからこそ我が家は従者を雇っていないし、身の回りのことはすべて自分でこなしている。まぁアセビナはディナーに行ったり、勝手に料理人を雇ったりしているから結局のところ回っていないのかもしれないが。

 何はともあれ、すべてを話してしまえばヴィルニフ家の汚名になりかねない。アセビナだけならいいが、お父様がいる以上、婚約者でない限りは家の事情を周囲に話さなかった。


「そうか。まぁそれぞれに家の事情はあるからね」


 婚約者にならないかと人生を左右する深い話をしてくるくせに、こういう時はあっさりと身を引く。私にとって質疑がないのは居心地が良かったが、彼の謎は深まるばかりだった。


「それよりそのリュックは何?」


 私は瓶が割れないようにそっと地面に置いた。5kgはあるこの酒の数々を持ち運んだこと自体はしたない気もするが、まぁいいか。


「ラスクと飲もうと思って持ってきたの。これは赤ワイン、こっちはウイスキー。あとはクッキーも持ってきたわよ」


 私がバーゲンセールで購入したワインボトルを見せたらラスクは目を見開き呆気にとられていたが、肩が小さく揺れ出し次第に彼の笑い声が神殿に響いた。


「……ふっ……ははっ、はははははっ」


 ラスクは顔を空に向け、白い歯を見せていた。


「昼間からお酒なんて悪くない。センスがいいな。もしかして僕から何かを聞き出そうと企んでいる?」

「えっっ」


 いとも簡単に企みがバレてしまったことに動揺した私は、赤ワインの瓶を持つ左手の力が抜けてするっと落ちそうになった。その瞬間、ラスクの右手が私の左手を覆うようにぎゅっとワインを掴んだ。

 その反射神経の良さにも驚いたが、何より手と手が触れていることに私は赤ワインよりも頬が赤く、アルコールで火照るよりも体が熱くなってしまった。


「~~っ!!」


 まるで押し倒されてもおかしくないような体勢にますます私は混乱して目を泳がせた。婚約破棄を4回も繰り返しているとはいえ、実は男性に触れたことも触れられたことも一度もない。言い寄られたこともあったが、初夜までは純潔でいたいとうまいこと交わしていたのだ。


「マーガレット、顔が真っ赤だ。もしかしてここに来るまでに一杯ひっかけた?」

「そ、そう! そうだから……手を……」

「あぁ、失礼。女性に許可なく手を触れるなんて失礼だったね」


 ラスクは私からワインボトルを取り、そっと地面においた。手持ち無沙汰になった私の左手は宙を浮いたまま固まっている。


(こんなことで動揺してどうするのよ私! 今日はラスクの本性を曝くために来たんでしょ)


 私のことなどお構いないしにラスクは慣れた手つきでグラスをワインに注いだ。慣れているあたり、裕福な家庭であることは分かる。


(……いや、スパイだもの。この程度できなければ怪しまれるわ)


「はい、マーガレット。僕たちの出会いに乾杯するとしよう」

「……クサいセリフね」


 お父様とお酒を交わした以来、笑顔で乾杯をしたことがあるだろうか。婚約が決まった時に出された晩餐も味がしなかったし、ワインなんて私の本音を殺す消毒みたいなものだった。ぐびっと一口飲む。やはりお酒は美味い。


「ふぅん、これはヴィンテージワインだね。悪くない」


 ぐびぐびと飲んでいる私の横で、ラスクはグラスに鼻を近づけてワインの香りをかいでいた。令嬢らしからぬ行動を見せるためのお酒とはいえ、やはり少し恥ずかしいものがあった。


「えっ、よく分かったわね。ラベルもないのに……」


 バーゲンセールで購入したアウトレットのヴィンテージワイン。長期保管していたためにラベルが剥がれてしまい、製造年や生産地が不明であることから安く売られていた。私も正確な年は分からないが、おそらく40年前あたりだろうと思っている。


「この香りと色合いは隣国のレポリスから輸入されたものだろうね。レポリスのワインが盛んな地域を訪れたことがあるが、その時に出されたものに近い。それにレポリスの瓶底は輸出時の破損リスクを回避するために分厚くなっているのが特徴だ」


 そう解説したあとにラスクは上品に口に含ませた。「やはりな」と小さく呟いて、また一口流し込む。


「どうしてそんなに詳しいの!?」

「僕もお酒は少し嗜んでいてね」

「そうだったの!? じゃあ、こっちのウイスキーは!?」

「どうしてラベルのないボトルばかりなんだ」

「いいから、いいから!」


 これもまたバーゲンセールで購入したウイスキーである。図書館で調べてみたり酒屋の店主に聞き込んだりもしたが分からなかった。まさかここで謎が明かされるなんて!私は嬉しくなって、ウイスキー用のグラスを2つリュックからそそくさ取り出し、注いだ。


「マーガレットは本当にお酒が好きなんだな」


 ラスクは一口飲むと「これは……」と解説を始めた。どうやらこの国のものでここ数年に製造されたものだった。ラスクが正解かどうかは分からないが、それらしい解説も付け加えてくれるため信憑性は高い。私はラスクに次々とお酒を出し、製造方法や歴史などを聞いていつの間にか楽しんでいた。


◆◆◆


「ほへ~……」


 1時間ほど経っただろうか。体は熱くなり、頭もぼんやりしている。ラスクの話に聞き入ってしまいお酒が進んでしまった。令嬢らしからぬ姿は見せられたかもしれないが、ラスクの方はというと。


「マーガレットはお酒が弱いんだね」


 ──私以上の酒豪であった。私に飲まされて私よりも多く飲んでいるはずなのに、顔色は何一つ変わっていない。私のコレクションしていたお酒はすべて空となった。帰り道は楽に帰れそうだ。


(って、そうじゃなーい!)


 作戦は失敗したのか。少なくとも私の方は戦闘不能になってしまった。


「……ラスク、あなた何者なの……」

「僕は何者でもない、ただのお酒好きの男だが?」


 作戦は失敗だ。そして大好きなお酒も失ってしまった。

「今度は僕がお酒を持ってくるとしよう。マーガレットの大事なお酒を飲み干してしまったお詫びだ」


(それは嬉しいけど!!)


 喉から手が出るほど嬉しい話だが、私はぐっと堪えて返答をしないままグラスをリュックの中にしまった。ラスクの正体を暴けなかった以上、次の作戦を考えないといけない。


「……お酒もないしもう帰るわ」


 私は立ち上がろうとしたのだが。


「おっと」


 思っていた以上にお酒が回っていて、どうやら私はフラついてしまったようだ……が、ラスクが後ろから抱きかかえる形で私を受け止めてくれたため、転倒せずには済んだ。


「へっ……?」


 いつも以上に思考回路が遅く状況を把握するまでに少し時間がかかったが、ラスクを纏う香油の香りが私の鼻をかすめて、脳を刺激した。


「えっ、あ、ご、ごめんなさい!」


 千鳥足になんとか指示を出して自力で立とうとするも、ラスクは私を離さなかった。


「……このままもう少しいてもいいか?」


 ただでさえお酒で熱くなったというのに。

 今は体の内側から焼けるように熱く、でもどこか心地よかった。

 私は回されたラスクの腕にそっと手を置き、一言。


「……少しだけね」


 春の昼下がり。

 結局何一つ得られなかったが今はどうでもいい。母のお腹の中でぷかぷかと浮かんでいるような温かさに包まれながら、どうすることもできない私はそっと目を閉じた。



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