第五十四話「終演の舞台」
マルセイユの身体から、バイオリンとビオラの中間音域の音色が聞こえ始める。
夜想曲――その名称の由来だった。
複数のモーターと複雑な歯車の組み合わせによって生み出される独特の弦楽器のようなサウンド。
限定解除による最大出力によって、音が次第に厚みを増していき、弦が限界まで張り詰めたような歪みを帯びていった。
――過負荷。
音は弦楽器ではあり得ないディストーションへと崩れていく。
歪みがピークを迎えたその瞬間――。
「行きますよ」
ペロリと唇をなめてからの、合図となるマルセイユの冷静な一言。
ジャスティンは大きく息を吸って、腹に力をこめて止めた。
トゥォッ――――ォォ―――ン!
視界から消える――。
おそらくエイミングしている連中には捉えられていない。
消えたと思った、その次の瞬間には音が遅れて追いかけてくるだろう。
マルセイユに抱きついたジャスティンは背中側から重力(G)が襲いかかる。
――くっ!
ジャスティンは胸郭を押しつぶされる圧迫感に歯を食いしばって耐えていた。だが、それでも意識を持って行かれるのか、マルセイユに抱きついた両腕の力が抜けてくる。
瞬間的に意識が飛び、視界が白く映ってきた。
すさまじい速度だった――。
おそらく一秒にも満たない時間――。
飛びかけた真っ白い意識の中。
一瞬――音が消えた。
次の瞬間、ジャスティンの耳をつんざく程の爆音が上がる。
ドッゴォォォ―――ン!
マルセイユは玄関の両扉にドロップキックを叩き込んでいた。
二人分の体重とグリムリグの重量――ざっと150㎏の質量と加速度が生み出す、破壊的な衝撃。
すさまじい爆音と共に砂埃が舞い上がる。
マルセイユの蹴撃を受けた二枚の扉は、まるでダンスを踊るように、勢いよく屋敷の中へと転がっていく。
一方のマルセイユは、扉に衝撃を上手い具合に逃がすことで、フワリ……と、上品に着地していた。
「ジャスティン様……もう、よろしいですよ」
マルセイユはジャスティンの耳元でそう囁くと、抱きかかえていた身体をゆっくりと下ろしてくれた。
ジャスティンはマルセイユの首に巻き付けた腕を離して、立ち上がる。
だが、脳が揺らされたせいか、くらりと目眩がしてよろけてしまう。
それを咄嗟に、マルセイユが支えてくれた。
「あ、ああ……大丈夫だ」
何とも言えない気恥ずかしさから、ジャスティンはマルセイユと目を合わせずに、肩やズボンの裾に付いた埃を、ポンポンと叩いて落とす。
マルセイユの方も、急に何かを思い出したのか、赤い顔を隠すようにジャスティンに背中を向けると、黙ったままスカートに付いた汚れをパタパタと叩いて落とした。
スーツの襟を正すと、ロビーの奥を見つめる。
「さてと……」
ジャスティンは一つ咳払いをする。
「屋敷の主人とご対面といこうじゃないか」
「ええ、そうですね……」
少しぎこちない言葉を交わした二人は、屋敷の玄関ホールに足を踏み入れた。
◇◇◇
玄関ホールは闇に包まれていた。
さらに静寂に支配されているかのように、静まりかえっていた。
マルセイユは立ち止まり、辺りを見回し気配を探る。
一方のジャスティンは、お構いなしにホールの中央へと歩き出していた。
すると――。
パチ……パチ……パチ……パチ――。
ゆったりとした拍手が何処からともなくホールに響き渡る。
ジャスティンは立ち止まり、拍手が聞こえてくる二階を見上げる。
暗闇に慣れてきた目が、ようやく人影を捉えることができた。
男性と思しきシルエットだった。
毅然とした佇まいと優雅さを兼ね備えていた。
ゆったりとした拍手を続けながら、その人物は階段を降りてきた。
踊り場に降り立つと拍手を止める。
すると、ホール中央に吊り下げられているシャンデリアに明かりが灯った。
まるで舞台の演出であるかのように――。
踊り場にいる人物に自然と視線が向くように、スポットライトのように明るく照らされていた。
目の前に立つ人物を、ジャスティンは見知っていた。
幾度となく被害者の写真として、彼を見ていた。
ダークブロンドの髪に蜂蜜色の瞳。髭は剃っていたが見間違えようもなかった。
フェルナン・ド・ルヴェ侯爵、その人だった――。
「招かれざる客人ではありますが――」
侯爵は踊り場から二人を見下ろした。
「ようこそ……我が屋敷、リュミエール邸へ」
その言葉と共に、ホール全体に明かりが灯る。
「この屋敷を終演の場面に選ぶとは――意外ですよ。ジャンナッツ警部」
「そいつはどうも……」
ジャスティンは軽く会釈をする。
「そして――」
侯爵はマルセイユに視線を送ると、笑みを浮かべる。
「マルセイユ嬢――貴女の活躍が我々の最大の誤算でした。ですが……実に素晴らしい!」
侯爵は賞賛の拍手を送る。
マルセイユはスカートの裾を持ち上げ、軽く会釈をしてみせた。
侯爵は拍手を止めると、踊り場からホールへと降りてくる。
「さて――お二方、応接室へとご案内致しましょう。此処で立ち話も何ですからね」
侯爵は二人を横目に一階奥の扉へと歩いて行く。
二人は顔を見合わせると、侯爵の後を付いていくことにした。
◇◇◇
応接室に通されたジャスティンとマルセイユは、侯爵に促されるままソファに座った。
しばらくすると、扉のノックと共に女性がひとり入ってきた。
その女性に二人は見覚えがあった。
ルヴェ署からモンソレイユ邸へと案内をしてくれた、侯爵の姪にあたるアデル嬢だった。
もちろん、当人であるとは言い切れない。
彼女は三客のカップをテーブルに置くと、何も言わずに立ち去った。
「ささ……どうぞ――ジャンナッツ警部にマルセイユ嬢」
二人の座った席の対面に侯爵は腰掛ける。
「大丈夫ですよ。毒は入っておりません――」
そう言って、カップを持ち上げて一口飲んでみせる。
二人も侯爵に続いて、カップに口をつけた。
「さて、ジャンナッツ警部。貴方の質問には極力答えるつもりですが」
侯爵はカップをテーブルに戻すと、足を組みながらそう切り出した。
「まずは本来の終演の場面について、少しお話し致しましょうか」
ジャスティンはコーヒーを飲み干したカップをテーブルに置く。
「そうですね。先ほどのアデル嬢が我々をモンソレイユ邸へと連れ返しに現れた後、どうなるのか……。興味がないと言ったら、嘘になりますね」
侯爵は、ふふと笑った。
「そうでしょう? では、概要をお話致しましょう」
そう言うと足を組み替える。
「貴方の推測の通り、先ほどのアデル嬢役の彼女が、あなた方二人を連れ戻しに現れます。ま、理由については彼女の即興になるでしょうが……。モンソレイユ邸でアラン署長が呼んでいる――おそらく、そんな流れになっていたでしょう」
ジャスティンは頷く。
「モンソレイユ邸に戻られたあなた方二人に、アラン署長は告げます――」
フェルナンは生きている――と。
「病院に搬送されていて、これから戻ってくると……。程なくして――私が満を持して登場するという流れになっていました。如何ですか? なかなか面白い展開でしょう?」
「面白いですが、破綻してませんか?」
ジャスティンは侯爵を見つめていた。
「侯爵が生きて現れたとしたら――書斎にあった遺体は誰なのでしょう?」
「さあ……誰なのでしょうね」
侯爵は肩を竦める。
「それを推理するのが、ジャンナッツ警部……貴方の役割なのでは?」
「私の役ねぇ……」
今度はジャスティンが惚けたように肩を竦める。
「ええ、そうですよ。私の役は領主として帰還して、貴方と対峙することです。ですから、ジャンナッツ警部――貴方には限られた時間で見聞きした証言や証拠から、この殺人事件の真相を披露してもらいたかった。そうすれば、貴方が探偵役になれる最高の場面になっていた筈です」
「残念でしたね……。思い通りに行かなくて――」
「それは、どうでしょうね?」
侯爵の物言いに、ジャスティンは怪訝な眼差しを向けた。
「応接室なんて何処も代わり映えしません。さほど難しくはないでしょう? 舞台をモンソレイユ邸の応接室から、リュミエール邸の応接室に変更することくらい」
侯爵は目を細めてニヤリと笑う。
「貴方は我々が用意した、台本の外側に出たつもりでいるようですが――」
侯爵は頭を振った。
「勝手に舞台袖の奥に引っ込んでしまっただけです。ホントに……手の掛かる、気難しい役者ですよ」
それを聞くとジャスティンは鼻を鳴らす。
「勝手に舞台に上げたのは、あなた方でしょう?」
「そうかも知れませんが——まだ終わっていません」
侯爵は肩を竦める。
「場面はリュミエール邸の応接室に変わっただけです。あなた方はまだ我々の物語の中にいるのですよ」
「物語の中……?」
「ええ。我々の物語――その中にいるからこそ、あなた方はまだ無事でいられるのです。物語から外れた瞬間、『死体』になることもある――そのことをお忘れなきように」
(生きて帰れる保証はない――か)
ジャスティンは肩を竦める。
扉がノックされ、アデル嬢が入ってくる。彼女はそっと侯爵に耳打ちをした。
「さてさて……ジャンナッツ警部。雑談はこれくらいにしておきましょう。ようやく物語の最重要人物――監獄王が到着したようです。お二方、ご起立の上、拍手で迎えてください」
侯爵は二人に起立を促すと、自らも立ち上がり、扉に向かって拍手をし始めた。
マルセイユはジャスティンの顔を伺うが、ジャスティンは首を横に振る。
そして、座ったまま扉を睨み付けていた。
(――ふざけるな!)
(人を殺して、それをエンターテインメントに仕立て上げるって言うのか?)
(何が物語だ!)
(狂ってるよ! 本当に……狂ってる!)
ジャスティンは苛立ちを募らせていた。
すると場違いなほど異様なたたずまいの人物が、ヌッと応接室に現れる。
(こいつが……?)
白いバウタの仮面をつけ、頭にはトリコルヌ(広縁の三角帽)を被っていた。そして漆黒のマントをはためかせて颯爽と現れた。
「お待ちしておりました、監獄王!」
侯爵の拍手だけが室内に大きく響き渡っていた。




