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第11話 どうして

「……悪い」


 ラスクはそっと頬から手を離した。

 私が目を開けた時には、一人分の距離を取られ私から顔を逸らして遠くを見ていたラスクの姿があった。


(……え? いやいや、今すごくいい雰囲気だったわよね? ここで手を出さないなんてどういうつもりなの?)


 もし友人から恋愛相談を受けていたとしたら、めちゃくちゃキレているに違いない。相手の殿方を呼び出して説教を喰らわせたいぐらいだ……が。


(……私、期待していたの?)


 私は自分が頭で考えていた以上にこの男を欲していた。

 私は気づいてしまった。この男に恋をしていると。

 私の身一人ならば婚約者になっても平気だ。たとえラスクがスパイだろうと何だろうと。でも私には守るべきお父様がいる。この数日間でラスクは私との約束を絶対に守ってくれていたし、気がかりだったお父様の治療費のこともピアスとサンキャッチャーを平然と購入しただけ問題なさそう……な気はしている。正体は分からずとも彼の家柄は悪くないことは明らかだった。公爵家でなくとも彼なら何か治療法の突破口があるかもしれない。

 アセビナと約束した日まであと1日。タイミング的に今日がベストだが。


(……どうして私を拒否したの)


 今のラスクの気持ちが私には分からない。恋愛はこうも自分を情けなくするのか。

 複雑な思いに葛藤しているとラスクがこちらを向き直し話し始めた。


「……なぁ、マーガレット。君のこともお父様のことも愛し、長期的な治療を受けられる都合のいい男がいる。それは君が嫌いな男かもしれないが……明日、連れてこよう」

「えっ……」


 それは今の私には酷く残酷なものだった。

 私はこういう男性を求めていたはずだったのに。


「マーガレットにお礼がまだだったからな」

「……そうね」


 今の私にはもう誰が相手でも構わない。また同じことを繰り返すのだろう。ただ、ラスクの紹介ならば少しは期待できるのかもしれない。私が恋を諦めるのにはちょうどよかった。


「……さて、日が沈む前に帰ろうか」


 ラスクは私の手を取ることなく、ゲテンが待機する馬車に向かった。


 王都に向かった時のように速く馬を走らせたらいいもののなぜか帰りはゆっくりだった。沈黙がゆえに時間がとても長く感じる。これも今日が最後か。明日からはラスクが紹介してくれる男性と過ごすことになるのだろう。それならば最後にもう一度問う──


「……ラスク、あなたは何者なの」


 ラスクは窓から夕日を眺めながら返答した。


「言っただろう、僕は何者でもないと。マーガレットと同じ人間だ」

「……あなたが正体を教えてくれていたら、あなたが望む未来になっていたかもしれないわね」


 私は皮肉を別れの言葉として彼に放った。


「……僕が正体を教えたら、本当の僕を知ることはなかっただろうよ」


 その後、ラスクはずっと黙ったままだった。何を考えているのか、何も考えていないのか、それすらも分からなかった。



 小一時間の乗車ののち、私の家の前に到着した。


「……マーガレット、明日も神殿で待ってる」


 どことなく儚い表情を浮かべて私に別れを告げる。ラスクの顔を一瞥して、私は馬車を降りた。操縦していたゲテンにお礼を伝え、外門をくぐる。

 ゲテンが馬に鞭を打ち、王都に向かった時以上の速さで帰っていった。


 私は家に入り、お父様の部屋に寄らずに自室に向かった。お父様の部屋にサンキャッチャーを飾る勇気がなかった。お父様は喜んでくれるだろうけれど、私がラスクを思い出してしまうから。サンキャッチャーの入った袋をそっと机の上に置いた。


「……」


 鏡越しに映った私のピアスがゆらゆらと揺れている。耳から外すことはなんだか名残惜しくて、でも見ていられなくて。私は鏡に布を被せて自身を消した。


「……明日か」


 今までの婚約も気乗りはしなかったが、令嬢として仕方がないことだと割り切っていた。しかし今回ばかりはどうも気が重い。


「お母様が見つけてくる男性よりはマシかもね」


 気分を切り替えるべくハーブティを淹れにキッチンへ向かうと、両手いっぱいに紙袋を抱えたアセビナが帰宅した。


「は~っ、バザールは最高ね!」

「……おかえりなさい」


 アセビナはリビングのソファにずっしりと腰を掛けた。アルコールの匂いも漂わせている。きっとワインの合う高価な食事もしてきたに違いない。


「あら、マーガレット。あなたも王都に行っていたのでしょう?」

「……どうしてそれを」

「ちょっと見かけただけよ」


 アセビナはそれ以上の何か意味を含ませた様子でふっと笑った。一体何を企んでいるというのか。


「……で、あなたはどうしてリビングに?」

「ハーブティーを淹れようとキッチンに向かうところでした」

「そう。じゃあ、私のハーブティーも用意してちょうだい」


 アセビナは購入した数々の服や宝石を取り出しては、感嘆の声を上げていた。彼女に似合いそうなものはひとつもなかったが、行商人の誰しもがアセビナのお金しか見ていなかったのだろう。

 私には不安を和らげるカモミールティを、常に頭が沸騰しているアセビナには鎮静作用のあるパッションフラワーのハーブティをそっと出した。


「あなた、約束の日は明日だけれど? もしかしてあのフードを被った男を連れてくるんじゃないでしょうね?」

「……いえ、別の方ですわ」

「あら、二股を掛けていたなんて! さすが、結婚詐欺師と言われているだけのことはあるわね? ふふっ、ご苦労様でした」


 アセビナは高らかに謎めいた笑いをして自室へと戻った。最後まで私のことを弄んで楽しんでいる。


「……これでいいのよ。当初の目的はお父様の治療のための婚約。それが叶うんだもの、喜ぶべきなのに……」


 複雑な思いを抱きながら、私はハーブティーを口に含んだ。

 窓の外は随分と暗くなっていた。今日は月が浮かばない新月だ。まるで浮かない私の心を表わしているようだった。


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