第10話 背徳感のピアス
「マーガレット、着いたよ」
先に降りたラスクが手を差し出し私をエスコートする。気恥ずかしさはあれど、その手にそっと手を重ねて馬車を降りた。ゲテンは少し離れた木の下で待機しているとのことで、颯爽に去っていった。
「……すごいっ!」
目の前には賑やかな世界が広がっていた。キラキラと輝く宝飾品や雑貨、異国の島から採れたであろうフルーツのドリンクや、匂いだけでヨダレが垂れてしまいそうなほど美味しそうなフードが軒並み出店している。道化師は魔法のようなパフォーマンスで人々を魅了させ、交響楽団が奏でる気楽な音楽に合わせて踊り子が軽やかに踊っていた。
「はぁ~い、お嬢ちゃんたち」
風を優しく切るように軽快な足取りで踊り子の女性が近づいてきた。ふんわりと清楚なブラウスを纏いつつも、ゆさりと揺れる胸元には女性の私でも一度は目で追ってしまう。出されたヘソの周りには金色に輝くコインの形をしたアクセサリーが巻かれ、歩みと共に音を奏でる。こんがりと焼けた小麦色の肌に艶やかな黒髪は各国を踊り歩いて旅する移動型民族の特徴だ。
踊り子はラスクの左手と私の右手を掴み、私たちの手を合わせた。
「ふふっ、人混みではぐれちゃダメだからね? 今日は熱いデートを楽しむのよ~っ!」
「えっ」
それだけをして女性は踊りながら去っていった。
ラスクの手と私の手が重なっている。エスコートの時のようなそっと触れるものではない。ラスクの体温が掌からじんわりと伝わってくる。
「お、驚いたね」
私は慌ててラスクから手を離そうとしたのだが、その隙を狙ってラスクはするりと指を絡め私を離さなかった。踊り子に繋がれた時より密着していてラスクの逞しい腕から熱が伝わる。
「あ、あの、ラスク……?」
「はぐれないようにしないとね」
踊り子とラスクは仲間だったのか?
意地悪そうに微笑むラスクの顔を直視できず、私は目を泳がせた。
「……っ」
「さて、行こうか」
ラスクに誘導され出店をいくつか回るも、すべての感情がラスクに支配されている今は何も揺れ動かなかった。
(ななな、なんでこんなことになってるのよ……!)
「マーガレット、さっきから黙ってどうした? 気分でも悪いのか?」
「悪くは……」
ない。
ただ動機がおさまらず心臓の音がうるさいだけで。
「……フッ、そうか」
私の手からラスクの手がするっと離れた。
うるさかった心臓の音は小さくなったものの、今度は喪失感からかチクリと小さく痛んだ。
「えっ……」
私が顔を見上げると、ラスクとばっちり目が合った。偶然見合わせたのではなく、彼はずっと私の方を見ていたようだ。
「寂しいか?」
目を細めて少し意地悪そうに微笑むラスクは、私がどう反応をするかお見通しだったようだ。私でさえ自分が分からなかったというのに──。
「……そんなことないけど」
「そうか。でも僕は寂しいかな」
ラスクはそう呟きながら空いた手でキラキラと虹色に輝く小物を手にしていた。
「何、それ?」
「サンキャッチャーだ。日差しの入る窓際に飾っておくと太陽の光を反射して部屋中を輝かせてくれる」
ガラスで作られた星から滴るように3つのガラス玉が雫となって連なっている。まるでサンシャワーのように神秘的で、ラスクの美しい新緑色の瞳がより一層芽吹いていた。
「お父様のお部屋にいいかもしれないわ」
ほぼ寝たきりのお父様の暇つぶしになるかもしれない。部屋がより明るくなれば心も晴れるだろう。私は買う気満々で隣に置かれたもうひとつのサンキャッチャーを手にするも……
「うげっっ」
店主を目の前にして失礼な発言だったとは思うが、あまりにも値段が高く私はそっと置いてしまった。このサンキャッチャーひとつでお父様の半年分の薬は買える。輸入品価格なのか、王都価格なのか、ただのぼったくりかは分からないが5万ピシーはそう気軽に出せる値段ではない。
「マーガレットはこれが気に入ったのか?」
「え、えぇ。お父様のお部屋に飾ったら素敵かと思ったけれど……ちょっと手は出せないわね」
「そうか」
ラスクは表情を変えずに小さく返答し、花形に切られたガラスのピアスを手にしていた。
「お兄さん、お目が高いねぇ。その花はマーガレットだと女房が言っていた。俺ァ花の種類がよく分からずに仕入れてしまったがな。がっはっは!」
「じゃあ店主、これをひとつ。あとこれも」
ラスクは私が手にしたサンキャッチャーと花形に細工されたガラスのピアスを手にして店主に渡していた。ピアスという小さなものをさらに花の形に削るなど相当な技術がいる。サンキャッチャーより値段が張る。不躾かと思ったが似たようなピアスを手に取り価格をそっと覗いてみる。
(お父様の薬2年分……!)
ラスクが値段を見る素振りはなかった。でも問題なく買えている。私が想像していた以上にラスクの経済力はあるようだ。それならば馬車を借りずとも所有できそうな気もするけれど……。
店主は破損防止のためにサンキャッチャーを丁寧に紙で包み、ピアスと一つの袋にまとめてラスクに代金と引き換えに渡した。
「……ん? お兄さん、以前も王都のどこかで……。いや……そんなはずは……」
「僕はあなたのことを知りませんよ? 人違いでは?」
「そう……だよな。悪い」
(ただの人違い……)
ベーナの店で抱いた違和感を彷彿させる雰囲気が流れた。どこかラスクを知っているような、しかし口には出来ないような何かだ。この靄の正体は一体……私が腕を組みながら考えているとラスクがひょこっと顔を覗かせた。
「マーガレット、どうした?」
「えっ、いえ。何でもないわ」
「じゃあ、行こうか」
再びラスクに手を引っ張られ、彼の後に続いて店を出た。ラスクは迷うことなく足を進める。この足取りはこの地に慣れ居ている人間の証拠だ。
「王都には何度か来たことがあるの?」
「そうだね。よく逃げているから」
「あぁたしかにそうだったわね……」
逃げ回るうちに道を覚えたのだろうか。ラスクは運河沿いにあるベンチに腰を掛けた。運河を沿うように等間隔に配置されたいくつかのベンチには男女のカップルが座っている。私たちもそう見られてしまっているのだろうかと思うと、なんだか落ち着かなかった。
「マーガレットにプレゼントだ」
ラスクは先程購入したピアスを袋から出して私に差し出した。高価な値段に気をとられ、誰のために買っていたのかなんて気に留める余裕はなかったが、まさか私だったとは。
「えっ……い、いや、さすがに高価すぎるわ」
「このピアスはマーガレットと言っていた。君がつけないでどうする」
「いや、そう言われても……」
気持ちは嬉しいけれど、あまりにも高価すぎては気が引けてしまう。しかし受け取らないのも失礼だろうか。
「しょうがないな」
ラスクがそっと私の耳に触れる。私がガレージセールで買った安いピアスをラスクが外す。羞恥心がありながらも私は拒否することができずに硬直していた。そして皮膚の間を通るポストの心地よい痛みと男性にピアスを入れられるというどこか不埒で背徳感のある経験に、私の心は複雑に溶けていた。
「……っ」
何ひとつ悪いことをしていないのにゾクゾクとした何か心の奥底からぶわっと溢れ出した。
両耳にピアスをつけ終えたラスクは、そっとガラスの先を掬いながら見つめて私に話した。
「マーガレットの太陽のような笑顔を反射してくれるな。きっとお父様もこちらのサンキャッチャーを好むだろう」
「えっ、あ、あの……」
するりと流れるようにラスクの手が私の頬を覆い、彼の体重が少しだけ私に重なった。彼の親指に私の唇は押し当てられクチッと小さく艶かしい音が鳴った。
(えっ……待って、このままじゃキスされる……!?)
そう思いつつも喋ることも拒絶することもできずただただラスクを見ていた……いや、瞳に囚われてしまい逃げられないというのが正しいのか。
ベンチがギシッと鳴りラスクが私にじりじりと迫ってくる。近づくラスクを直視できず、私はぎゅっと目を瞑った。




