第六十一話「脚があるなら」
クリス、お前は物語の主人公になれ――。
ルーチェのいた事務室を無言で立ち去ると、クリスは握りしめた右の拳を通路の壁に叩きつけた。
「ふざけるな! 何が主人公だ!」
バカにしているのか――。
苛立つクリスだったが、目の前に今まで姿を見せなかったマレーネが、突如現れたので驚いてしまった。
「マレーネ……?」
声を掛けるが、マレーネは黙ったまま俯き身体を小刻みに震わせていた。
「何だ? おい、どうかした――」
心配して手を差し伸べようとすると、泣き出しそうな表情でいきなり首元に抱きついてきたのだ。
「な?! マレーネ? 急にどうした?!」
『間に合った……。戻ってこれて……本当に……。主が無事で……よかった』
あまりにも唐突な出来事に、クリスは困惑してしまう。
さらにマレーネが嗚咽を漏らして泣き始めたので、突き放すことも出来ずクリスは戸惑ってしまった。
「な、なあ……おい、落ち着けよ……マレーネ。どうしたんだよ? 急に泣き出して……」
クリスが心配そうに優しく語りかけると、ようやくマレーネは首元に絡ませていた腕を解放してくれた。
『主よ! 今すぐ、その封書を開けよ! おそらくソレに重大なことが書かれておるハズじゃ!』
マレーネの瞳は涙に濡れていた。けれども拭うこともなく、険しい表情でそう捲し立てた。
「おいおい……急になんだ? どうして俺が監獄王の言いなりに――」
『主はすでに物語の中におる!』
「え……? 物語の中……? お前、何を言って――?」
クリスは怪訝な眼差しでマレーネを見つめた。
『時間がないのじゃ! その封書を開けて、指示に従うのじゃ! 監獄王の命ではない。これは妾の命じゃ!』
マレーネの慌てた口調に、クリスは渋々であったが従うことにした。
封書を開けると、一枚の便箋が入っていた。
そこには――。
この封書を開けたと言うことは、お前は自らの意思で選んだと言うことだ――。
お前にふさわしい舞台は用意してある。
物語の主人公として、三人の銃士を引き連れて飛び降りる者を助けるがいい。
場所と時間は――。
「ふざけやがって! また俺を利用しようとしているのか? 誰が従うか!」
マレーネもクリスが手にする便箋を覗き込んだ。
『なんじゃ……? コレは――』
文章を読んだマレーネは、目を丸くして驚くが、すぐに苦虫をかみつぶした表情に変わっていく。
『クリスよ! 監獄王とやらは何者じゃ? 何故、妾の存在を知っておる?』
「マレーネの存在? いや……知るはずないだろ?」
クリスは怪訝な眼差しで、マレーネを見つめる。
「それに、この文章からどう読み解くとそうなるんだ?」
『前提――なのじゃよ』
「ん? 前提……? お前何を言って――」
『銃士の子息たちが生存しておることが前提なのじゃ――』
マレーネは舌打ちをした。
『忌々しいのぉ。妾までも物語の登場人物にされておる』
悔しそうに呟くマレーネに、クリスはさらに困惑していた。
「おい、話が見えないぞ。それに、生きてること……? まるで、その言い方だと、彼奴らが死ぬみたいじゃないか?」
『……』
クリスのその問いかけに、マレーネは喋りすぎたとばかりに、押し黙ってしまった。
「マレーネ、お前――何か……隠しているな?」
『主よ……今は何も訊くでない。一刻を争うのじゃ。三人の元に急ぐのじゃ!』
マレーネの慌て方から、自分の知らない所で何かが起きている事は理解できた。
それでも……やはり躊躇いが生じてしまう。
監獄王の思惑が、クリスにはまったく分からなかった。それが、悔しくてたまらなかった。
「イヤだ! 行きたくない! 監獄王の言いなりはゴメンだ……」
それがクリスのせめてもの抵抗だった。
『駄々っ子か? 三人が危ないのじゃぞ』
「ふん! 悪かったな! それに……俺が駆けつけなくても大丈夫だ。あの三人は十二分に強い」
ぷいと顔を背けるクリスを見て、『まったく…主は……』と、マレーネは呆れたように嘆息を漏らした。
『まあ、よい……。主が自分の意思で選びたいというのであれば、好きにするがよい。妾は何も言わぬ。妾は主の選択を尊重しよう。じゃがのぉ、その前に……これだけは言わせてもらうぞ』
クリスは何を叱責されるのだろうかと、俯き待ち構えていた。
だが、マレーネの言葉は予想外のものだった。
『クリス――主には脚があるのじゃぞ』
その言葉にクリスはハッとして、マレーネを見つめる。
「お前――」
(どうして……それを?)
監獄王との決別の切っ掛けとなった出来事――。
マレーネには話したことはなかったはずだった。
『助けに行くための――そこに行くための脚が、主にはあるのじゃろ?』
マレーネは微笑みを浮かべる。
『こんな所で立ち止まっている場合ではなかろう? 監獄王を見返してやるのじゃ』
(ああ……そうだ――。そうだったな――)
(意地なんて張っている場合じゃなかった……)
(俺には脚があるんだ――)
目を見開くと、クリスは全速力で駆け出した。
通路の先にエレベーターホールが見えてくる。
『左に非常口があるぞぉ』
「言われなくても分かっている……」
クリスはエレベーターホールの左手にある扉を開けると、非常階段を駆け上がっていく。
B1……1F……2Fと駆け上がる。
扉を開けて駐車場に出ると、硝煙の匂いと共に血なまぐさい匂いが鼻腔を刺激する。
――くそっ!
遅かったか?
身を屈めて停車している車の陰に隠れるように移動していく。
すると十字路の中央に少年が倒れていた。
周りに流れ出た血液の量が、凄惨さを物語っていた。
「シャル!」
駆けつけようとするクリスをマレーネが制止させた。
『無駄じゃ! 今行っても助からん。それより今はメルローズの小娘を探すのじゃ』
「メルローズ? リディのことか?」
『そうじゃ。まずは彼女奴を探すのが先決じゃ。彼女奴が存命であれば、どうにでもなる』
辺りを見回しつつ、クリスは移動していく。
するとコンクリートの支柱に背中をもたれかけて座り込む人影が見えた。
「リディ……?」
クリスは身を屈めながら近づく。
「おい! リディ!」
クリスが話しかけても、彼女は放心状態だった。
「しっかりしろ! 何があった?」
彼女の肩を揺らすと、ようやくリディはクリスに視線を合わせた。
彼女は泣きはらした瞳でクリスを見つめると、何も言わずに彼の胸に飛び込んで泣き出してしまった。
「リディ……?」
戸惑うクリスは、震える彼女をそっと抱きしめる。
『まあ……癪に障るが、クリスよ……ハグするくらいは今回は許す』
マレーネがギロリとクリスを睨めつける。
『主よ……そのまま其奴の頭に至宝を置くのじゃ』
クリスはマレーネに言われるがまま、左手をそっと彼女の頭に乗せた。
◇◇◇
(あたしは……なんて最低なんだ……)
(言葉だけじゃないか……。二人を責めておいて、覚悟が決まっていないのは自分も同じじゃないか……)
リディは後悔していた。
臆病な自分に――。
二人を見殺しにした自分自身に……。
『何を泣いておる? 小娘』
ふと少女の声が聞こえた。
その声にリディは顔を上げる。
「此処は……」
辺りを見回すと、何もない真白い空間が広がっていた。
(あたしは……何処にいるんだ?)
(ああ……あたしも死んだのか――?)
『戯け! 死んでおらぬ』
(……え?)
『お前の心の中じゃ。もっとも……妾がインペリアル・グレースの能力で、妾好みに作りかえた世界じゃがのぉ』
「何を勝手に! あたしは誰にも屈しない。支配されたりしない!」
『やれやれ……まるで狂犬じゃのぉ』
背後から聞こえる少女の声に、リディは立ち上がり振り返る。
足下には深紅の絨毯が大理石の床の上に敷かれていた。
敷かれた絨毯の先には――玉座が見えた。
その玉座を黒い靄のような物体が蠢いていた。
「誰だ?! そこにいるんだろ?」
目をこらしていると、黒い靄が次第に人影に変わっていく。
『不敬じゃのぉ。跪け!』
玉座に歩み寄ろうとするリディだったが、その一言にどういうワケか、一歩も足を踏み出すことができなくなっていた。
さらに両側から衛兵に取り押さえられている感覚が走った。
自分の意思では抗うことはできず、その場で両膝をつかされていた。
『それでよい。支配しているのは妾じゃ。躾は大事じゃからのぉ。上下をしっかりわからせておかぬとのぉ』
リディは玉座を見上げようとするが、何者かに頭を強引に押さえつけられているかのようであった。
視線をあげることは出来なかった。
しばらくは抵抗を試みていたリディだったが、無駄だと悟り、諦めて大人しくすることにした。
『ふむ……よかろう。面を上げよ』
少女の一声で、ようやく頭だけは動かすことが許された。
リディは顔を上げると、黒いもやが次第に人の姿へと変わっていった。
黒髪に黄玉の瞳を持つ、自分と同年代くらいの少女が玉座に腰掛けていた。
少女は片肘で頬杖をついて値踏みでもするかのようにリディを眺めていた。
『ん? どうした? メルローズの小娘――傷心しておるようではないか?』
玉座に座る少女はリディの心中を見透かしたようにニタリと笑みを浮かべた。
『二人を見殺しにしたのを悔いておるのか?』
リディは怒りに満ちた表情を僅かに見せたが、すぐにぷいと顔を背けてしまった。
その態度を見て玉座に座る少女は鼻で笑った。
『滑稽じゃのぉ。あれだけ覚悟を決めたと息巻いておったのにのぉ』
――くっ!
リディは歯を食いしばり、少女を威嚇するように睨み付けた。
「わかっている! あたしが臆病なせいだ! そんなこと……わかっているんだ! わかって……いるんだよ……」
睨み付けながらも、ポロポロと涙を流すリディの姿に、少女は一つため息を吐いた。
『なるほど……自覚はあるようじゃのぉ。ならば簡単ではないか』
「簡単……? 何が簡単なんだよ?!」
『分からぬわけがなかろう? 至極簡単な事じゃ。お前が持つ至宝で、巻き戻せば良いではないか? 至宝は、時を支配することができるのじゃぞ?』
リディはため息を吐いていた。
「それができたら――」
(こんなに悔やんだりしていない……)
リディは頭を振った。
自分が至宝の扱いが苦手だと認識している。加えて時を巻き戻すという高度な制御ができるとは到底思えなかった。
「あたしには――」
できない……。そう言いかけたときだった。
『できるようにしてやる――』
その言葉に、リディは少女を仰ぎ見た。
玉座に座る少女がニタリと笑う。
『そう妾が答えたら、お前はどうする?』
(できるように……? 巻き戻すことが……?)
リディは目を閉じて、深々と頭を下げた。
リディは悟った。
玉座に座る少女が何者なのかを……。
「貴女様に――この身を捧げます」
『ほう……聡いな。そして……殊勝な心がけじゃ』
玉座に座る少女は満足そうな笑みを浮かべる。
『ならば、リディ・メルローズよ。卿は妾の臣下になれ』




