第8話 語り継がれる絵本
翌日。今日もいつものようにラスクに会うべく神殿に向かうつもりだった。今日こそは正体を曝こうと意気込んでいたのだが、お父様が風邪による高熱を出してしまい、私は看病をすることに。常用薬はあるが風邪薬は切らしてしまっていた。私は今日もベーナの薬屋に足を運んだ。
「おや、マーガレット。今日も来たのかい」
「お父様が熱を出してしまったの。何かいいものはあるかしら」
「ふむ、それならハーブティがいいだろう。常用薬と併用できるものを処方するよ」
そう言ってベーナは薬棚に置かれたドライハーブの瓶をいくつか取り出し、すり鉢の中で調合を始めた。
「あぁ、そういえば昨日の飴の効果はどうだったかい?」
ベーナは手を止めずに私に質問をした。
「もう散々だったわ! 彼には効かないのに私には効いちゃって……」
ベーナがこちらを振り向かないのが救いだ。壁に掛けられたアンティーク調の鏡に映る私は複雑そうな顔をしていた。
「……効かない?」
「えぇ、彼は何一つ口を割らなかったわ。それにベーナのことを知っていたわね。ラスクという男を知らない?」
ベーナはすりこぎでハーブを擦っていた手をぴたりと止めた。
「……彼の髪色は?」
「フードを被っていて分からないけれど、睫毛はブロンド。瞳は鮮やかな緑ね」
「……まさか」
ベーナは何かを考えていたようで10秒ほど動かなかった。
「まさか、何?」
「……いや、隠されているということはきっと何か考えがおありなのだろう。私もラスクという名前は知らないね」
そう呟いたベーナは再び手を回し始めた。急にベーナが相手を敬うような口調になったのが気になったが、ベーナが知らずしてラスクは知っているというこの状況は危ないのではないか。
「ベーナ、狙われたりしない?」
「ははは、この老いぼれを狙ってくれるのなら万々歳だけどねぇ」
くるりと私の方を向き、調合したハーブを紙袋に入れて差し出した。
「風邪に効くエキナセア、エーダルフラワー、ヒソップを主として調合した。睡眠を促すラベンダーとカモミール、苦みの緩和にレモングラスが入っている」
「ありがとう。また来るわ」
「もう飴はいらないのかい?」
「い、いらないわ!」
顔を見られないようにさっと扉へと向かった。
「……こりゃ大変な恋愛になりそうだ」
ベーナがなにか呟いたような気がするが、聞き返す余裕はなく私は去った。
◆◆◆
「お父様、大丈夫ですか?」
「マーガレット……はぁ……おまえは……会いに行く人がいる……のだろう……」
熱にうなされ、呼吸も荒くなっているお父様を置いてラスクの元に行きたくはない。主人が苦しんでいるというのに、アセビナは顔を出さなかった。
「大丈夫ですわ。今日は予定がありませんから」
お父様がしてくれたように、私も小さな嘘をついてみる。きっとお父様には見透かされているのだろうけれど。
「……そうか。でもいつ会えなくなるか分からん……。会いに行け」
「私のことはいいですから。お父様、ハーブティも飲まれたことですし後はゆっくり寝てくださいませ」
「あ、あぁ……」
ハーブティの効果か眉間に皺を寄せていたお父様の顔は少し穏やかになり、そっと眠りについた。今日は一日、お父様の寝室にいよう。私はお父様が眠っている間、本を読んで時間を潰すことにした。
お父様は司書だったこともあり、自国だけでなく異国の本まで数百冊の本を持っていた。私はお父様の本棚を見渡すと一冊の本が目に入った。
「強い剣士……か」
それはラスクが読んでいた異国の本だった。幸いにも小さな頃にお父様に異国語を教えてもらったことがあるから、この程度の書物なら読める。
(そういえば意味が深いと言っていたわね。ラスクはこれを読んで何を思ったのかしら)
今日会えなかった謝罪を心でしつつ、少しだけ彼に思いを馳せて読み進めていった。
◆◆◆
それから3時間後。お父様の声で私は目を覚ました。どうやら本を読み終えた後に眠ってしまっていたらしい。
「マーガレット、マーガレット」
「ラスク……」
「ラスク?」
少しスッキリした様子のお父様の姿を見て、私はハッと口を閉じた。
(なんでラスクの名前を……!)
「えっ、えぇ。お菓子のラスクを食べる夢を見たの」
「……そうかい」
またもやお父様には何か気づかれていそうだが、私は冷や汗を掻きながらにこーっと笑顔を返した。
「それよりお身体は……?」
「あぁ、大分良くなったと思う。明日には元気になりそうだ」
「それは良かったです」
お父様は膝に置かれた本を見て、何やら言いたげだった。
「どうかされましたか?」
「……いや、昔その本を2冊持っていたんだ」
「2冊? どうして?」
「異国から輸入された際に手違いがあったみたいでな。正確に言えば図書館に1冊置いてあるから輸入されたのは合計3冊。うち2冊は私が回収したんだ」
お父様は領地内にある図書館で働いていた。お母様を亡くしてからしばらくは私も一緒に職場を訪れては、父の横で本を読んだり、司書たちにちやほやと甘やかされたりなどして過ごしていた。
「ではもう1冊は?」
「フードを被った少年にあげたんだ」
フードを被る少年など数多いるというのに、ラスクを思い描いてしまった。
「川沿いのベンチに座りこの本を読んでいたら、少年が現われてね。興味深そうにしていたからあげたんだ」
「へぇ……その少年はいまどこに?」
「さぁね。当時8歳のマーガレットより少しだけ年上な感じはしたが……少し話した後、颯爽と去って行った、いや逃げていったに近いか?」
(逃げるあたりもラスクを想像してしまうわね……)
「でもまぁ、その少年の役に立てば嬉しい。そしてその少年もいつか誰かにこの本をあげてほしいと思うよ。自分の子供でも大切な人でもいい」
「……そうね。素敵な話だったから」
本当に強い剣士は、力の強さではなくて心の強さ。そんなことを教えてくれる絵本だった。きっとその少年も大切にしているに違いない。
「さて、お父様。これから夜になりまた冷えますから、お布団に入り直して」
「あぁ、そうだな。マーガレット、ありがとう」
お父様に布団をかけ直して、私は自室へと戻った。
自室の燭台にそっと灯をともす。この部屋からラスクの残り香はもう消えていて、どこか寂しさを覚えて……
(寂しい……?)
ラスクに一日会えなかっただけで寂しいと思ってしまうほど、私は弱くってしまったのか。これまでの婚約者は数週間会えなくても何も思わなかったのに。この数日で自分の感情がかき乱されている。
私はいつもの流れで机上のキャンドルも灯したのだが……それがさらに追い討ちを掛けた。ラスクが残したメモが目に映ってしまったからだ。
「……」
そうっとその文字を指で撫でるも、ぎゅっと胸が苦しくなる。私はフッとキャンドルの光だけは消した。
「……気のせいよ」
火を消しても私の苦しみは消えなかったけれど。
私はベッドに横たわり、何をするわけでもなくただ窓の外を眺めていた。




