第16話(2)
不用心に開いた扉からマーガレットの家に入ると、飲みかけのカップが2つテーブルに置かれたままだった。ソーサーの上にも置かれず乱雑に置いてあるのを見る限り、優雅なティータイムではなかったことだけは分かった。
「一体、何が……」
カツンと足元で音が鳴る。靴先で何かを蹴飛ばしてしまったようだ。音が飛んだ方向へ目線を向けると、床には僕がマーガレットにあげたピアスが落ちていた。
「ゲンテ! このピアスを見ろ。血がついている」
「なんですと……?」
サッとゲンテが近づき胸元からハンカチを取り出してピアスを拾う。真っ白のシルクのハンカチには血がついた。
「血の様子からしてあまり時間は経っていないように思えます」
「マーガレット、いないのか!?」
僕は声を上げながら家の中に進む。その後をゲンテは護衛しながらついてくる。
リビングの奥にある部屋のドアノブがガチャリと右回転をした。すかさずゲンテは僕の前に立ち、瞬く速さで両手に手剣を4本ずつ構えた。
「ラークス様、お下がりください」
「あぁ……」
僕も胸元に潜めている手剣をいつでも取り出せるように気を張り詰めた……が、登場したのは戦闘は到底出来そうにない、杖をついた男性だった。震える手足を一生懸命に動かしている。
「ラークス様ですね」
「……ヴィルニフ伯爵か」
「さようでございます。マーガレットを……どうかマーガレットをお助けください……!」
ゲンテは手剣をしまい、伯爵の手足を支えた。
「ヴィルニフ伯爵、お身体に障ります。あちらにお座りになってください」
「し、しかし」
ヴィルニフ伯爵は僕の顔を見ては申し訳なさそうにしていた。
「王子だからと気にする必要はない。座ってくれ」
「……ありがとうございます」
ヴィルニフ伯爵は再び部屋に入り、ベッドに腰を掛けた。
「ヴィルニフ伯爵、色々尋ねたいことはあるが今はマーガレットの安全を優先する。彼女はどこにいる?」
「マルク公爵が住まう領地、サイタウリ領内にある『ブラックスピネル』かと。寝たきりの私ですが、マルク公爵とアセビナの会話が時折聞こえてきまして……全貌は掴めませんでしたが、ブラックスピネルの名前が幾度か出ていたように思えます」
「ゲンテ、そこはたしかバーだったな?」
「はい。ヴィルニフ伯爵の話からすると何やら匂いますな……」
「ブラックスピネルの場所には100年前、地下キャバレーが存在していました」
ヴィルニフ伯爵はゆっくりと腰を上げ、本棚の三段目にある歴史書を手にした。数多ある中、どこに何があるのか把握しているあたり、本当に本好きなのだろう。彼は本を開き、かつてのキャバレーの図解を指しながら説明する。
「ブラックスピネルを建てるにあたり埋め立てたと言われていますが、もし埋められておらず地下に繋がっていたら……と」
「なるほどな。マーガレットはそこに連れ去られた可能性が高いと」
「はい……。今日、マーガレットはラスク様に会うと聞いておりましたゆえ……あなた様にお会いできるのなら大丈夫だと安心して眠りについたのですが、まさかお会いする前にマーガレットが……私は……父親失格だ……この体せいでマーガレットに苦労を掛けてばかりで……」
ヴィルニフ伯爵は大粒の涙を流し、悔しさのあまり不自由な足を何度も叩いていた。
「どうか、どうかお助けください。何でもいたします、私の命でも何でも捧げますゆえ、どうか……どうかマーガレットだけは……!」
「分かった。ヴィルニフ伯爵、命を捧げてもらおうか」
僕がそう放った時、ヴィルニフ伯爵の目に光が宿った。
「もちろんでございます、マーガレットが助かるのならば……!」
誰かに命を捧げるなど怖いはずだろうに、愛娘を命に懸けても守りたい父親の愛情が溢れ出ていた。もちろんどのような回答が来ても僕の答えは決まっていたが、このような姿を見せられては僕も命に代えてもマーガレットを守らなければな。
「ゲンテ、ヴィルニフ伯爵を宮廷へ。専属の医官と薬剤師をつけさせろ」
「かしこまりました。手配いたします」
ゲンテは僕の考えをすでに見抜いていたようで、何一つ疑問を浮かべることなく指示に従った。ゲンテは同行していた宮廷騎士団に的確な指示を出し、彼らは忙しなく動き出す。
「ラ、ラークス様! 一体何を……私の命などもう良いのです……!」
「私の命? 何を言っている。今日からあなたとマーガレットの命はピスキウム国のものだ。大事にしてもらわないと困る。それに……昔、僕を匿ってくれただろう? 今度は僕の番だ」
1冊の本だけが妙に僕の中で光って見えた。僕はその本を手にしてヴィルニフ伯爵に見せてみせた。何も伝えずともきっとあの時の恩人が彼なら伝わるはずだ。
「やはりあの時の少年は……」
「あぁ。今でも大事に保管している」
「ラークス様……ありがとうございます……」
ヴィルニフ伯爵は先程よりも大粒でそして温かな涙を流していた。
彼のことは2名の騎士に任せ、僕とゲンテ、騎士団はブラックスピネルに馬を走らせた。




