第五十三話「確証なき突破」
クレールヴァルに、夜の帳が下りはじめていた。
ジャスティンとマルセイユの二人は、高台へと続く薄暗い坂道を歩いて行く。
小高い山の中腹あたりの森を切り開く形で、その屋敷は建てられていた。
三角屋根が特徴の古びた屋敷だった。
「まだ視線は感じるか?」
ジャスティンは振り返り、マルセイユに訊ねた。
「いえ、私たちが屋敷に向かいはじめてから、感じなくなりました」
「今頃、向こうも大慌てかもな」
「だと良いんですが……」
ニヤニヤとたちの悪い笑みを浮かべるジャスティンとは対照的に、マルセイユの表情には曇りが見えた。
「どうした? マルセイユ……。何か気になる事でもあるのか?」
「視線を感じなくなった。その意味するところを考えると、逆に怖いというか……」
「逆に怖い?」
「そう思いませんか?」
マルセイユはジャスティンの横に並んで顔を覗き込んでくる。
「私たちの行動は、相手から見れば逸脱です。予期せぬ行動のハズです」
「ああ……そうだな」
「それなのに、誰も連れ返しに現れないのですよ? なんか……怪しいと思いませんか?」
ジャスティンはマルセイユを横目にチラリと見つめる。
「たしかに――」
ジャスティンは少し考え込む。
「だとすると……俺の勘が外れたか? もしかしたら、逸脱していないのかも知れないな……」
「これも台本のうちだと?」
「それはそれで面白くはないな――」
そう言ってジャスティンは肩を竦めてみせる。
「ま……とりあえず、屋敷に行ってみれば分かることだ」
マルセイユを心配させないように、軽い口調でそう答えた。
木々が生い茂る森を突っ切るかたちで、道が作られていた。
そのため陽が沈みかけた今ぐらいでも夜道とほぼ変わらないほど薄暗かった。しかも山道のように舗装のされていない坂道なので躓きそうになることもしばしばであった。
ようやく開けた場所にたどり着くと、間近に三角屋根のシルエットが現れる。
屋敷に続く坂道は、どうやら町から見える屋敷の反対側へと繋がっていたようだ。
苔むした煉瓦の塀が年代を感じさせた。
その塀に沿うように歩いて行くと、屋敷の表門の前に到着する。
鉄さびが浮いた格子状の門扉にはチェーンロックが施され、さらに黄色いバリケードテープが無数に張り巡らされていた。
「入ってくるなと言わんばかりじゃないか」
「テープは、真新しいですね……」
ジャスティンは門扉の格子を掴みながら、足を掛ける箇所を探していた。
「意外に上りづらいな……」
すると、後ろからマルセイユが声を掛けてくる。
「ジャスティン様……掴まっていてください」
言うなりマルセイユは背後からジャスティンを抱きかかえると、ふわりと宙を舞った。
軽々と塀に飛び乗ったのだ。
「まさか、マルセイユにお姫様抱っこされるとはな……」
「ちゃ、ちゃんと掴まっていてくださいね。降りますよ」
マルセイユは顔を赤らめてそう言うと、塀から飛び降りる。
ネコのようにしなやかに敷地内へと静かに降り立つマルセイユ。
「サンキュー。もう下ろしてくれて構わないぞ。一人で歩ける……」
「……」
しかし、マルセイユは黙り込んでいる。
しゃがみ込んだまま、何故か立ち上がろうとしない。
「おい……どうした――?」
不審に思ったので、マルセイユの顔を覗き込もうとすると、彼女は押し殺した声で短く告げた。
「動かないでください! 狙われてます!」
(狙われてる……?)
緊張が走る――。
(何処だ……何処から――?)
視線だけを動かしてみると、何やら赤色の点がゆらゆらとマルセイユの身体を蠢めいているのが見えた。
しかも、その点は一つではなかった。
無数の赤色のマーカーが見えたのだ。
「エイミングデバイスのレーザーポイントか――」
最悪の状態であることに、ようやくジャスティンも気がついた。
「はい——屋敷の窓という窓からこちらに向けて照射されてます」
マルセイユが、緊張した声で告げた。
「おいおい……そいつは、いくら何でも大げさじゃないのか……? 全部の窓からって――」
「ジャスティン様のお顔に、赤いホクロが7……いえ、8個は見えますよ」
その言葉に、楽観気味だったジャスティンにも緊張が走る。
思わず舌打ちをしてしまう。
「俺にそれくらいあるのなら——お前は、どれくらいエイミングされているんだ?」
ジャスティンはゆっくりと顔を動かしてみる。
(マルセイユの眉間のあたりと——胸の辺りの数が多いな……)
舌打ちをしてしまう。
「お前よりも、俺の方が数が多いじゃないか。不公平だろ……」
「何を呑気なことを――」
呆れたように嘆息を漏らすマルセイユ。
「だが、可視レーザーを使う時点で明らかに脅しだ。どうしても俺たちを屋敷に踏み込ませたくないようだな……」
「赤外線レーザーもジャスティン様を捉えていますよ」
ポツリと呟いた言葉に対する、マルセイユからの一言。
――え?
「な……なんですか? その表情……」
マルセイユは横目でチラリとジャスティンを一瞥する。
「お前……視えるのか? 可視光外だろ? 赤外線は――」
「み、視てません」
「視てない? お前……何を言ってる? 俺は視えるのか訊いているんだ」
「な?! う、うっすらと……ですからね。うっすらと! くっきりはっきり視えているわけではありませんからね」
マルセイユはたどたどしい言い方で慌てふためいた様子だった。
「そこは強調しなくても――」
「い、今はそんなこと気にしている場合ではないです!」
顔を少し赤らめるマルセイユ。
「まあ……そうだが――。で、お前……これからどうするつもりだ? 何か考えでもあるのか?」
「動きません」
マルセイユは一切の躊躇いも逡巡もなく言い切った。
「は?! 動かない? バカお前……俺は、お姫様抱っこのまま――」
「私は! 私は……ジャスティン様の家猫です。ジャスティン様に危険が及ぶ行為は致しません」
「レーザーポイントはゴール目前の俺たちを足止めするためだぞ」
とは言ったものの、ジャスティンは赤外線レーザーが気に掛かっていた。
「お言葉ですがジャスティン様……。でしたら可視レーザーに混ざって、赤外線レーザーでエイミングする理由は、如何説明されるおつもりですか?」
やはりと言うべきか、マルセイユに見透かされていた。
「気づいていたか……」
「当然です」
(可視レーザーは威圧の意味もあるが、おそらく陽動――)
(本命の赤外線レーザーによるエイミングを隠すため……だろうな)
(或いは――相手もマルセイユの特殊能力に気づいたのか?)
「足止めか否かの議論は、いずれにしても確証はありません。下手に動けば殺られます」
「だけどな……マルセイユ。このまま動かなければ、撃たれないという確証も、保証もないんだぞ」
「と、とにかくです! 今は動かないでください。相手を刺激しなければ撃ってきません」
ジャスティンは小さくため息を吐いた。
(やれやれ……平行線だな――)
(俺の身を案じてのことなのは分かるんだが……。こうなったら——)
ジャスティンはマルセイユの首元に顔を近づける。
「ジャ……ジャスティン様?」
目を見開き、顔を赤らめるマルセイユ。
「こ、こんな時に何を――」
「起きろ! ボウ」
ジャスティンは、マルセイユの首元で囁いた。
「ボウ? ちょっと待ってください! どうしてボウを呼び出すんですか?」
「このままでは埒があかない――お前が着ている夜想曲の限定を解除する。当主権限でな……」
「む……無茶苦茶な――」
「マルセイユ、相手に悟られないようにしていろ」
『音声認識……』
――数秒経過。
『この声は……もしかすると……ジャスティン様でしょうか?』
マルセイユの首元から、男性の声が聞こえてくる。
「よう、久しぶり」
『ああ……お懐かしい。かれこれ10年振りでしょうか』
「え~、そんなに経つのか?」
『最後に言葉を交わされたのが、ちょうどジャスティン様の声変わりの時期でした』
「ああ、それで認識に数秒掛かったのか?」
『おっしゃる通りで——音声認識の精度に狂いが生じております』
「もしかして認証ができてないのか?」
『はい——申し訳ありませんが権限はございません。声紋パターンの更新をしていただくと助かるのですが? 私の質問にお答えして頂ければ、本人確認も同時に行えます。……如何しますか?』
「そうか。じゃあ今からやるか――」
「な?! 何を言っているのですか?」
マルセイユが驚きの声を上げる。
「ジャスティン様、こんな時にする事ではないでしょう?」
「そう言うが、マルセイユ――この状況を打開するにはボウの助けが必要だ。ボウと会話くらい良いだろ? 緊急なんだ」
「で、ですが――」
『おや? マルセイユ様もご一緒でしたか? もしかして……お邪魔でしたか?』
「ボウ! わざとらしい言い方はおやめ!」
「マルセイユ、ボウにあたってどうする?」
『いえいえ、ジャスティン様……悪いのは私です。二人の甘いひとときをお邪魔しているのですから――マルセイユ様が怒るのは無理もありません。夜想曲の迅速な装着解除をご希望なのでしょう?』
「おいおい……何を勘違いしてる? そんな状況じゃないんだ……」
ジャスティンはため息を吐く。
『え? ですが……ジャスティン様とマルセイユ様は肌と肌が触れあうほどの距離にいるのでは? マルセイユ様の首元で囁いていると――お見受けいたしましたが?』
「ボウ! お黙り!」
マルセイユが顔を真っ赤にして一喝する。
「お前の、その推測はあながち間違ってはいない。今もお姫様抱っこされてるよ」
『ああ、なるほど……。それでマルセイユ様は恥ずかしがっておられるのですね』
「いや、違う違う――俺がされているんだ。どちらかといえば俺が恥ずかしい」
――数秒経過。
『は? 状況が飲み込めません。再度お伺いしますが、ジャスティン様が……マルセイユ様を……お姫様抱っこして――』
「違うって……」
ジャスティンも少し辟易してきた。
「マルセイユが、俺を、お姫様抱っこしているんだ」
――数秒経過。
『え~。ちょっと、なんですか……その状況? 私の知識にない、いかがわしいプレイでも――』
「違うって! いかがわしくはないだろ! 何処にそんな要素がある?」
「も~このバカAI! お黙——」
『おめでとうございます』
マルセイユの言葉を遮るように、場違いなほどの一オクターブ高い祝福の声が上がる。さらに緊張感のない陽気な音楽が流れ始めた。
『ただいまの回答により、ジャスティン様本人であると確認されました。声紋パターンの更新も、同時に完了致しました』
「そいつは助かった。ボウ! 早速で悪いが、夜想曲モードに切替。さらに限定解除」
『承知致しま――え? 限定解除ですか?』
「そうだ! 限定解除! 最大出力だ。間違っても、装着解除するなよ」
「それじゃあ、マルセイユ――」
ジャスティンはマルセイユの首元のマイクから離れると、マルセイユを見つめる。
「マルセイユ……?」
マルセイユは瞳を潤ませて、ジャスティンから顔を背けていた。
ジャスティンはため息を吐いた。
そしてマルセイユの首に両腕を回すと、ぎゅっと抱きしめる。
「な、なんですか?! ……ジャスティン様?」
ジャスティンはマルセイユの耳元で囁く。
「エイミングしている数はどれくらいだ?」
「およそ……23……人かと――」
「23人が俺たちを見ているのか……。マルセイユ……恥ずかしい気持ちはよく分かる……。俺も恥ずかしい。だから……だから、その気持ちをぶつけてやれ!」
「……ぶつける?」
「そうだ。屋敷の正面玄関まではおよそ50メートル。全速力で駆け抜けて扉を蹴破ってしまえ!」
「ジャスティン様は……本当に――」
呆れた物言いのマルセイユだったが、声の抑揚が変わる。
「しっかり掴まっていてくださいね」
『マルセイユ様、限定解除いたしました。いつでも最大出力可能です』
ボウのアナウンス。
「OK! ボウ! 最大出力!」




